徳島運転所のオエ61 1
徳島駅には、徳島運転所という車両基地が併設されています。
昔は、キハ20にキハ35、キハ45、キハ55、オハ50、DE10…、
など様々な車両が留置されていて、
しかも朱一色だったり急行色だったり茶色だったりと、
とても変化に富んでいて、幼心にとても楽しかった事を覚えています。
マヤ検がいようものなら、それはそれは狂喜乱舞。
今は、1000系に1500系、2000系、キハ40、キハ47あたりがほとんどで、
たまにキハ58+65、185系がいるかなぁ、という程度。
以前のように、「アイランドエクスプレス四国」の50系がDE10に引かれ、
という光景を目にする事もありません。寂しい限りです。
寂しいといえば、その徳島運転所の奥の方に、
1両の旧客が保管されていました。
国鉄からJRになり、何年も、十何年も、ずっと留置されていて、
もう、すっかり景色にとけ込んでいました。
でも、去年の春頃、帰省した折に付近を歩いてみると、
なんと、撤去されていたではないですか!
もう、がっくりとしてしまいました。
僕の中では、徳島運転所の「主」のような存在で、
そこにいるのが当たり前だと思っていたので…。
あまりに古いので、台風か何かで自壊してしまったのかもしれません。

PENTAX superA
Fuji Super HG 1600
1996年4月頃
僕がこの車両を特に気に入っていたのは、その番号も理由の1つです。
ずばり、「オエ61 1」。なんとトップナンバー。
基本、トップナンバーと900番台が好き(?)な性格なので、
この救援車が「1」だと知った時は、「徳島にもこんなのが!」
と、とても嬉しかった事を覚えています。
でも、当時は今のようなネット時代でもなく、
それほど世間に知られる事の無かった旧客です。
その頃は、JR東日本の高崎運転所が、
各地から旧式の機関車や客車を集め、整備していた頃で
(今、その多くは、横川の博物館に展示されています)、
このオエも、高崎に持って行けば大事にしてくれるはず!、
それとも、多度津に運んで、DF50と一緒に保存する方がいい!、
などと、子供っぽい純粋な、でもなかなか渋い事を考えていました。
国鉄時代末期は、時々、構内で動かしているのを、
幼心に目撃していて、鮮明に覚えているのですが、
JR化後は、動いたところを見た事がありませんでした。
もう一度、DE10がオエを引くところを見てみたいなぁ、
と思っていましたが、そんな夢がかなう事はなく、でした。
ところで、この写真、なんでISO1600なんてフィルムで撮っているのか。
実は、本来は、当時地球に最接近していた「百武彗星」
を撮影するために買ってきたフィルムが、
まだsuperAの中に残っていたので、ついでだから消費してしまおう、
と思って撮った中の1コマだったりします。
折角なので、彗星の写真も。

PENTAX superA
Fuji Super HG 1600
1996年3月26日
僕が撮る写真の95%くらいは鉄道ですが、
もちろん、違うものも撮ります。
中でも星は、もともと、小さい頃から星や星座が好きだった事もあり、
一眼を使うようになってからは、珍しい彗星などを、
必ず写真に撮るようにしていました。
とはいえ、本気な天文写真家に言わせれば素人とえらく変わらないはずで、
写真の通り、ただ、三脚にカメラをセットして3分とか5分くらいバルブで撮った、
という程度の写真だったりします。
本気で天体撮ろうと思うと、
シャッターが開いている間、星の動きに追随するモーターを
三脚に仕込んで撮影しないといけません。
じゃないと、星がどんどん動いて、「点」になりません。
「星にも凝ってみたいなぁ」と思った時は、
そんな機材を揃えてみたいかも、と思った事もありますが、
まぁ、中高生の時分にそんな経済的余裕があるわけがなく、
せめて、こうして高感度フィルムで鮮明に撮ったくらいなものでした。
そもそも、この写真、「フレームアウト」しています。
鉄道で言えば、編成全部がフレームに収まっていません。
「核」になる、一番光っている部分は肉眼でも見えましたので、
ちゃんとフレームに収まっていますが、
彗星には、後ろに長い尾っぽがある事を、あまり意識していませんでした。
しかも、左の方に、かなり、相当、ず~っと長く、尾が伸びているはずです。
この写真、ほんとは縦長の写真を、横長にトリミングしています。
本来なら、ここまでテレじゃないレンズで、
横長の構図で撮ってやらないといけないところでした。
ごっさん、一生の不覚です。何事も、経験と勉強です。
デジタルの時代になって、天体撮影には不遇な時代です。
しかも、東京の方にいると、そもそも、星に巡り会う機会が少ないです。
満点の星の下、という環境がとても懐かしく思えます。
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コメント
@しんすけ様
あぁ、やっぱり解体されてたんですね…。
こんなエントリーを書きながら、
「実は、多度津工場の奥で、DF50 1やDE10 1と一緒に保管されているのでは」
という一抹の期待をしてました。
覚悟していたとはいえ、残念な話しです…
>徳島駅周辺鉄道高架化
僕が物心ついた頃から、全然進まない話しですね(汗
※後、徳島市の音楽ホールも。これは、半端に解決したと聞いた気も?
まぁ、あまり意味は無いですよねぇ。
お花畑踏切(ちょっと違う)なんて、入れ替え作業を「除けば」、
閉まるのは、せいぜい10分や20分に1回の話し。
除かないと、割と「開かずの踏切」ですが、
それも、京王や小田急に比べれば、全然しれています(汗
「運転所移転と高架化」がワンセット、
みたいな話しだったと思いますが(少なくとも昔は)、
そういう意味で言えば、
運転所だけ移転すれば、それで充分、いろいろ解決される気がするなぁ、
という気がします。
10年ほど前?は、地蔵橋の方に運転所を移転、
という話しがあって、高架は園瀬川鉄橋あたり(文化の森駅)まで、
って計画だったと思いますが、個人的にはやり過ぎかな、という気も。
日常的に気動車を走らせるのだけでも大変なJR四国に、
高架計画は、ちょっと負担が大きいですよね。
それならまだ、牟岐線の阿南から、高徳線引田・徳島線鴨島・鳴門線鳴門まで電化して、
富山港線のようなライトレールにして、途中の駅も増やして、
5分とか10分ヘッドで小回りの利く運用にする方が賢明な気が。
(完全な路面電車にすると「うずしお」を走らせられないので、
その中間くらいか良いですかね)
そういえば昔よく、徳島運転所の中に、
103系や113系が停まっている図を夢に見た事が(笑)
※花畑踏切が「人力」だった時代、かろうじて覚えています。
投稿: ごっさん | 2007年7月21日 (土) 01時16分
お暑うございます。
オエ611、城山側からの写真ですね。
調べたところ、2年ほど前に解体されたようです。
2日前の記事。
参院徳島選挙区立候補者3名に徳島駅周辺鉄道高架化反対グループが、
同事業の賛否を問うアンケートを実施したところ、民主・共産候補が高架反対、
自民候補は無回答の結果。
うむ・・・。
その昔、駅構内花畑踏切北側に赤煉瓦の徳島監獄署が。
街なかの刑務所だけあって賑やかな喧騒も聞こえ、
受刑者にとって余計辛い塀の中だったらしいです。
跡地はしばらく更地でサーカスをよく見に行った記憶あり。
投稿: しんすけ | 2007年7月20日 (金) 09時48分