JR四国の111系、最後の春
※昨日、新規エントリーするつもりで写真準備して、
さぁ書くぞ、と思ったら、cocologがメンテ中…。
出鼻をくじかれてしまいました。
四国に「電車」が走るようになったのは、
もうJRになるぞ、という程の国鉄末期でした。
※国鉄→JRの話しです。私鉄は昔から電車でした。
で、当初導入されたのは、新造車の121系だけでなく、
東海道線から引退した老体、111系も戦線に加わりました。
111系ですよ、111系。
湘南色のまま海を渡った111系は
(蛇足ながら、まだ瀬戸大橋はできていないので、
宇高連絡線に乗せられての渡航です)、
JRのコーポレートカラーである「白地に水色の帯」をまとい、
冷房化工事を実施するなど改良を重ねつつ、
第2の人生(車生?)を歩み始めます。
老体にむち打ちながらも、10年以上に渡って高松口で活躍し、
2001年春、やはり中古の(苦笑)113系にバトンタッチ、
引退しました。
以下の写真は、その引退の春に撮影したものです。
Canon EOS5
EF100-300mm F4.5-5.6 USM
KONICA CENTURIA 400
予讃線 讃岐府中-国分間
2001年4月頭頃
引退を前に、オリジナルカラーの湘南色に塗り戻され、
花輪を飾られてラストランを飾る111系と、
まもなく満開の桜との共演です。
111系は、151系や101系と同じく、MT46という主電動機をおごられ、
新生東海道普通列車の花形として登場しましたが、
あやまたずMT54搭載の113系へと移行。
113系は、東海道口で黄金時代を築きました。
そんな113系は、東海道線東京口からいなくなる事はないだろう、
というくらいたくさん走っていましたが、
このわずか5年後、あっという間に都心から姿を消しました。
そんな急激な時代の荒波を考えると、
111系が、はるか辺境の島で、とは言え、
現役で活躍を続け、21世紀までそのモーター音を響かせていた事に、
驚きを禁じ得ません。
こんな事なら、もっと111系の写真を撮っておくべきだった、
と後悔しても、後の祭り。
でも、そんな後悔を生かす事もなく、
東京口の113系も、ほとんど撮れないずくでした。
その辺の話しは、またの機会に…
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コメント
> 静岡電車区でひっそりと
あ、その写真、どっかのアルバムの中にあるんじゃないかな。
ジャスピンか何かで撮ったのがあるはず。
そう、あれが瀬戸内海を渡るとは、夢にも思わなんだなぁ。
しかし、2001年は、この写真を含めて3回しか撮影には行っておらず。
もう1回は、翌日?あたりに111系を国分で撮ったが、
何を思ったか、あのホーム端からのカーブのアンブル、
縦位置で撮ってケツが切れてるでやんの。
腕がにぶるとこういう事になるので、逆に後悔…orz
投稿: ごっさん | 2007年7月27日 (金) 00時16分
私の記憶に間違いがなかったとしたら、確か静岡電車区でひっそりと佇んでいた廃車前提の最後の数両が
何を思ったか、いきなり四国に搬送されて・・・だったような。
運命は分からんものだよね。
2001年は、当方の「写真趣味・冬の時代」
この姿のことも、111系引退のことも、なんとなく遠くの花火の音のように感じていたなぁ。
今になって、おまいさんにこんな姿を見せられて、心が軋むほど後悔しても、まさに「あとのまつり」。
あんなに思い入れのあった車両のはずなのに・・・。
そして今、写真を「冬の時代」へと追いやったはずのPCはデジカメと結託し、写真趣味の新たな日々へと繋がっている。
皮肉なもんですなw
投稿: gochi-zoh | 2007年7月26日 (木) 01時00分