50系in高松駅
91年末から92年元旦にかけて、
紀伊半島に撮影旅行に行きました。
主な目的は、引退がせまっていた、
82系「南紀」を写しに行く事でした。
その写真も、追って紹介しようと思ってますが。
以前のエントリーで、
徳島駅構内で撮影した50系+DE10をご覧いただきましたが、
今回は、高松駅で撮影した50系です。

Canon EOS630QD
EF35-70mm F3.5-4.5
FUJI REALA
JR高松駅構内
1991年12月30日
徳島駅を早朝に出発し、高松駅には朝8時頃着。
8時、という割には、空の色が「日の出」っぽいですね。
レタッチの仕方が悪いのかもしれません(汗
6両の50系に、(写真では小さいですが)DE10がプッシュプル。
常に、この状態で徳島-高松間を往復していたんだろう、と思います。
赤い機関車に赤い客車、という編成美が懐かしいです
(赤い機関車に青と茶の客車、も好きでしたが)
でも、50系というのは「不運」な車両だと思います。
登場した時期は、201系ともえらく変わらない昭和52年。
あと10年もすれば、国鉄はJRになってしまう時代です。
客車は、機動力のある運営ができません。
気動車だと、1両でワンマン運転、なんてできますが、
1両の客車を1両の機関車で引っ張る、なんていうのは、
非常に非能率的かつエネルギーの無駄です。
終着駅で、機関車の向きを変えるのも大変です。
考えようによれば、50系を増備せず、キハ40や47を増備したり、
どうしても客車が必要なら12系を改造して普通車に転用したり
(と、これは後に実施されますが)、
といった事でまかなえた気がします。
国鉄時代は、そういう発想が無かったかもしれないですね。
機関車も機関士もいるから、引き続き客車で、という事なのか、
あるいは、客車から客車の方が予算が取りやすかったのか。
ともあれ、「ローレル賞」受賞の名車の割には、
はかない運命の車両だったな、と思います。
個人的には客車が好きである、という事は、
上記のエントリーに書きました。
なので、決して批判しているわけではございませんので。念のため。
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