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2007年6月

2007年6月29日 (金)

「大垣夜行」の思い出

関西の人間にとって、上京するのにもっとも安価な手段と言えば、
「大垣夜行」と呼ばれる夜行の普通列車に乗っていく事でした。
今では「ムーンライトながら」という名称で呼ばれ、
事前に指定券を購入する必要がある電車ですが、
昔は、本当に普通の夜行電車で、夏休みの「青春18きっぷ」の時期など、
何時間も前からホームに並んで座席を確保する、
というのは、いわば「夏の風物詩」でした。

僕も、ビンボー症が体の隅々までこびりついている事もあり(?)、
「ガキドン」(大垣行きの鈍行)には幾度となくお世話になりました。
初めて乗った頃は、昼間に急行「東海」として運用されていた、
珍しく長編成な165系が「大垣夜行」を担当していました。
(列車番号は、上りが「372M」で、下りが「375M」)
また、夏休みなど「青春18きっぷ」の時期には、
臨時に増発された「9372M」「9375M」も運行され、
「臨時大垣夜行」として、113系(!)や167系で運行されていました。

今回紹介するのは、2001年の夏に、実家に帰省するため、
品川駅から「臨時大垣夜行」に乗った時の模様です。
丁度、この帰省の少し前の初ボーナスの時、
初めてのデジカメとして、オリンパスの「C-1 ZOOM」を購入したので、
いろいろ撮ってみたかった、という事で記録が残っていました。

当時は、まだ「全席自由席」だったので、
発車時間の2,3時間前から品川駅に行き、
既にできている行列に並んで、ひたすら待っていました。
下の写真は、電車がついて席取りを済ませてから、
足早にホームに戻って撮った写真です。
070812_9375m_1
Olympus C-1 ZOOM
2001年8月12日

僕が乗った「臨時大垣夜行」は、167系の4連ユニットが2組に、
165系の3連ユニットが1組の、計11連で運行されていました。
中間の4連ユニットは、下記の写真のようにトップナンバーそろい踏み+クハ165-3!
070812_9375m_2
Olympus C-1 ZOOM
2001年8月12日

また、最後部にぶらさがっている165系3連は、
新前橋区の通称「モントレー色」でした。これも驚き。
大垣駅に着き、回送されていく様を後追いで撮影していました。
070812_9375m_3
Olympus C-1 ZOOM
2001年8月13日

僕は、この165系(167系、169系)という電車が大好きで大好きで、
一度は、急行「東海」に乗りたいと思っていたのですが、
その夢はかなう事無く、特急「東海」への格上げされましたが、
その特急「東海」も、今年春のダイヤ改正で消滅してしまいました。
東海道本線東京口から優等列車が減っていき、
銀色の電車ばかりが増えていくというのは、個人的にはとても寂しい事です。

ちなみに、現在、臨時「ムーンライトながら」は183(189)系で運行されています。
これはこれで嬉しいもので、一番最近では、2年前の夏の帰省時に乗車しました。
でも最近は、いつ夏休みや冬休みが取れるか、仕事の都合もありはっきりせず、
帰るその日に新幹線の自由席券を買って乗り込み、という事が多く、ちょっと寂しいです。
これから結婚すると1人で移動する事も減るでしょうし、
「大垣夜行」のお世話になる機会は、ますます減っていってしまいそうですね・・・。

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追悼・宮沢喜一元首相

今年は訃報に接する機会が多く、何度も悲しい思いをしているが、
今日は、元総理大臣、宮沢喜一氏が亡くなられた
享年87歳、老衰での大往生と聞く。
戦中!から官僚をつとめ、長い政治家生活で幾度となく大臣を経験し、
総理を辞して後も大蔵大臣→初代財務大臣として活躍された宮沢氏は、
「職人政治家」とでも言うべき逸材であったと思う。

今日のニュースでは、しきりに「ハト派の論客」と紹介されていた。
だが、総理大臣在任中にはPKO法案を採決したという経緯もあり、
必ずしも、リアルタイムでは「ハト派」のイメージがあまりなかった。
総理大臣にもなると、時に、個人の政治信条は封印して、
国際的な面目(というか、アメリカへの体面?)のために働かねばならないのだから、
辛い仕事であろうと思う。
近頃の総理大臣は、かなり思い通りにやられているようであるが…。

今の政治家で、「ハト派」と呼べる方はいらっしゃるのだろうか?
どうも、「総タカ派」「総右寄り」「総改憲」な感じがして、
昔、自民党と社会党が議会で論戦を繰り広げていた時のような、
イデオロギー同士のぶつかりあいが無いような気がする。
表向きは「安部総理不信任」を唱えている民主党も、
こと、イデオロギーでは自民党と大して変わらない。
まぁ、もともと自民党な方たちが多いですしね…。

にしても、近頃は「右寄り」じゃないとカッコ悪い、
みたいな風潮が日本中にある気がして、ちょっと怖い。
僕自身は「ハト派」「中道」「護憲」という、
土井さんや上田哲さんが喜びそうな信条の持ち主だが(笑)

気がつけば防衛庁は防衛「省」になり、
憲法を改正するための下地も万端整いつつあり、
という感じで着実に準備が進められているような気がして、
これから日本はどっちに行くんだろう、という懸念を強く抱く。

ところで、「タカ派」の論客と言えば、
我が徳島の誇りで、昨年亡くなられた後藤田正晴先生を思い出す。
内務省や警察庁の出身だけあり、非常に厳しい政治信条の持ち主ではあったが、
「タカ派」ではありつつも、反戦・平和への思いもまた人一倍強い方であった。
そこが、なかなか一般には理解し得ないところだったように思う。
日頃の保身のために最低限の防備力を備える事と、
積極的に力を使える環境を得る事の明確な違いをうったえていたように思う。
後藤田さんは、亡くなる直前まで、日本の先行きを憂いていた。

今から思い返せば、タカでもハトでも、
戦争を知っている世代の人は、みな反戦だったのである。
戦争を知らない我々は、せめて、
戦争を知っている人たちの発する、または残したメッセージや警告に、
充分に耳を傾けるべきだと思う。

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在りし日の、旧徳島駅

とりあえず、PCは死んでませんでした。
512MBのメモリを抜いて、1GBのだけにしたら、なんとか動いてくれました。
とはいえ、1回フリーズしましたが、そんなのはいつもの事(?)
やっぱり、メモリを買い足すor買い換えようと思います。
あと、暑さ対策も必要かもなぁ。熱暴走だったりするかも?

で、復活記念?に写真をアップします。
でも、またいつブルーバックになるか怖いので、
JPEGをアップだけして、執筆はここ2日同様、VAIO君からになります。

今回のお題は、旧徳島駅の駅舎です。

90_tokushima_eki
Canon EOS630QD
SIGMA 28-70mm F3.5-4.5
Fuji Super HG 100
JR徳島駅
1991年2月17日

いかにも「田舎のステーション」って感じの、古びた感じがします。

今、同じアングルで写真を撮ると、駅舎は駅ビルになり、
左奥に見える体育館っぽい建物のあたりは大きな大きな駐車場になっています。
恐らく、空は全然写らないでしょう。
それを思うと、如何に徳島駅前の風景が変わったかが分かります。
徳島の方で、20歳に満たない人がこの写真を見ると、
かなりビビるんじゃないでしょうか。
この写真、市バス乗り場の辺りから撮ったんじょー(突然の阿波弁)

ちなみに、今の駅ビルはこんな感じです。
随分違うでしょ?田舎にはあるまじき、立派なビルになりました。
なりました、と書きましたが、もう、ゆうに10年は経ってます。
「新しい徳島駅」とついつい言ってしまいそうになりますが、
どうも、僕の中ではいろんな時間が10代後半から止まっているようです。
このブログを書きながら、しみじみ思います。

そういえば、新しい駅ビルができた時、
外壁がピンクのタイルで覆われているのを見て、
多くの(口の悪い)県民が「トイレちゃうんやけん」
と言っていたのを思い出します。間近でみると、そう言いたくなる理由も分かります。

この駅前広場には、「徳島そごう」があります。
数年前にすったもんだがあった「そごう」ですが、
こと、「徳島そごう」に関しては、グループきっての優良店で、
会社がなくならない限りはなくならない、という変な安心感がありました。
その代わり、「徳島そごう」出店後に、
地元資本のデパートがつぶれたという歴史もあり、複雑な心境です。

その「徳島そごう」ができる前は、なんと内町小学校だった、
という話しを聞いて驚いた事があります。
さすがに、そこまで古くなると、僕も全く覚えていません。
今では、駅前にはタリーズやハーゲンダッツもあり、
すっかり都会めいてきて、なんだか気持ち悪い(?)ですが、
つい10年、20年前までは、こんなのどかな光景が広がり、
空もとっても広かった事が、懐かしく思われます。

また、別アングルや、構内の写真もアップしていきます。

*08年10月21日:撮影日を修正、一部文章を削除。

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2007年6月28日 (木)

この土日は東急8000系

今日は帰りが遅かったので、手短に。

この土日は、東急東横線にて、
旧塗色(すなわち無地)の8000系、
通称「8039F」を撮りに行きます。
田舎から兄貴も出てきての臨戦態勢です。

※東急の公式発表はこちら。

たくさん写しにくるでしょうから、
お世辞にも撮影ポイントが多いとはいえない東横線かいわい、
非常に混雑しそうです。

こうなると、以前、常磐線103系撮影用に購入した脚立を持参で、
「上空」から「空襲」しないといけないかな、と思っております。

もし、東横線で同じ日に撮影されている方で、
頭の上にレンズがあって背後に陣取っている奴がいたら、
僕だと思ってくれていいかもしれません(笑)

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2007年6月27日 (水)

PC不調につき…

メインPCが不調になりました。
日頃から、プチ不調?は多いですが、
今日は、3回もブルーバックになりました。
これは、入院しないと、かもです。
入院と言っても、自作PCですから、
オペをするのは僕自身ですが(汗

なので、今回はサブPCのVAIO改からのエントリーにつき、
写真はありません。こういう事なら、外付けHDDにデータは入れておけば…、
あ、80GBのATAが余ってるなぁ。あれ、外付けにしちゃおうかな。

さて、メインPC、ブルーバックになって再起動した後、
なぜか、HDDの1番(SATA)と2番(今更のSCSI。でもSCAで爆速)が入れ替わり、
SCSIの方のMRBを読みにいって「起動ドライブ無し」という文言が出る、
という状態で、まさか、変なウイルスにやられたか…?、という懸念もあります。
だとしたら、OSの再インストールかぁ。面倒だなぁ。

ハードが壊れている可能性もあります。
とりあえず、前々からアヤシイと睨んでいたメモリ、
そろそろ交換の潮時かもしれません。
幸い、今はメモリ価格が暴落中、という事なので、替え時です。
あ、でもそれはDDR2の話しかな?僕のはDDR。これも今更。

そもそもこのマシン、起源を遡れば、4年くらい前に自作した、
AthlonXP機にたどり着きます。チップはnForce2で、
VGAはMilleniumだの、Radeonだのを使いましたが、
当時から、どうも信用性、という点ではあまり高くなく、
ある日起動しなくなったのでOSの再インストールを、
という事を何度もやった記憶があります。
で、いよいよ立ち上がらなくなった時に、
マザボごと総入れ替え。現状は、Athlon64、チップはVIAです。
初めて自作した時から、今でも引き続いて使っているのは、多分、メモリくらいです。
…やっぱメモリかなぁ。新しいのを買うのが面倒だからって、
1GBと512MBをさして、Single Channelで使ってるんですから、
調子が悪くなるのも当然だ、という気がしてきました。
同じチップの1GBを2枚買ってDual Channelにするかなぁ。

チップは、なぜVIA?、と言われそうですが、
どうも、僕が使っている、ハイアマ用のサウンドカード
(CreativeのE-MU)が、チップや他のカードと相性が悪いような印象があり、
性能の高さよりも堅実性を取るなら、という事で選びました。
会社のPCが鉄板で、そのチップがVIAだから、という理由もあります。

でも、それも、あくまでCPUがINTELなら、という事かもしれないですね~。
このブログを読んでいるとお分かりいただけるかもしれませんが、
基本的に僕は天の邪鬼なので、メインストリームからはなるべくはずれたい、
と本能的に思ってしまいます。
なので、当初から、自作PCを作るならAMDのCPUで、というのが骨格でした。
そこを改めておけば、も少し安定したマシンになったかもなぁ。とほほ…

ホントは、Athlon64に切り替える時、出たばかりの「Core Duo」にしようかな、
と思ったんですが、まだ出たてでベラボーに高かった事、
また、メモリはDDR2になっていて自持ちが流用できないから、
という事で、あきらめたという経緯があります。どうにも貧乏性…

サブPCはVAIOです。
今年結婚する予定の女性が昔使っており、
DELLのマシンに買い換えると共に妹さんにお下がり、
その妹さんも新しいのを買い、そろそろ捨てようか、などと言っている時に
「ちょっと待ったコール!」(これも古いなぁ)をかけ、もらい受けました。

「PCV-LX30」という、これまた古典的なPCです。
元々のCPUはCeleron700MHz、メインメモリはPC133の64MB。
これで、かの悪名高き「Windows Me」を動かしていた、というんですから、驚きます。
識者であれば、「タイヤ4本パンクした自動車を運転するような」状態である、
という事を理解してくれると思いますが、当時は、こういうPCはたくさん売られてました。
今から考えると、詐欺に近いと思いますが。

さすがに、こんな非力なままで、いくらサブ機とはいえ使う事はできません。
すでに、限界いっぱいまでドーピング済みです(笑)
CPUはPentiumIII-S 1.4GHz(Socket370では最高峰)、
メモリは512MB(どうせWindows2000ですし。PC133の1GBは高い…)、
HDDは、SATAの160GB(元は、ATA100な35GB)、
加えて、CD-ROMをDVD+-R/RW/RAMに換装(TEAC製)。

どうです、本体とマザボ以外は全て違うもの、って感じです。

このマシンは「寝床PC」で、メールは全てこちらで読み書きしています。
本来、いつも使っているメインPCは、
画や音を編集するための「作業マシン」なんですが、
使用頻度が高いため、どうしても、日常業務に使いがちです。
それがまた、不調へ雪崩れ落ちる原因の1つである、
という事は理解しているんですがね…。

今日はもう遅いので、明日以降、PCの分解をしてみる事にします。
オペの状況次第では、写真はしばらく無いかもしれません…orz

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2007年6月26日 (火)

牛肉偽装事件に思う

なんとも呆れた事件が起きた。
牛肉ミンチ偽装事件である。

牛肉100%と偽って豚肉を入れてました、
というだけでも十分に驚いたが、まぁ、次から次から、出てくる出てくる。
牛の心臓を混ぜました。
鳥インフルで売れなくなった中国の鴨を入れました。
パンを入れました(つなぎ入りミンチ?笑えない)。
ついには、ある製品からは牛肉が検知されなかった、という話しも。

日本では、ちょっと過剰反応か、と思えるほど「食の安全」「安心」が求められる。
常にいろいろなところに監視の目があるので、ちょっとした事でも見破られると思っていた。
牛肉に豚肉が混ざれば、もっと早くに誰かが気づきそうなものだが、
意外にも内部告発があってはじめて、世に明かされた。

※実は、前々から何度も告発していたが受け入れられなかった、という報道もある。
実際にところはどうなのか、もう少し様子を見てみよう。

実は、僕は以前、料理関係の会社で働いていた事がある。
事務方なので、包丁を手にした事はない。
むしろ、作る方は「下手」の部類なので、専門的な事はあまりよく分からない。

しかし、料理を作る人間の「料理に全てを捧げる」姿勢には、強い感銘を受けた。

それはしばしば、採算度外視という形で表に現れる。
分かりやすく言えば、1品サービスしておきました、とか、
いつもより多めにしておきました、とか、そういう事もそうだし、
デザートをいっぱい持ってきてくれたり、帰り際にお土産を持たせてくれたり。
そして最後には、お会計をちょっと安くしてくれたり。
たった1人のお客さんのために、
営業終了後に何人もの料理人が深夜まで居残りして弁当を仕込んだり。

2,3日貫徹しました、なんてのはざらですよ、という感じで、
傍目から見ていると、辛くて仕方なかったりするのだが、
当の本人たちは、意外と嫌がっていなかったりする。
むしろ、手を抜けばいいところまで、ちょっとやり過ぎじゃないか、
というくらい手のこんだ事をしたりする。
なんでかな?、と思ったが、結局のところ、
「お客さんが美味しそうに食べてくれる顔を見たいから」
という、それだけの理由であったりするのである。

料理に携わる人間には「意気」がある。
嘘をつこうと思えばいくらでもつけるはずだが、そんな事は決してしない。
秋田産あきたこまちを、新潟産コシヒカリと言っても誰も気づかないと思うが、そんな事は言わない。
食に携わる人間の多くは、そういう人種であると、今でも信じている。

そんなわけだから、今回の事件は、信じられない。それ以外に、言葉は出ない。

偽装した会社の社長は、今回の事件に逆ギレして「消費者が悪い!」と言ったそうだ。
そろそろ、怒りを通り越してかわいそうにすらなってくる。

ではここで、無謀にも、その「消費者が悪い」を正しいと仮定して論を進めてみる(かなり無謀)

「消費者が悪い」は、すなわち、「牛100%と明記しないと売れない」に通じると思う。
牛100%じゃないと売れない、という事は、牛100%が美味しい、牛100%じゃないと美味しくない、
という心理が市場価格に反映されている、という事を仮定する事ができる。

しかし、実際には、合い挽きのミンチも美味しい。
むしろ、牛肉に豚肉が適量入っている方が、肉に甘みが出る。
牛100%ミンチでハンバーグを作ると、よほどうまく作らないと、パサパサになる。

例えば、あのモスバーガーは、牛豚の合い挽き肉を使っている
ファーストフードのハンバーガー=牛100%、というイメージが強いが、
モスは、わざわざそれをやめて、創業当時の合い挽きに戻したのである。

ちなみに、今「メガマック」として売られている、マックのてりやきも、肉は「100%豚肉」である
確か5年くらい前、肉を豚に変えました、と告知していた記憶があるので、やはり、牛から切り替えた、という事になる。
(この変更は、BSEが直接のきっかけだったと記憶している)

これ以上書くと、弁護しているように見えるので(自分でもそういう気分になってきた)、もうやめておく。
しかし、いくら弁解しても、嘘をつき、だましていた、という事実が変わるわけではない。
それなら、胸を張って、最初から「うちは牛100%じゃありません!合い挽きも美味しい!」
と声高に叫び、自信を持って出荷すべきだったであろう。消費者だった馬鹿じゃない。
なるほど、と納得して買ってくれる人も、絶対にいたはずだ。

皆さん、嘘をつくのはやめましょうね
(と、大人になると、どうもすぐ誤魔化そうとしてしまうので、自分への戒めでした)

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2007年6月25日 (月)

50系とDE10、徳島駅にて

90_de10
Canon EOS630QD
SIGMA 28-70mm F3.5-4.5
Fuji Super HG 100
JR徳島駅構内
1990年12月31日(恐らく)

いよいよ古い写真です。1990年の冬というと、僕は中学1年生。

そもそも、この写真がホントにこの時に撮ったものかどうかは確証が持てません。
いくつかの状況から推察しています。

・同じネガに「1000系」気動車が写っている事、また、
写した状況から登場間もない頃と思われるので、恐らく1990年である。
・同じネガに、間もなく解体が始まる旧徳島駅の駅舎が写っている
(これは、次回あたりに紹介の予定)。
中学後半の段階では、すでに新駅ビルの工事が行われていたはっきりとして記憶があり、
まだ旧駅舎が残っていたのは、小6ないし中1あたりまでの事である。
・やはり、同じネガの後半に、牟岐線を走る特急「うずしお」が写っている。
牟岐線に「うずしお」が走るようになったのは、Wikipediaの「うずしお」の記事によると、1990年11月の事である
・中1で、こんな夜遅くに徳島駅にいるというのは、
恐らく、旅行の帰り、「うずしお」で高松方面から戻ってきたところである
旅行に行くとすれば、正月、GW、お盆くらいしかなく、
状況証拠?から、お盆=8月であろうと思われる。

まぁ、こんなところで推理力をフル回転させる事もないのですが(汗)

にしても、自分で言うのもナニですが、いい写真です。
DE10に50系、水銀灯の明かりをネガで撮っているので緑になっているのが、
それはそれでいい雰囲気を醸し出しています。
しかも、雨に濡れたホームに反射した明かりが、効果を倍増させています。

まだEOS630QDを買って約1年ほど、
これだけいい写真を撮れたのは、多分初めてだったのでは、と思います。
もちろん、こんなのは「偶然」の産物で、狙って撮れたものではありません。
こういう写真になる事を狙って、レンズを選んだり、フィルムを選んだりできてこそ、
アマプロ問わず「カメラマン」と呼べるんだろうな、と思います。
まぁ、中1の坊主が、そもそも狙って作品を撮る、という事はありません。
少なくとも、僕の場合はそうでした。
でも、自分の持ってるこのカメラでこんな写真が撮れるんだなぁ、というのは、
少なからぬ感動と驚きがありました。そういう体験ができただけでも、
EOS630QDと早いうちに出会えた事を嬉しく思います。

四国は国鉄時代以来、「気動車王国」と言われてきました。
全国でいち早く無煙化を達成しましたが、
それはまた、「電化の遅れ」「非力な気動車に頼らざるを得ない」
という副作用を伴いました。
JRとなってから、状況はかなり好転しましたが、
国鉄時代に離れていったお客様は、そう簡単には戻ってきません。

気動車王国である、という事は、客車が少ない、という事でもあります。
国鉄時代はそれでも、オハ35やスハフ43(これは、現在、大井川鉄道で活躍中)など、
茶色や青色の旧型客車を、赤いDE10やDF50が引っ張っていました。
これらの旧客は、いったん、「レッドトレイン」50系に置き換えられましたが、
そもそも5両前後の長編成(笑)を必要としない四国では、
やがて、キハ40、キハ47、そして1000系など、
1両や2両で機動力を発揮できる気動車に取って代わられる事になります。
(JR化後すぐに、1両で動けるキハ40などは、ワンマン化される事になります。)

それでも、一部で客車による列車が残りました。
この写真に写っている50系がそれで、
高徳線に、たった1往復だけ、JR化後もしばらく残っていました。

朝5:50(だったと思います)、徳島駅を出て、高松駅に8:08(だったかな?)に着く、
高徳線の一番列車がありました。これが、5両編成?の50系でした。

これだけの長編成を走らせる必要がある理由は明白で、
徳島を出る時は一番列車ですが、高松へつく頃にはラッシュの時間帯。
長編成がないと、お客さんをさばききれなかったわけです。
たった1往復の50系が残っていたのも、そういう理由でした。

そして、高松駅に到着後は高松運転所に入り、
そのまま夜までしばらく長い休憩についた50系は、
今度は、夜遅くに高松駅を出て、徳島駅に23時過ぎに到着をします。
この時間帯になると、ほとんど「回送ついで」という感じで、
車内には、お客さんは0人か1人か、って感じだった記憶があります。

徳島駅につくと、再び眠りにつく50系は、しかし、早朝には動き始め、
徳島駅発の一番列車として、また高松へ走っていくのです。

この写真は、高松からの長い旅路を終え、徳島駅についた50系です。
もう、客電は落ちてますね。恐らく、「うずしお」に乗って徳島駅についたら、
5番線(当時)に止まっている50系を見つけて、慌てて撮りに行ったのでしょう。

この、50系普通列車が好きで、
旅行等で高松駅方面へ移動、あるいは徳島駅に戻ってくる時は、
「うずしお」を選ばず、わざわざこの50系に乗って帰る、という事を何度もしました。
冬になると、SG(蒸気暖房)のスチームが各車両からモワモワと噴き出す、
幻想的な光景に酔いしれたものです。

客車列車は、機関車を付け替えるのも面倒だし、
すぐに突放(発車する時に、ガクンッ、と激しく前後に揺れる)を起こすし、
SGの暖房は、列車の前と後ろで温度が違いすぎるし、
「国鉄時代の遺物」という感じで、あまり好かれなかったように思います。
もうさすがに、全国見渡しても、客車の定期列車って、
ほとんど残ってないんじゃないでしょうか?
でも、客車列車の旅情って、気動車や電車とはまた違うな、って思うんです。
気動車や電車って、どうしても、床下から「が~~~~」とか、
「う~~~~~」って、エンジンやモーターの音がします。
いや、最近はすごく静かなのもありますが、
すると、「タタン、タタン」って、車輪がレールとレールのつなぎ目を通る時の、
あの音も小さくなってしまいます。あ、近頃はロングレールが多いから、
あの「タタン、タタン」って音すら、しなくなりましたね。

でも、客車だと、ただただ、あの「タタン、タタン」って音だけが耳の中に響くんです。
窓の外をじーっと眺めながら、「タタン、タタン」って音をBGMとして楽しむ、
これが、最高の旅情だ、と思っています。

播但線でも客車に乗りました。
久大本線でも客車に乗りました。
いずれも、12系だったと思います。
今でも、耳の中で、「タタン、タタン」って音が、思い出の中で鳴り響いています。
いつまでも、いつまでも・・・

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2007年6月24日 (日)

東横線ロケハン&高円寺で201系

今日はまず、クロネコさんの「ピンポーン」から1日が始まります。
先日、「マップカメラ」のオンラインで注文していた、
特価品の「SMC PENTAX-DA 18-55mm F3.5-5.6」が届いたのです。
通常、2万円台後半で売られている、PENTAXデジイチの標準レンズですが、
これが、なんと\12.800!
ちょうど、先日の「あやめ」撮影の際に使用したCOSINA 19-35mmの描写に
「ん?、ちーとアレかな?」と思い(画面左の方の像が流れていた)、
やっぱ広角ズーム(デジイチ的には標準ズーム)を買わないとだなぁ、
何が良いかなぁ、と物色していたところ、数量限定のこの特価品を発見し、
即、オンラインで「ぽちとな」してしまった、というわけです。
ま、言ってしまえば「散在」です(滝汗

で、ブツが届いたところで、即撮影に出かけました。
まずは、東急東横線を撮影に。
撮影、と書きましたが、正確には「ロケハン」です。
来週の土日(6/30、7/1)の両日、
8000系オリジナル塗色車のリバイバル運転があるので、それを写しにいくにあたり、
その下見に、というわけです。

※オリジナル塗色、と書きましたが、
ステンレス無地に戻ったわけで、「オリジナル無塗色」が正解ですね…

しかし、今日は梅雨とは思えぬ炎天下、
ここであちこち歩き回ったせいか、夜、家に帰ってからばててしまい、
さっきまでしばし寝込んでました。だって、暑いし~。

ロケハンなので、あまり写真は撮りませんでしたが、
「曇天限定なら」使えそうなポイントがありました。
都立大学前と自由が丘のちょうど真ん中あたりです。
ネットではちらほら見たことのある、見覚えのあるポジションでした。

「曇天限定」と書いたのは、「北から南を向く」アングルだからです。
今日も、一応試写しましたが、「ドドド逆光」です(汗
RawShooterの設定で強引に修正したものの、あまり表沙汰にできる代物でもないので、
割愛させていただきます…

その後、白楽方面に移動し(移動の車中は爆睡でした。すでにバテバテ)、
妙蓮寺、菊名と歩き回ってきました
(ですから、歩きすぎです、この炎天下に)。
いくつかいいポイントがありましたが、全体的に、
順光で電車を捉えられるポジションが少ないかなぁ、という印象です。
次の土日は混むだろうから、今日目星をつけたところで写せないかもしれず、
そうなると、果て、どこで撮ろうかなぁ、と思案にくれています。

※さて、気分を変えて、「本日のニャンコ」のコーナーです。
Imgp8706_cat
PENTAX *ist Ds
SMC PENTAX-DA 18-55mm F3.5-5.6 (18mm)
1/250秒 F8.0 (ISO200)
2007年6月23日

妙蓮寺から白楽方面に移動している最中、
あと3分くらいで白楽駅かな、という家の前で、ニャンコが昼寝の準備中でした。
やっぱり、陰に隠れてますね。ニャンコは毛だらけなので、人間以上に暑いでしょう。
「暑そうねー」と声をかけると、声を出すエネルギーを使うとカロリーを消費するから?か、
シッポをパタパタして返事をしてくれました。

後ろに見える青い車は、HONDAの名車「ライフ」です。
今もある「ライフ」の、とてつもなく昔のご先祖様です。
僕も、実車は初めてみました。
いずれこのブログでも書こうと思いますが、僕が歴代乗ってきた車は、
「CITY」→「CR-X」→「BEAT」と、HONDA一筋です。要は、スピード狂です(汗

さて、ひとしきりロケハンを済ませたところで、今度は特急で渋谷に出て
(やはり、爆睡。かなりカロリー消費済み・・・)、
山手線、総武線を乗り継いで、中野に出ました。
お目当ては、カメラ好きにはおなじみのカメラ屋、「フジヤカメラ」です。

ここには「ジャンク館」というのがあり、壊れている、壊れかけている、壊れてはないけど外装が悪い、
といったカメラやレンズがごろごろと並んでいます。
だいたい、1000円から5000円、といったところです。
一節には、土曜日に商品が追加されると言われており、
いつも、土曜日の昼過ぎ~夕方くらいは、店内歩けないくらいごった返します。

今日は、ちょっと遅れていったからか、比較的すいてましたが、
レンズとカメラの棚の方も、比較的すいていました…。
いつも、安くて良さそうなレンズは無いかな、という事で物色するのですが
(ちなみに、兄貴は、Nikkor ED 180mm F2.8外装悪し&レンズ若干キズあり、
を破格で購入した経験があります。)、
今回、いつもは目がいかないカメラの棚をフッと見てみると、
目の前に、PENTAXの「MZ-3」が置いてあるではないですか。
しかも、外見だけみると、大した汚れや痛みはありません。
シャッターやミラー、ファインダーも大丈夫そう。これで、\3.150!

Mz3

・・・魔が差しました(汗

で、フジヤで電池を買って、撮影がてら動作チェックしようとしましたが、
「うーん、うーん」と唸るばかりで、全く動作しません。
あちゃー、やっぱ壊れてるなぁ、まぁいいや、帰りに新宿のPENTAXフォーラム寄っていくか、
という事で、すでに直す気満々でおりました。

さて、午後(夕方)の撮影は、高円寺駅のホームから、中央快速線です。
ホントの目的は、いつも、夕方に見かける183系の回送だったんですが、
それは結局走ってきませんでした・・・。
割と、必ずこの時間帯に遭遇するから、と思って待ちかまえていたのですが。残念!

その代わり、既に、ほとんど撤退していると言われている、青梅線方面行きの201系を写す事ができました。
Imgp8707_201_oume
PENTAX *ist Ds
TAMRON 60-300mm F3.8-5.4 23A (300mm)
1/250秒 F8.0 (ISO200)
JR中央線 高円寺駅構内(緩行線ホーム上り方)
2007年6月23日

また、ホントは下り線(上の写真)の列車にターゲットを絞ってアングルを決め、ピントも合わせていたら、
上り線を、201系の「ホリデー快速あきがわ号」が通過していくではありませんか!
Imgp8725_201_holyday
PENTAX *ist Ds
TAMRON 60-300mm F3.8-5.4 23A (300mm、かなりトリミング)
1/500秒 F4.5 (ISO400)
JR中央線 高円寺駅構内(緩行線ホーム上り方)
2007年6月23日

かなりトリミングし、シャープをかけて誤魔化していますが、実際にはかなりピントずれてます。
三脚を使う撮影で、かつカメラが1台だと、こういうとっさの状況に対応できない、
というのが辛いところです。嗚呼、「K10Dグランプリパッケージ」が欲しい(かなり強引な話しの持って行き方です)

という感じで、撮影はひとしきり終了。
帰り道、新宿で、先ほど書いた通り、「PENTAXフォーラム」に立ち寄り、
MZ-3の様子を見てもらう事にしました。

すると、ミラー動作不良、との診断結果が出ました。
修理見積もりは、\10.000前後である、との事。
て事は、購入金額とあわせても\15.000で、
MZ-3の一般的中古販売価格の相場(\20~30.000)より安い、という事になります。
ラッキー!(笑)もちろん、修理を依頼しました。退院は7月頭予定。
という事で、PENTAXシステムは、「*ist DS」「MX」に加えて「MZ-3」の3台体勢となります。

また、ついでに新宿ヨドバシにより、ようやく発売された「DNP CENTURIA 400」を買ってきました。
実は、店頭には10本パックしかなく、「とりあえず試したいから、1本だけ欲しいんだよなぁ…」
と思い、店員に相談してみると、「はい、分かりました」と言って、
店頭に置いてある10本パックをばらし始め(爆)、1本取り出して「はい、どうぞ」。
あ、す、すいません、そこまでしてもらえるとは…(恐縮

以上、このブログ始まって以来?の、日記っぽいエントリーでした。

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2007年6月23日 (土)

続・181系「うずしお」(2002年篇)

昨日の181系のエントリーに感涙した実家の兄から、
こんな写真が送られてきました。
「ブログに載せてもいいぞー」という事なので、ありがたく天災、いや転載します。

021103_181
OLYMPUS E-10
2002年11月2日

これは、「リバイバルうずしお」として、JR西日本から借りてきた181系で運転された、
これこそ「たった一度の」国鉄特急色181系「うずしお」です。

これが走った2002年、
僕は就職して上京し、あまりの忙殺さに、世間の様子を何も知らないという1年でした。
小泉首相(当時)が「大したことない」発言で窮地にたっていた、
という事も、後年知りました(汗
また、「○○さんが亡くなって、もう何年かねぇ」という話しになった時に、
「え、亡くなってたの?」という事もあります。
あ、さすがに身内とか知り合いじゃないですよ。有名人の類です。

なので、このリバイバルトレインの事も、
実は、2日前に初めて知りました(笑)

にしても、なんと美しいのでしょう、国鉄特急色の181系、
それが、見慣れた緑色のヘッドマークを掲げて走っているこの融資、
四国の鉄道ファンは、きっと沸き立っていた事でありましょう。
僕も、後1年徳島にいれば、これを撮れたかもしれない、と思うと、
残念ではありますが・・・、まぁ、93年の写真を撮っているだけでよしとしましょう。

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2007年6月21日 (木)

181系「うずしお」

四国は、外から見てみると非常に小さい島なので、
4県は非常に近く、東京からみた埼玉や神奈川、千葉みたいなものか、
と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、四国の中心部はほとんど「山」。
香川、愛媛、高知、そして徳島の4県は、それぞれ山をパーテションとして
綺麗に分断されています。
今でこそ、「Xハイウェイ」こと、4県を結ぶ高速道路が繋がっているので
非常に早く、簡単に県境をまたぐ事ができますが、
少し前まではとても大変な事でした。
実質、四国4県の県庁所在地を結んでいたのは、国鉄四国支社の運転する急行でした。

高松から松山には「伊予」、
高松から高知へは「土佐」、
高松から徳島へは「阿波」。
県庁所在地へ向かう急行は、江戸時代の国名で統一されてました。
さらに、
高知から向こうには「あしずり」、
松山から向こうへは「宇和島」、
徳島から向こうへは「むろと」という急行がありました。
あと、徳島から四国の中心にむかって「よしの川」という急行も。
このように、四国は急行王国でしたが、
さすがにキハ28、55、58の足には限界があり、
遅ればせながら、特急が登場する事になります。

四国初の特急は「南風」と「しおかぜ」で、
前者は高松から高知へ、後者は高松から愛媛へと走っていました。
国鉄終焉までは、上記の陣容のままでした。

JR四国になり、瀬戸大橋線が開通して宇高連絡線が廃止される頃、
185系型特急を大幅に増備して、急行網を、ほぼ一気に特急に切り替えました。
今から考えると、かなりドラスティックな変革です。
「南風」「しおかぜ」は、それぞれ岡山発の「新幹線連絡特急」に。
高松発着のこれまでの経路は、高知行きが「しまんと」に、松山行きが「いしづち」に。
そして、初めて徳島行きの特急が設定されました。それが「うずしお」です。

「うずしお」は後発の特急だった事、また、元々乗客が少ない路線である事から、
キロハ以外は全て先頭車で構成される185系のみで運行されていました。
(今は、ほとんどが2000系です)
通常は2両ないし3両で、正月や「阿波踊り」の時は5両、という事もありました。

さて、国鉄時代から「四国特急の顔」だった181系ですが、
「とてもディーゼルカーとは思えない」超高速特急・2000系の大量投入により、
かなり早い段階で引退と相成りました。
まだ、東海や北海道では82系が最後の活躍を見せていた頃ですので、
JR四国の英断はすごいものがあります。
しかしまた、国鉄時代の車両に思い入れのある人間には寂しいものでした。

1993年の早くに定期列車から撤退した181系。
しかし、一部が予備車として高松運転所に残る事になりました。

予備車、と書きましたが、これは正確には正しくありません。
93年の末に動員される、はっきりとした理由がありました。

93年の秋、香川と徳島で「東四国国体」というのがありました。
香川と徳島をまたいでの開催だった事から、
両県移動の足として、高徳線が重要になるものと考えられました。
なので、この国体の時期、うずしおは臨時増発を行い、
加え、通常2両で運転している定期列車も増車する事になりました。

しかし、185系では足りない事が明白、という事で、
すでに引退していた181系を投入する事になりました。

181系、「初・うずしお」「初・高徳線」。
徳島の鉄道ファンは、この大イベントに沸き立ちました(ホントか?)

931103_11
EOS5
EF100-300mm F4.5-5.6 USM (トリミング済み)
KONICA XG 400
JR高徳線 阿波大宮-讃岐相生
1993年11月3日

久しぶりに見ても、この写真には震えます。
今から考えると、サイドが影になっているのがちょっと残念ですが、
人生に何度も無いであろう大イベントに遭遇でき、それを記録に残す事ができた事、
心から誇りに思います。

ちなみに、11月の頭は、実際には国体は終了していて、
すぐ後に開催される「身体障害者スポーツ大会」の時期になっていたように思います。

この国体の時、僕は高1でしたが、非常に忙しかったです。
学生時代のほとんどは、吹奏楽部に所属していました。
国体では、開会式や閉会式で式典音楽隊の一員でした。
確か、700人の吹奏楽に1000人の合唱!、という規模だったと思います。
他にも、各会場のファンファーレや表彰の音楽なども演奏して回ってました。
この写真を撮った2日くらい前にも、演奏しに行ってた覚えがあります。

ついでに、もひとつの東四国国体ネタ。
この国体で、徳島側のマスコットキャラクターとして作られたのが、
最近、「ゆるきゃら」として一部で話題?の「すだちくん」です。
「チャットモンチー」の3人もラブラブでテレビで紹介していた事もあります。
普通、この手のマスコットキャラは、イベントが終了するとさよならするものですが、
「すだちくん」だけはしぶとく(?)生き残り、
最近では、映画「バルトの楽園」のロケ地(セットが一般公開されている)のマスコットとして再登板、
また、今年末に開催される「国民文化祭」(文化の国体)でもマスコットになる、というすさまじさ。
誕生からすでに15年にもなろうというのに、なんという人気の高さ!
ちなみに、実家に帰ると、当時の「すだちくんグッズ」がいろいろあったと思うんですが、
2度の引っ越しがあったので、結構捨ててしまったような気もします・・・。
あれ、これは「すだちくん」ブログか・・・???

(08/10/29修正)181系を撮ったレンズ名を修正。

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2007年6月20日 (水)

ドラマ「鉄道公安官」の思い出

俳優の石立鉄男さんが亡くなったのは6月1日、もう3週間ほどになります。
今年は特に、いろんな方がなくなるので寂しい思いをする事が多いですが、
石立鉄男さんは、僕の好きな俳優の1人だったので、結構ショックでした。

と言っても、僕にとって石立鉄男さんと言えば、
ドラマ「鉄道公安官」に出演されていた、という思い出につきます。

調べてみると、「鉄道公安官」が放送されていたのは79年から80年、
僕が2歳から3歳頃の話しです。
「よく覚えているなぁ~」と関心されそうですが、これには訳があります。
当時、うちには、かのベータマックスがあったのです。
まだ発売されて間もなかったはずなので、随分先端の機械があったんだなぁ、と思います。
僕の歳で、生まれながらにビデオデッキが家にある、という家庭は
多分、あまりないんじゃないでしょうか。

そもそも兄貴が電車好きだったという理由もあると思いますが、
テレビで鉄道が出てくると、親がいろいろ録っていたわけです。
それを、繰り返し繰り返し、何度も見ました。

とはいえ、何十話のドラマを全て録っていたわけではありません。
僕の記憶だと、3話程度で、しかも鉄道が出てくる場面ばかり。
それでも、飽きもせず、何度も何度も観てました。
そういう場面だけは、やたらによく覚えています。

てな感じで、僕の中で「鉄道公安官」は、非常に断片的な、
その割に非常に濃厚な思い出として脳に刻まれていたわけですが、
1990年、大阪の朝日放送(ABC)が、夕方の「ドラマ再放送枠」で取り上げてくれました。
当時、すでにVHSのビデオデッキの予約録画などお茶の子さいさいでしたので
(ちなみに、当時小学6年生。つくずくマセガキです)、
思い出の「鉄道公安官」を今度は全部観てやろう!、という事で定期録画を始めました。

※1990年だ、と断定できる理由がありまして、
第1話のビデオを観ていると、「長崎市の本島等市長が銃撃」
というニュース速報のテロップが流れたからです。
この事件が起きたのが1990年1月18日の話しです。

実は今、そのビデオを、DVDに焼いていく作業をしています。
ビクターの結構いいD-VHSのデッキで再生し
(ちなみにこれ、会社近くのゴミ捨て場で拾ってきた!)、
松下のDIGAに接続してのアーカイブ作業です。

作業していると、残念ながら、何話か録画し損ねているものがありました
(たった今は25話を録画中で、4話と12話が抜けていた)。
また、大阪から飛んでくる電波を徳島で拾っているので、
まれに、すごい電波障害?でザラザラになったりもしてますので、
必ずしも完璧じゃないですが、それでも、
目下はDVDとして発売されていないだけに、大変貴重な財産です。

おもしろい事に、第13話が、第20話と第21話の間に放送されていて、
なんでこれだけ?、と不思議に思っているところです。

もう30年も前のドラマですから、やたらと懐かしくなります。
ここに写っている電車や汽車は、もうほとんどこの世にいません。
かろうじて、485系や25系「ブルトレ」など。
153系にEF80、茶色い客車が走る東北線など、
もし今でもこんなのが走っていたら、絶対に撮影にいくであろう電車ばかり。

でも、悲しくなるのは、ここに出演されている方が、
たくさん鬼籍に入ってしまっている、という事です。
石立さんもそうですし、中条静夫さんや夏目雅子さんなど。
とてもいい演技が記憶に残っているだけに、
もうこういった方々の演技が観られないのだな、と思うと、残念でなりません。
この「鉄道公安官」のビデオは、僕の宝物です。

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2007年6月19日 (火)

鉄道ネタには欠かせません…

910505_09
Canon EOS630QD
EF70-210mm F4
KODAK EKTAR 100
JR総武線?成田線?
1991年5月5日

鉄道写真を並べたブログなんですから、蒸気機関車がないと落ち着かないですね(?)
ネガを整理していたら、こんなのが出てきました。

実は、これ、どこで撮ったのか、覚えていません(汗
ただ、同じネガの前後のコマをみると、
まず、成田山新勝寺を撮った写真、
次いで、上のD51-498の写真、
そして、四街道(?)で成田エクスプレスなどを撮った写真、
の順番に並んでいます。
なので、多分総武線だと思うんですが・・・。

実家に帰れば、当時の『鉄道ファン』誌があるので、調べられるんですけどね。
手元に資料が無いというのは、こういう時にもどかしいもんです。

今のところ、このブログに載っている写真では、一番古いものになります。
いい感じに撮れてそうですが、かなりトリミング&画角調整してます。
元の写真は、かなりダメダメで、赤面してしまいます。
使用カメラはEOS630、連写は秒間5コマと超高速なので、
数に任せて撮りまくっています。
しかも、連写しながらズームを210→70方向に引いていました。
今だと、こういうアクロバティックな事は絶対にやりません。
ああ、怖い怖い、くわばらくわばら・・・。
それに、いい感じで煙りが出ているのに切れています。
多分、走行中のSLの写真を撮ったのは、これが初めて。
煙まで計算に入れてフレーミングするなんて、当時は無理でした…。

デジタルで写真を撮るようになってから、
随分フレーミングに細かくなりました。
三脚のネジをギュギュッしめると、若干画角が動くものですが
(それは、安物だからだろう、というツッコミもありそうですが)、
あれが許せず、先週も、新しく雲台を買ったところです。

当時は、出来上がるべき作品のイメージが云々、というより、
その場で写真を撮るという行為自体を楽しんでいたんだろう、と思います。
91年といえば、中学2年生。
「作品撮り」という事を意識し始めるのは、
過去の(と言ってもここ1週間程度)のエントリを読んでいただければ、おわかりいただけると思います。

それはそれで楽しいもんですけどね。
今でも、そういう気分で写真を撮る機会は、なるべく大事にしようと思っています。
むしろその方が、力みが無くて良い写真が撮れたりしますし。

使っているフィルムは、Kodakの高級カラーネガ「EKTAR」(エクター)です。
当時は、富士フイルムの「REALA」をはじめ、
少し遅れて、我がコニカの「Impressa」(作例はこちら)など、
微粒子で色が綺麗な高級カラーネガが各社から発売されました。

※他にも、Kodakはプロ用カラーネガ「ベリカラー」なんてのもありましたね。

実は、写真を始めた頃…、って、小学生の後半ですが…、のお気に入りのフィルムは、
断然「REALA」でした。普通のカラーフィルムの写真とは、雲泥の違いでした。
色彩豊かで、キメも細かく、視界がそのまま写真になったような気がしたもんです。
そういえば、同時プリントといえばMサイズの時代、
「REALA仕上げ」はL版が必須だった覚えがあります。
少しサイズが大きいだけでも、印象がとても違ったものです。

当時は、富士フイルムが「REALA仕上げ」という専用仕上げで現像してくれました。
後にそれが終了し、現在は後継フィルム「REALA ACE」が出ています。
これ、使った事がありません。あの時の印象が強すぎるせいか、どんなもんだろうねぇ…、
と懐疑的になってしまいます。
と、そんなえり好みもできない時勢ですからね、フィルムの世界では。
まだ現役のうちに、また使ってみたいと思います。

D51-498の話しもしましょう。
この前の年だか、前の前の年に、
来日していた「オリエント急行」のラストランを牽引する主機として、
498は華麗なる復活を遂げました。
当時、国鉄→JRとなり、各社がSL復活に意欲を見せます。
九州ではハチロク、北海道ではC62-3。
実は、四国でもC58を復活させよう、という話しがあったようですが、
これは残念ながら果たされる事がありませんでした。

どこかの小学校?に保管されていたD51-498が復活のため大宮工場に入場した、
という話しは『鉄道ファン』誌で読んだ記憶がありますが、
まさか、その復活が「オリエント急行」から、とは予想だにせず、
テレビの生中継(があったと思う)を見ながら大興奮していたものです。

あれから15年以上になりますが、今でもD51-498は人気者です。
しかし、悲しい事に、SLを運転すると、必ずマナーの悪いファンが
線路に飛び出して写真を撮って、その影響で急停車をした、
というような事が頻出します。
そういえば、横川-軽井沢が廃止される時も、
随分ファンのマナーが悪い、と報道されていたもんです。
あれには萎えました。そういう事が続くと、
自分が鉄道ファンをしている事が恥ずかしくなり、撮影に行かなくなったりします。
過去に、そういう事が何度もあり、今日に至っています。
どうか、鉄道ファン、鉄ちゃんにも良識ある者がいる事はご理解いただきたいです…

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GEORGIA MAX COFFEE!!!

昔のネガをスキャンして「継ぎラマ」にしようとしてますが、
う~ん、これが難しい!
決して高価なスキャナじゃないので(ちなみに、PM-A950)、
コマごとに自動補正してスキャンしちゃいますので、
まず色や濃さをあわせるのが難しい。
それに、昔はあまり腕もないので、繋がるべきところがそうとう繋がらない。
中2の修学旅行で、阿蘇山に登った時の写真をつなぎ合わせようとしましたが、
今日のところはギブアップしました(笑)また挑戦してみます。

さて、先日「あやめ」を撮りに行った時の戦利品?です。

Max_coffee

「GEORGIA MAX COFFEE」!
東関東が誇る、地域限定ジョージアの最高峰です(多分)

元々、250mlの缶コーヒーとして売られているマックスコーヒー、
去年末頃から、とうとう都内でも普通に売られるようになり、
その「幻」と言われた存在が広く一般に知られるようになりました
(しかし、多摩川一本渡って神奈川にくると、一切ありません。
どうも、コカコーラの販売網が違うようで、
逆に、神奈川にはあるけど東京にはない、
250ml缶の「カフェオレ」や、「マイコーヒー」なるものもあります。
コカコーラ社渾身の新作「コカコーラZERO」に至っては、
180mlの試供品サイズが100円で売られている始末。)

マックスコーヒーの特徴は、なんといっても、その「甘さ」です。
なんせ、加糖練乳入り!
と書くと、どんなにドロドロしてるのか、と想像されるかもしれませんが、
決してそんな事はありません。
ただ、結構後に引く甘さなので、「甘いコーヒーは苦手」
という方には、絶対的にオススメできません。
(甘さ自体は、UCCミルクコーヒーレベルと思いますが・・・?)

元々は、コカコーラじゃない会社が作っていた「MAXコーヒー」を、
ジョージアブランドに取り込んだのが「GEORGIA MAX」である、と聞いた事があります。
MAXコーヒーならではの「波模様」は、まだジョージアじゃない時代の名残だそうです。

さて、そんなMAXコーヒーですが、都内では手に入らないヴァージョンがあります。
それが、上で写真にあげた、500mlペットボトル入り、です。

以前、電車に乗っている時に、このペットを持っている人を見かけ、
心の中で
「な、なんじゃこりゃ~~~!!!」
と叫んでしまいました。3週間ほど前の事です。
以来、「必ずや、千葉へ赴いて買って来る!」と心に誓いました。
「あやめ」を撮りにいかねば、というのは、大義名分です(笑)

「あやめ」を撮るために下車した物井駅の、改札左前の自販機に入ってました。
撮影に行く時は、改札を出てすぐ右に曲がってしまったので、気づかなかったのですが、
帰り道は逆サイドから来たので、見つけた時は、やはり心の中で
「見つけたり~~~!」を叫んでしまいました。
ところが、どうも相当な勢い(剣幕?)だったらしく、
その自販機の前で「何買おうかなぁ~」と考えていた風の妙齢の女性の方が、
わざわざ順番を譲ってくれたほどです(汗
そ、そんなに物欲しそうにしてましたか、僕(滝汗

ともあれ、すぐには飲まず、家に帰って写真を撮ってから、グビグビと飲み干してしまいました。
千葉に住んでいれば、これが毎日飲めるのかぁ、と思うと、うらやましくなります。

※この写真は、「EBC FUJINON 55mm F1.8」で撮りました。
僕が持っているあまたのレンズの中でも、もっとも描写が美しい、
また、解像度の高いレンズで、開放F値の割にやたらボケまくるのでなかなか手こずりますが、
こういう物撮りには重宝しています。

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価格:2,680円(税込、送料別)

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2007年6月18日 (月)

ケータイデジカメ、高画素は美しくない?

ケータイにカメラが載るようになって、
もう5年くらいになるでしょうか。
最初は、J-PHONE(当時)が「写メール」の名前でサービス開始。
EZ(当時はまだIDO+セルラーの時代?)はすぐに続きましたが、
DoCoMoはSH251iで遅ればせながら参戦。
しかし、その直後、505iシリーズで「全機種メガピクセル」
という大技を繰り出し、一気に遅れを取り戻しました。
僕も当時、SO505iを購入しましたが、
「もはやデジカメと変わらなくなった」と驚いた覚えがあります。

しかし、その後は、200万画素くらいで高画素化は落ち着き、
いくつか300万画素とか、500万画素という機種もありますが、
おおむね200万画素で定着した印象があります。
お隣韓国では1000万画素とか言ってるのとは、随分な違いです。

でも、これはこれでいいと思います。
だって、ケータイに500万画素以上あっても、
ユーザが使いこなせるとは思えません。

ケータイのカメラの使い道って、そのほとんどは、
友達にお気に入りの写真をメールで送るとか、
子供の写真を待ち受けにするなど、「低解像度」で十分、
という役割がほとんどのはずです。
あまり語れる事はありませんが、例えば、近頃のケータイの液晶は
ほとんどがQVGAサイズ。これだと、解像度は
「240×320=76.800」、なんと10万画素にも及びません。
少しずつ増えてきたVGA解像度にしても、
「640×480=307.200」でやっと30万画素。
日常利用では、メガピクセルどころか、
50万画素もあれば御の字、という事になってしまいます。

※もちろん、等倍の解像度で撮影するより、
大きい解像度で撮影してから小さく縮小する方が、
ディザリングが効くので綺麗に見えるようになる、というのはありますが。

とはいえ、後でプリントしたり現像したりする、という用途があれば、
当然画素数は多い方が有利です。

それでも、いくら高解像度になっても、
ケータイ用のカメラに載っているレンズには限界がありますし、
そもそもキャップもついてないのでゴミや指紋がいっぱいなので、
ホンモノのデジカメの画質を得る事は、ほとんど不可能かもしれません。

※そういう意味で、今度auから発売される「EXILIMケータイ」は、
どこまでEXILIMと呼べる画質を確保しているのか、とても興味津々です。

さて、今回はケータイの画質についての考察です。
何はともあれ、以下の2枚の写真をご覧ください。

So_1

Ca_1

これは、先日、臨時特急「あやめ」を撮影しに行った時、
手持ちの2台のケータイで撮影した画像です。
上はDoCoMoの「SO902i」、下はauの「W41CA」です。
それぞれ、最高の画質モードで撮影してあります。

上の写真は、本来は、SOは「2048×1536」(QXGA)、
CAは「1600×1200」(UXGA)の解像度で撮影したものを
「800×600」(SVGA)に縮小しています。
パッと見、どちらが綺麗に見えますか?
SOの方が、緑も空も鮮やかで、晴れた日の田園、って感じがしますね。

では、それぞれ、写真の一部分を拡大したものをご覧ください。

So_kakudai

Ca_kakudai

※参考に、*istDs+「SMC-A 35-105mm」で撮ったものも。
ds_kakudai

橋の部分を、一反「400×300」のサイズで画像を切り抜いた上で、
解像度を倍にして「800×600」にしたものです。
なので、ピクセルあたりだと4倍に拡大される、という事になります。
やはり、上がSOで、真ん中がCAです。
(参考のDsは、RAWで撮影したものを、「RawShooter」で現像)

どうでしょう、CAで撮った方が、木々がはっきり写っていて、
SOの方がグジャッとなっています。
もはや、ベタで塗りました、と言ってもいい位です。
こうなると、「高画素=高解像度」、とは言えない気がします。

この「グシャ」加減は、カメラの性能云々以前に、
JPEGに圧縮する時に発生する問題だ、と思います。
いくらCCDないしCMOSが高解像度でも、ファイルサイズを抑えるために(憶測)
JPEGの圧縮率を高めてしまうと、こういう事になってしまいます。
(ちなみに、作例だと、SOは985KB、CAは698KBです。)

上の作例だと、CAで撮った方もナニな気がしますが、
これは相当キビシイ条件での写真になると思います。
実際、この日は結構風がありましたから、手前の田んぼは「ユサユサ」と葉っぱが揺れてました。
カメラのJPEGエンジンも、「おいおい、こんな写真撮るなよ、圧縮するの大変なんだから」
と悲鳴をあげそうな状況です。
日頃は、デジカメで撮ったのと大差ないような、かなりシャープで綺麗な色の写真が撮れます。
なので、SOの300万画素は、完全に「宝の持ち腐れ」状態です。残念ながら。

さっき、ファイルサイズが、と書きましたが、
これも、ケータイデジカメの「限界」の1つの要因だと思います。
普通のデジカメだと、バッファメモリを大量に積んでいるので、
実際にはメモリカードへの書き込みが済んでなくても、
次の動作にすぐに写る事ができます。
これが、昔のデジカメだと、相当大変だったんですけどね。
詳しくはいずれ書きますが、手持ちのNikon Coolpix880だと、
tif画像1枚保存するのに30秒くらいかかる・・・@@@
ケータイだと、そもそもデジカメのためにメモりを載せる事は限度があるでしょう。
でも、ユーザの立場だと、さくさくと保存し、どんどん撮れないといけない。
実は、SOでもかなり書き込みは遅く、写してから、次の体勢に入るのに10秒くらいかかります。
カメラやIT機器に疎い人には、こういう挙動で時間を取られるのは、かなりキビシイと言えます。
するとどうしてもJPEGの圧縮率を高くしてファイルサイズを少しでも小さくし、
保存や再生の挙動を早く見せる・・・、という方向に行くのではないでしょうか。
画質とサクサクのバランスをとる、というのは大変そうですね。

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2007年6月17日 (日)

183系臨時「あやめ」

070616_ayame
PENTAX *ist Ds
COSINA 19-35mm F3.5-4.5 (28mm域)
1/500秒 F7.1
JR総武本線 物井-佐倉間
2007年6月16日

関東圏から183系の定期特急が無くなって、もうどれくらいになるのでしょう。
それでも、「ホームライナー」とか、臨時列車(修学旅行臨など)で毎日走っているので、
幻、というほどではないですが、それでも、たまたま新宿駅で見かけたりすると
「あ、183系!」と喜んでしまいます。どうにも、国鉄時代の列車が好きです。

2007年の6月の土日、臨時「あやめ」号として183系が復帰する、
という予告がJR通勤電車の車内広告に載っていたので、
これは撮りに行かねば!、と心に誓いました。
実はいつもは、この手の臨時列車を写しに行くことがありません。
なぜなら、同じ電車を撮るために、多くの鉄道ファンが訪れるわけで、
自分まで同じ写真を撮ることはなかろう、と思ってしまうのです。
ひねくれている、と言われると、いや、まさしくその通り、と答えざるを得ません。
我ながら、天の邪鬼だなぁ、と思います。(30歳にして反抗期??)

総武線で撮影した事がある人なら、この写真を見るだけで、
ああ、あそこね、あの道をこう行って、踏切を渡って・・・、
と目星がつく事でしょう。
総武線+写真を撮る=物井、と言われる名撮影ポイントです。

ホントは、もっと踏切(この写真では、もう少し右の方)のたもと辺りから
望遠レンズを使って、というのが定番中の定番ですが、
もうすでに何名かがそこで撮影されてましたし、
自分まで同じ写真を撮ることはなかろう、
(あ、また天の邪鬼になってしまいました)という事で、
少し離れたあたりに三脚を立てて、約2時間、撮影してきました。

もう都心からは姿を消した113系がまだ現役で走っている事も、
とても嬉しいです。MT54の、「ギヤ~~~~」という独特のモーター音、
随分久しぶりに聞きました。

※折角なので、そちらの方もご紹介。
imgp864501.jpg
PENTAX *ist Ds
COSINA 19-35mm F3.5-4.5 (28mm域)
1/500秒 F8
JR総武本線 物井-佐倉間
2007年6月16日

懺悔しますと、
一番上の「あやめ」の写真、偽造しています。
撮影したのは17:50くらいで、
山の影が、手前の田んぼ一面を覆っていました。
なので、1時間ほど前に撮った同じアングルの写真から、
田んぼの部分だけをコピペしました。
ちょうど、線路を境に、上下が違う写真、という事になります。
日頃、この手のレタッチはしない主義なのですが、
今回は、「うまくいくかな?」という興味本位もあり、やらかしてしまいました。
この写真は縮小しているので、継ぎ目もほとんど消えています。
等倍だと、さすがに分かっちゃいますけどねぇ。

今回撮影に使ったレンズ、
今やカール・ツァイスのレンズの生産を委託されるまでに成長?した、
長野の名門、COSINAの隠れた名レンズ、19-35mmです。
3ヶ月ほどまえ、有名な中野のカメラ屋で買いました。
なんと、新品で6980円!
ちょうど、このレンズの安いの無いかなぁ、と思い、
うろうろ探していたところにドンピシャだったので、迷うことなく購入。

トキナーにもOEMされているというだけあり、基本性能はしっかりしています。
もちろん、何万~何十万の高級レンズと並べて比べるのは無理がありますが、
最小限の機材で押さえたい時の1本として、かなり重宝しています。

初めての撮影ポイントに行くときは、やはり、単焦点レンズは怖いので、
ズームレンズがメインになります。
目下は、以下の3本が「定番」です。

COSINA 19-35mm F3.5-4.5
PENTAX-A 35-105mm F3.5
TAMRON 60-300mm F3.8-5.4 23A
(+キャップ代わりの、PENTAX-DA 21mm F3.2 Limited)

これで、19~300mm(35mm換算で約28~450mm)をカヴァーできるので、
撮れない写真はほとんどありません。

ちなみに、35-105mmは、多少カビありを4800円で、
60-300mmは兄貴からのお下がり、という事ですから、
実に安上がりなレンズ群である、という事が言えます(汗

※遊びついでに、こんなことをしてみました。
070616_tsugirama
PENTAX *ist Ds
COSINA 19-35mm F3.5-4.5 (19mm域×4枚)
JR総武本線 物井-佐倉間
2007年6月16日

「パノラマ写真」と言えば、ひたすら横に長い写真の事ですが、
それを擬似的に、複数枚の写真を撮って後から並べてみたものです。
これ、我が家では「継ぎラマ」と呼んでますが、これは一般的な呼称なんですかね?
まだ同時プリントの時代は、アルバムの上で写真を並べて再現していましたが、
そういえば、デジタルならPhotoshopでつなぎ合わせられるな、と思い、
これもお遊びでやってみました。
昔、ネガの時代もよくやったので、それもスキャンしてつなぎ合わせてみようかな、
と、今思いました(笑)

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2007年6月16日 (土)

在りし日の急行「砂丘」

93032x_12
Canon EOS630QD (多分)
EF70-210mm F4.5-5.6USM (多分)
KONICA XG400
JR因美線 美作河井駅付近 (多分)
1993年3月20日頃

多分だの、頃だのが多いです。
これには理由があって、当時写した写真は、ネガだけこっちに運んできていて、
現像した写真を挟んだアルバムは実家に置いてあります。
各種メモはそこに書いてあるので、実はよく分からなかったりするのです。

※また、当時は記憶力に自信があったのか、
「自分の行った場所は全て覚えている」というつもりでいた記憶もあります。
若僧だったんだろうなぁ・・・

急行「砂丘」です。
まだまだ、キハ58、28、65が現役バリバリ、というか、そろそろお疲れモード?、
って頃になるでしょうか。
全国を見渡せば、何も珍しくなかったこの「国鉄急行色」の気動車が、
今となっては化石同然になるんですから、時代は変わったな、って思います。
僕が幼少の頃に見慣れた列車でもあり、寂しさを覚えます。

そういえば、まさにこの因美線を、先月、JR四国の国鉄色キハ58が、
イベント列車として走ったんですよね。
その頃僕は、実家に帰省しており、
日常的にはこの国鉄色キハ58が走っている土讃線で撮影しておりました(汗

※折角なので、その時に撮った写真も。
imgp079001
PENTAX *ist Ds
SMC PENTAX-DA 21mm F3.2 AL Limited
1/500秒 F5.6
JR土讃線 讃岐財田-黒川間
2007年5月2日

「白と水色のツートン」の気動車も、
登場時は「変なの~」と思いましたが、今となっては、これも懐かしい塗色です。
すっかり老体となった58や65ですが、四国では、今のところ元気に走ってくれているようです。
でも、1500系が量産されるようになれば、いよいよ引退・・・、になるんでしょうかね。

話しは戻ります。
なぜ、美作河井(みまさかかわい)駅で撮ったように思うか、と言いますと、
写真左下の方に、赤と黄色の、古そうな信号が見えると思います。
これが、美作河井駅のシンボルである、というような事が、
ググってみると書いてあったからです。付近の様子も、それっぽい気が。

この時でも、このタイプの古い信号機や、「タブレット閉塞」はかなり珍しく、
写真を撮る際も、是非それらのものを一緒に撮りたい、と思ったような気がします。

この写真は、現在でもお気に入りの1枚です。
急行色の汽車も好きなのですが、背景の山、
向かって右側の山の緑、
左側の薄くもやがかかったところ、
これらの風合いがとても気に入っているからです。
当時僕は、これを「水墨画っぽい写り」と称していました。
なんとなく、言いたいところは分かってもらえるでしょうか。

僕がコニカのフィルムにこだわり始めたのも、この写真の頃からです。
富士やコダックだと、こういう雰囲気は出ないだろう、と思いました。
以来、今日に至るまで、コニカのネガが大好きです。

DNPのCENTURIAでも、こんな「水墨画チック」(自称)な色合いが出せるのか、
こういうシチュエーションでのテストはまだなので、とても楽しみにしているところです。

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2007年6月15日 (金)

あまり撮った事のない白黒写真

写真を撮り始めて18年になるが、いわゆる白黒写真を撮った事はほとんど無い。
僕の記憶だと、以下の写真を撮りに行った、その時だけなように思う。
920429_22
EOS630QD
EF35-70mm F3.5-4.5
FUJI NEOPAN F
1/20秒 F11
Kenko YA3フィルター使用
JR高徳線・徳島線 佐古駅構内
1992年4月29日

そもそも、僕が白黒写真を撮らなかった理由がひねくれている。
当時、多分珍しい彗星が近づいているか何かの理由で天体撮影のイロハが載った本を買った。
すると、後半は白黒フィルムの現像、印画の解説が載っていた。
「自分で現像ができる!」というのは、当時中学生だった僕には非常な驚きであった。

と同時に、確かこの本に書いてあったと思うのだが、
「白黒フィルムをラボに持ち込んで現像、プリントするのは邪道」
という固定概念ができてしまった。
なので、もし、白黒写真を撮るなら、全ての現像セットを揃えてから!、と思ったわけである。
本格思考と言えば聞こえはいいが、あの時、そう意固地にならなければ、
もっといろいろ気軽に白黒写真を撮って楽しんでいただろうなぁ、と思う。

この佐古駅というのは、この数ヶ月後に、高架線への切り替えが行われる事になっていた。
(ほんの少し、写真一番右に橋脚らしきものが写っている)

地上線の記録を残さねば、と思い、なら、なんとなく白黒の方が「昔懐かし」っぽい雰囲気になるかな、
という単純な理由で白黒撮影を敢行したのである。
当時は高校に進学したばかりの頃で、あまり深いことを考えず、何も恐れず好きな事ができたんだな、
と、自分の事ながら驚いてしまう。
「若かったあの頃、何も怖くなかった」
とは、かぐや姫の名曲「神田川」の一節だが、
ホント、男30歳にもなると、その意味が分かってくるものだ。

初めてのモノクロ、という割には、事前に勉強していたのであろう、
オレンジ色のフィルターをつけてコントラストを上げる試みをしている。
でも、「NEOPAN F」というフィルムは、コントラストをあげての撮影に向いているのだろうか??
ASA32などという超微粒子フィルムなんだから、
もっとフラットな感じの作画の方が実は良かったのだろうか。
などと、白黒は全く無知なのでよく分かりません。すいません。

実は、先日、ものすごく久しぶりにモノクロフィルムを買った。
もう無くなっていたとばかり思っていた、Kodakの「TRI-X」だ。
いつの間にか「400TX」なんて名前になり、パッケージもおしゃれ?に変わったが、
写りはどうなんだろう。
実は、いずれ妻になる予定の彼女から
「部屋に白黒の写真を飾りたい」というリクエストを受けており、その撮影用に買ったのである。
古い建物とか、都会の風景を、という事なので、微粒子のすっきりしたフィルムよりは、
高感度なフィルムで「ザラッ」とした感じがいいかなぁ、と思い、TRI-Xにしてみたわけだが、
実はこれがTRI-Xデビューなので、ホントは、どんな写真ができあがってくるのか分かっていません。
とても楽しみです。

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2007年6月14日 (木)

鉄道の安全性

最近、電車の発車の際の事故が2件、報道された。

5/25 JR
6/13 小田急

いずれも、電車が発車する際、
扉に人が挟まれたままで電車が発車し、
挟まれた人が怪我をした、というもので、
鉄道会社の安全意識に疑問を感じるものである。

が、この、一見似たようなこの2つの事件だが、
個人的に、第一報を聞いた時の主観的感想は異なった。
前者のJRの事故は「とうとう、やったか」であり、
後者の小田急は「え、小田急が?」であった。

これは、えこひいきとかではなく、理由があっての事である。

それにはまず、
電車が駅から発車する時の状況をさらっておく必要がある。
(※都市部の通勤電車に関してです。
地方のワンマン列車などは、また状況が異なりますので)

まず、「以前のJR」、あるいは「国鉄時代」にさかのぼってみる。

発車のベルを鳴らすのは、基本的に車掌の仕事。
駅につくとまず、車掌は電車から降りて、
発車ベルのあるところまで移動する。
都会の場合、ここで特に待つ事無く、
すぐに発車のベルを鳴らす。

鳴らし終わると、車掌は再び車掌室(後部運転室)に戻る。
ドアを開けたまま、各車両のドアの様子を肉眼でみながら、
ドアを開閉するスイッチを「閉」にいれ、ドアを閉める。
もし、誰か挟まれそうになったら、即座に「開」に入れる、
という事である。

ドアが正常にしまると、車両のサイドにあるランプが消える。
それに加え、実際の各ドアの状況を目視で確認した車掌は、
開閉スイッチ付近にあるブザーを鳴らす。
このブザーは最前部の運転室に繋がっていて「ブー」と鳴る。
これは、車掌から運転士への「発車オーライ」の合図、というわけである。

電車は動きだし、車掌は車掌室のドアをバタンと閉めるが、
今度は窓を全開にし、ほぼ半身を乗り出してホームの様子をのぞむ。
誰か、電車に巻き込まれたり、ホームから落ちたりしてないか、
確認するためである。
電車がようやくホームから離れた頃、車掌は窓をしめ、
次の駅の案内放送を車内に流す。

都会で毎日通勤電車に乗っている人でも、
こんな、車掌の一挙手一投足まで観察している、
という方は少ないのではなかろうか。

さて、変わって最近のJRであるが。

山手線や総武線に毎日乗ってらっしゃる方は、
最近の電車が、扉がしまる→即発車する、事に気づかれるであろう。

実は、最新式の電車が入っている通勤電車は、
上記のうち、「車掌がブザーで運転士に安全を伝える」
という段取りが省かれている。

では、運転士はどうやって安全を確認しているか、というと、
運転室に各車両の状況を表示するモニターがあり、
ドアが正常に閉まれば、その状況も表示されるのである。
ドアが閉まる、ちゃんと閉まったと表示される、
すぐにノッチ(アクセルに相当)を入れる、という事である。
もし、何か異常があれば、車掌が見つけて直接ブレーキをかける、
という事なのであろう。

今回の事故では、モニターに異常は示されなかったらしい。
つまり、ベビーカーが挟まれている事に、
運転士は気づかなかったわけである。

近頃の電車は性能がいいので、
ものの数秒で結構なスピードになる。
車掌は、ドアを閉めると、(電車はすぐに動くので)
すぐに車内に入り、振り返って窓をあけ、
外の様子を確認する…、という間に、
多分5mとか10mは余裕で進んでいると思う。

上記の事故は、きっと、このわずか数秒の間に起こったのでは、
と考えている。

「テクノロジーを過信すると、必ず事故が起きる」
と前々から思っていたが、
本当に事故が起きてしまい、残念至極である。

が、この報道に接した時、また同時に、
「小田急のようにしっかりとした安全確認をすれば、
こんな事故は起こらなかったはずだ」と思った。

その小田急も、同様の事故を起こしたのである。

これも、小田急に毎日乗っておられる方じゃないと分からないと思うが
(そう、僕がそうなんですが)、
小田急は、ドアが閉まってから、電車が動き出すまで、
だいたい10秒くらいの間がある。
その間、車掌はホームから各ドアの状況を目視で確認し
(ホームに係員がいる場合は、当然、ホーム側からも確認)、
問題なければ電車に乗り込み、ドアを閉め、
窓を開け、もう一度半身を外に乗り出したくらいのタイミングで
運転室へのブザーを鳴らす。
運転士も、この段階ですぐにノッチをいれず、
「出発」の信号が「進行」になっているかを指差し確認し、
その後初めてブレーキをゆるめ、ノッチを入れる。
その間、なかなか電車は発車しない。

完全に「ダイヤに追われている」JRとは違い、
かなり過密なダイヤの小田急がこういうゆとりある発車確認をしているので、
JRのような事故は起こらない、と思っていたのである。
僕が、第一印象で「え、小田急が?」と思った理由も、
分かってもらえるかと思う。

では、どうするのが安全なのだろう。

解決策は簡単だと思う。
「テクノロジーに過信せず」、「目視にも過信せず」。
しかし、その簡単な事が、なかなか実現できない。

小田急は、まだ比較的古い通勤電車が走っている事もあり、
最新の電車のように、各車両の状況を伝えるモニターが
運転室に備わっていないものも多い。
今回の事故は、きっと、この車両が編成に含まれていたのでは、
と思われる。

仮に、目視で見落としたとしても、
運転室のモニターが異常を伝えてくれれば、
電車を発車させずに待機する事もできるだろう。

今回の事故は、駅ホームに係員がおらず、
車掌も10代の若者だった、と報道されていた。
まだ未熟だったのであろう。
未熟なうちは失敗はつきもの。
しかし、鉄道の安全輸送に失敗は許されない。
誰かが失敗しても、それをカヴァーできるバックアップ体制が必要だ。

旧型車にも最新型並のモニター装備を搭載するか、
あるいは、一鉄道ファンとしてはつらいところではあるが、
旧型車はなるべく早く淘汰して新型車に統一する事で
テクノロジー面での安全性を高める事が必須であろう。

JRは、以前のように、車掌が目視確認する時間を設けるべきだ。
そこまで急いで電車を運行してどうするのだろう?
あの福知山線の事故の教訓は生かされているのだろうか。

にしてもしかし、あの運転室にあるモニター、
どれほどの精度なのであろう。
服やスカートの裾が挟まった事が分からなかった、
とかならともかく、JRの事故ではベビーカーの脚が挟まれたと聞く。
それは、結構な異物とセンサーが感知するべきレベルではなかろうか?
同様のサイズだと、傘の先端、薄めのカバンなども、
センターに感知されず「正常にドアが閉まった」
とモニターに映し出されても不思議ではない。
なんともゾッとする話しである。

鉄道の安全性は、まだまだ鉄壁ではない。
そう思わざるを得ない、2件の事故であった。

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2007年6月13日 (水)

原点・EOS630

初めて一眼レフのカメラを手にしたのは1989年10月10日、小学6年生の時。
今から振り返ると、なんとませたガキであろう。
でも、親は「どうせ買うならいいもの」という主義だったので、
ひょっとしたらドブに金を捨てる事になるかもしれない英断をしてくれた。
しかも、レンズセットで10万を超える買い物だ。
感謝の念に堪えない。

当時はほとんどおもちゃだったが(なんと贅沢な!)、
次第に「写真道」(?)に目覚め始めた事は、
前回のエントリーにも書いたとおりである。

途中、EOS5やAV-1、P30Tなどいろんなカメラを手にしつつも、
このEOS630だけは「標準機」としてもっとも大事にしてきた。
いざ、という撮影では、必ず大役を任せる旗艦であった。

しかし、2001年のお盆、突然シャッターが故障した。
故障、と書いたが、正確にはEOSの持病、
シャッターのダンパーゴムの劣化が始まっていたのである。

すぐに治せば良かったのだが、
当時は学生で金が無かった事、
写真熱が冷めていた時期であった事、
そして、仮にもEOS5があった事などの理由で、
そのまま「休車」と相成った。

その後、就職だ転職だで、撮影に行くこともほとんどなくなり、
EOS630はまさしく「置物」「荷物の肥やし」状態の日々が続いた。
気がつけば、ミラーやペンタプリズムにカビもはえる始末。

2005年の頭に*ist Dsを買った事で、再び写真を撮り始める。
しかし、ネガで写真を撮る事は皆無であった。
現像代はかかるし、ラボの質も昔よりは落ちた(と思う)。
デジタルなら消耗品不要だし、その場で結果も分かる。
もう、銀塩で写真を撮ることはあるまい、と思っていた。

その後、コニルタの写真事業撤退により、
「コニカカラー」のフィルムが作られなくなった事から、
あのフィルムでまた撮りたい、という願望が沸いてきた。
一応、PENTAX MXを中古で買い求めたりしたが、
ふと、手元の愛機の事を思い出した。
「まだ直せるのだろうか・・・」

シャッターが不良を起こして6年弱、
ようやくEOS630はキヤノンのサービスステーションへ入院となった。
スタッフ氏は「もう部品があるかどうか・・・」
と弱気な事を言っておられたが、無事に修理は完了し、
久しぶりに我が愛機は息を吹き返した。

070415_09
EOS630
EF35-70mm F3.5-4.5 (テレ端)
Konica-Minolta Centuria Super 400
1/1000秒 F4.5
小田急 喜多見駅構内
2007年4月15日

070610_20
EOS630
EF35-70mm F3.5-4.5 (ワイド端)
Konica-Minolta Centuria Super 400
1/1000秒 F5.6
小田急 代々木八幡-参宮橋間
2007年6月10日

購入以来18年目にして新しい写真を撮れる喜び!

不思議と、EOS630とEF35-70mmの組み合わせだと、
*istDsやMX、EOS5では撮らない、撮れないような写真を撮りたくなる。
真に相棒と呼べるカメラだからこそ、
感性を委ねる事ができるからかもしれない。
そう思うと、血の通ったこのカメラで、
もっと作品を残さねば、と改めて誓うのであった。

*10/06/17: 一部誤字修正、他。

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2007年6月11日 (月)

ゼロKmポスト

920211_02
MINOLTA XE
MC 50mm F1.4
Konica superSR
1/125秒 F11
JR牟岐線 地蔵橋-中田間
1992年2月11日

15年も前に撮った写真です。
古いネガからのスキャンなので、結構痛んでいます。

随分暗いというか、寂しい写真ですが、
この1枚の写真が、今の僕の原点である、と言えるものです。

この頃、『鉄道ダイヤ情報』誌には「添削教室」というコーナーがありました。
まだフォトコンなんて腕前じゃないし、と思った僕は、
まずはこのコーナーで腕試しを・・・、というのは表向きの理由。
ホントは、このコーナーに載れば副賞としてフィルムがもらえる、
という目先の理由です(笑)

でも、本心は、こんなド田舎で撮った写真、
見てもくれないだろうなぁ、と思ってましたので、
いざ、ホントに紙面に載っているのをこの目で見たときは、
あまりの事に混乱してしまった覚えがあります。
当時、中学2年生。
それまでは、ただ写真が好き、鉄道が好き、
という感じで写真を撮っていたのが、
この1枚をきっかけに、
レンズの選択、フィルムの選択、ラボの選択、撮影場所や日時の選択、
などいろいろな事を考えながら撮影するようになりました。

言ってみれば、この写真は僕にとっての
「ゼロKmポスト」です。

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2007年6月10日 (日)

紫陽花の季節

Imgp856801

Imgp858001
PENTAX *ist Ds
SMC PENTAX-DA 21mm F3.2 AL Limited(※トリミング済み)
(上)1/400秒 F4.5 (下)1/800 F4.0
小田急 代々木八幡-参宮橋間
2007年6月10日

写真を撮り始めて18年にもなる割に、
紫陽花と電車のコラボ(?)を撮った事ってなかったような、
という事で、豪雨の過ぎ去った東京で写してみました。

上の写真はまだしっとりしてます。
この方が紫陽花っぽい感じがする、気がします。
下は、かなり晴れてきて、「ど」がつく程の逆光ですが、
さすがLimitedのSMCレンズだけに、
フレアもゴーストも出ません。脱帽です。
いざ、という時には、必ず使う「伝家の宝刀」です。

今回、メイン機材は「EOS630QD」+「EF35-70mm F3.5-4.5」、
フィルムは「コニルタ CENTURIA 400」なんですが、
現像があがってくるのが火曜日なので、
試写したデータをフライングで公開。

ヨ○バシの現像受付カウンターにコニルタのフィルムを出したら
「Kodakにしますか、Fujiにしますか?」と聞かれました。
Konicaのフィルムでも、純正仕上げ=Kodak、
という扱いになるようです。
違和感ありますが、そうすれば正規の現像液で仕上げてくれると思うので、
時間はかかるけど、「Kodak純正仕上げ」を頼んでみました。

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DNP CENTURIA 200

コニカミノルタが写真事業撤退を発表し、
長い伝統を持つカメラ、フィルム事業に終止符が打たれると知り、
非常にショックを受けた事を覚えています。
幸い、カメラ事業はSONYが引き取ってくれました。
でも、フィルムなんて儲からない事業は、
どこも引き受けてくれないだろうな…、と思っていたら、
大日本印刷(DNP)が引き継いでくれる、と知り、
これで、「サクラカラー」の伝統も安泰だなぁ、
と安堵しました。

しかし、肝心のフィルムは自社生産ではなく、
他社のOEMであるという話しを聞くに及び、
再び奈落の底へ突き落とされるような気分でした
(ちょっとオーバーでした)

果たして、新生「CENTURIA」はどんなフィルムなのか…、
先週試写した時の写真をアップしてみました。
Dsp070602_09
PENTAX MX
Super-Multi-Coated TAKUMAR 300mm F4(※トリミング済み)
1/1000秒 F4(開放)
DNP CENTURIA 200
小田急 向ヶ丘遊園-生田間
2007年6月2日

まぁ、お世辞にも高価とはいえないスキャナで取り込み、
Photoshop上でいろいろやっている画像ですから、
これをDNPそのものの色、と申し上げるつもりはありませんが。

世間でのDNPの評価は、
「やっぱり、OEM先(と言われている)Kodakそのもの」
という意見と
「Kodakとは違う。どことなくKonicaっぽい感じ」
という意見に分かれているようです。
個人的には後者の印象を受けました。
決して派手ではない色遣い、どちらかというと渋めの画作りは、
コニカ=サクラのフィルムの特徴なような気がします。

とはいえ、以前のコニカのフィルムとは違う点もあります。
どことなく、キメが細かくなったというか、
粒状性が向上したというか、切れ味が良くなった気がします。

上の写真で言えば、ペンキをベタに塗った部分を、
ピクセル等倍に拡大してみた時
(作例は縮小しているので、あまり分からないですが…)、
例え白い部分であっても、実はいろんな色の点が混じっていて、
引いて見た時にベタに見える、というのがネガっぽ描写だ、
と個人的に勝手に思っています
(点描のよう、とでも言いますか)。
でも、DNPのフィルムだと、そういう印象がありません。
これを「デジタル的」と言って良いかどうか分からないですが、
分かりやすく言うと、そういう事になります。
架線付近に色収差?が出ているところなど、
包み隠さずしっかり描写されていますし。

…と、言葉で説明しても分かりにくいので、
今度、実例を挙げてみる事にします。

使いやすくて良いフィルムですが、
でも、僕自身が「ネガっぽい」と思っていた描写は、
新しいフィルムでは得られないのかもしれません。
あるいは、今回試したのがISO200だったので、
来週半ばに出荷される(らしい)ISO400で試してみたら、
そんな雰囲気が残ってるかもしれないな、
という一縷の望みを託しています。

*ちなみに今回、初DNPという事もあり、
ヨド○シで現像に出す時に、試しに
「純正仕上げでお願いします。同時プリントで」
とお願いしてみました。
すると、Kodakラボ行きの黄色い袋にフィルムを入れ、
備考欄に「DNPペーパー」と書き込んでました。
DNPの印画紙はコニカから引き継いでいるので、
同時プリントは以前の「っぽさ」そのものです。
また、仕上がった写真を取りに行き、
その黄色い袋から、ネガの入っている袋を取り出すと…、
Ca330085
「コニカカラー百年プリントPANORAMA」
のネガ袋が入ってました(爆)

※DNP CENTURIA関係のエントリーは、以下もご参照のほど。
サンニッパ+DNP CENTURIA 100=LSE旧色

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2007年6月 9日 (土)

鉄道を撮るのが好きです

鉄道が好きになったのは、
まだ物心がついてない頃からだと思う。
生まれ育った家の2階のベランダからは、
国鉄(当時)の牟岐線を見ることができた。

当時は、まだキハ55や、オハ35、DE10、貨物列車、荷物列車など、
いろんな汽車が走っていた。
それを、飽きもせずにずっとみていた。
「あ、今度はレッドトレインだ!新車だ!」
などと思いながら興奮していた事を覚えている。
もう25年近く前の話し。

そんな、昔を思い出すような写真も、
このブログで紹介していければ、と思っている。
921112_01
Canon EOS630QD
EF70-210mm F4.5-5.6USM
1/350秒 F4.5
Konica Impresa50
JR牟岐線 地蔵橋-中田間
1992年11月12日
※デュープ機材
Nikon D7000
Canon New FD50mm F3.5 Macro

今年の正月に、透過原稿スキャン付きの複合プリンタを買って以来、
古い写真を掘り起こしてみるのが楽しくなった。
これは、まだ発売されたばかりのコニカのネガフィルム「Impressa」
を試してみた時の1枚。
当時はまだ中学3年で、カメラを手にしてからまだ3年。
この素晴らしいフィルムの真価を知る事もなく、
ただ適当に撮っていた記憶があるが、
オレンジベースに残されていた画像をスキャンしてCRTの画面で見た時には
ハッと息を呑んだ。なんと柔らかく、なめらかな画なんだろう。
そしてまた、このフィルムを二度と使う事ができない、
という現実もある。悲しい事であるが、一市民ではどうもできない事でもある。
もっと早く、このフィルムの良さに気づいておくべきだった、と後悔する写真である。

*追記(13/02/06):写真を差し替えました。

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序にかえて

さっき、30歳になりました。

というわけではないですが、

ブログを書いてみる事にしました。

基本的に、鉄道写真がメインのブログです。

そうじゃない事も書こうと思っています。

何よりもまず・・・、


今のところ、非常にいけてないデザインなのは心得ています(汗

自力でスタイルシートを書こうとしてます。
なので、まずはTypepadのイロハを学ぼうと思います。

自分にも、そしてたまたまここに辿り着いた皆様にも、
末永くお付き合いできるブログになりますように。

※挨拶代わり?に、今年の頭に撮った写真を。
Imgp774502
PENTAX *ist Ds
SMC PENTAX-DA 21mm F3.2 LA Limited
1/1000秒 F3.2(開放)
JR中央線 東中野-中野間
2007年3月3日

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