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2007年6月25日 (月)

50系とDE10、徳島駅にて

90_de10
Canon EOS630QD
SIGMA 28-70mm F3.5-4.5
Fuji Super HG 100
JR徳島駅構内
1990年12月31日(恐らく)

いよいよ古い写真です。1990年の冬というと、僕は中学1年生。

そもそも、この写真がホントにこの時に撮ったものかどうかは確証が持てません。
いくつかの状況から推察しています。

・同じネガに「1000系」気動車が写っている事、また、
写した状況から登場間もない頃と思われるので、恐らく1990年である。
・同じネガに、間もなく解体が始まる旧徳島駅の駅舎が写っている
(これは、次回あたりに紹介の予定)。
中学後半の段階では、すでに新駅ビルの工事が行われていたはっきりとして記憶があり、
まだ旧駅舎が残っていたのは、小6ないし中1あたりまでの事である。
・やはり、同じネガの後半に、牟岐線を走る特急「うずしお」が写っている。
牟岐線に「うずしお」が走るようになったのは、Wikipediaの「うずしお」の記事によると、1990年11月の事である
・中1で、こんな夜遅くに徳島駅にいるというのは、
恐らく、旅行の帰り、「うずしお」で高松方面から戻ってきたところである
旅行に行くとすれば、正月、GW、お盆くらいしかなく、
状況証拠?から、お盆=8月であろうと思われる。

まぁ、こんなところで推理力をフル回転させる事もないのですが(汗)

にしても、自分で言うのもナニですが、いい写真です。
DE10に50系、水銀灯の明かりをネガで撮っているので緑になっているのが、
それはそれでいい雰囲気を醸し出しています。
しかも、雨に濡れたホームに反射した明かりが、効果を倍増させています。

まだEOS630QDを買って約1年ほど、
これだけいい写真を撮れたのは、多分初めてだったのでは、と思います。
もちろん、こんなのは「偶然」の産物で、狙って撮れたものではありません。
こういう写真になる事を狙って、レンズを選んだり、フィルムを選んだりできてこそ、
アマプロ問わず「カメラマン」と呼べるんだろうな、と思います。
まぁ、中1の坊主が、そもそも狙って作品を撮る、という事はありません。
少なくとも、僕の場合はそうでした。
でも、自分の持ってるこのカメラでこんな写真が撮れるんだなぁ、というのは、
少なからぬ感動と驚きがありました。そういう体験ができただけでも、
EOS630QDと早いうちに出会えた事を嬉しく思います。

四国は国鉄時代以来、「気動車王国」と言われてきました。
全国でいち早く無煙化を達成しましたが、
それはまた、「電化の遅れ」「非力な気動車に頼らざるを得ない」
という副作用を伴いました。
JRとなってから、状況はかなり好転しましたが、
国鉄時代に離れていったお客様は、そう簡単には戻ってきません。

気動車王国である、という事は、客車が少ない、という事でもあります。
国鉄時代はそれでも、オハ35やスハフ43(これは、現在、大井川鉄道で活躍中)など、
茶色や青色の旧型客車を、赤いDE10やDF50が引っ張っていました。
これらの旧客は、いったん、「レッドトレイン」50系に置き換えられましたが、
そもそも5両前後の長編成(笑)を必要としない四国では、
やがて、キハ40、キハ47、そして1000系など、
1両や2両で機動力を発揮できる気動車に取って代わられる事になります。
(JR化後すぐに、1両で動けるキハ40などは、ワンマン化される事になります。)

それでも、一部で客車による列車が残りました。
この写真に写っている50系がそれで、
高徳線に、たった1往復だけ、JR化後もしばらく残っていました。

朝5:50(だったと思います)、徳島駅を出て、高松駅に8:08(だったかな?)に着く、
高徳線の一番列車がありました。これが、5両編成?の50系でした。

これだけの長編成を走らせる必要がある理由は明白で、
徳島を出る時は一番列車ですが、高松へつく頃にはラッシュの時間帯。
長編成がないと、お客さんをさばききれなかったわけです。
たった1往復の50系が残っていたのも、そういう理由でした。

そして、高松駅に到着後は高松運転所に入り、
そのまま夜までしばらく長い休憩についた50系は、
今度は、夜遅くに高松駅を出て、徳島駅に23時過ぎに到着をします。
この時間帯になると、ほとんど「回送ついで」という感じで、
車内には、お客さんは0人か1人か、って感じだった記憶があります。

徳島駅につくと、再び眠りにつく50系は、しかし、早朝には動き始め、
徳島駅発の一番列車として、また高松へ走っていくのです。

この写真は、高松からの長い旅路を終え、徳島駅についた50系です。
もう、客電は落ちてますね。恐らく、「うずしお」に乗って徳島駅についたら、
5番線(当時)に止まっている50系を見つけて、慌てて撮りに行ったのでしょう。

この、50系普通列車が好きで、
旅行等で高松駅方面へ移動、あるいは徳島駅に戻ってくる時は、
「うずしお」を選ばず、わざわざこの50系に乗って帰る、という事を何度もしました。
冬になると、SG(蒸気暖房)のスチームが各車両からモワモワと噴き出す、
幻想的な光景に酔いしれたものです。

客車列車は、機関車を付け替えるのも面倒だし、
すぐに突放(発車する時に、ガクンッ、と激しく前後に揺れる)を起こすし、
SGの暖房は、列車の前と後ろで温度が違いすぎるし、
「国鉄時代の遺物」という感じで、あまり好かれなかったように思います。
もうさすがに、全国見渡しても、客車の定期列車って、
ほとんど残ってないんじゃないでしょうか?
でも、客車列車の旅情って、気動車や電車とはまた違うな、って思うんです。
気動車や電車って、どうしても、床下から「が~~~~」とか、
「う~~~~~」って、エンジンやモーターの音がします。
いや、最近はすごく静かなのもありますが、
すると、「タタン、タタン」って、車輪がレールとレールのつなぎ目を通る時の、
あの音も小さくなってしまいます。あ、近頃はロングレールが多いから、
あの「タタン、タタン」って音すら、しなくなりましたね。

でも、客車だと、ただただ、あの「タタン、タタン」って音だけが耳の中に響くんです。
窓の外をじーっと眺めながら、「タタン、タタン」って音をBGMとして楽しむ、
これが、最高の旅情だ、と思っています。

播但線でも客車に乗りました。
久大本線でも客車に乗りました。
いずれも、12系だったと思います。
今でも、耳の中で、「タタン、タタン」って音が、思い出の中で鳴り響いています。
いつまでも、いつまでも・・・

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