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2007年11月

2007年11月26日 (月)

上越・会津に行ってきました!その1「キハ52に出会いました篇」

本来なら、C57「ばんえつ物語号」から書き始めるべきところですが、
思いもよらなかった出会いがありましたので、まずはその事から。

24日(土)、新潟入りした我々夫婦は、
新潟名物?の「ソースかつ丼」に舌鼓を打った後でホテルにチェックイン。
大きい荷物を置いた後、白新線のE127系に乗り、新発田(しばた)へと向かいました。
奥さんが、古い建物なんかが好きなので、それを見学に行ったわけです。

※「清水園」という、江戸時代の屋敷の庭園です。
こういうところ。

Ca390278

しかし、新発田に着くやいなや、バケツをひっくり返したような土砂降りでビックリ!
日本海側は豪雪、と聞いてましたが、豪雨とは聞いてないぞ〜。

※そんな豪雨の中、こんな保存機関車を発見。
「D51 512」です。

Ca390268

と思いつつも、
庭園は雨のおかげで湿ってたので(上の写真のように)むしろいい雰囲気で、
すぐ隣にある「足軽長屋」(これがかなり貴重)もとても興味深く、
短い滞在時間でしたが、歴史探索を堪能いたしました。
(時間があったら新発田城へ行くつもりでしたが、タイムアウト…)

さて、ぼちぼち新潟市内へ戻りましょうか、と、新発田駅で白新線の115系に乗車。

あと3分くらいで発車かな、と思いながら車窓を眺める。

気動車が入線してくる。

国鉄一般色のキハ52。

なんですと〜!?

慌ててW53CAをカバンから出して猛ダッシュ!
間一髪で撮ったのがこの写真です。「キハ52 122」です。

Ca390286

Ca390287

※W53CAじゃなくて、*istDsを持って走るできだった、とちょっと後悔…

予想だに出来ない巡りあわせに、新潟初日早々から興奮しつつも、
市内に戻って晩飯を食べ、万代橋方面を散歩した後、
新潟駅に寄ったついでに改札の中を覗いてみると…、

またまた!
国鉄一般色のキハ52!!
今度は「127」でした。
しかも、後ろには国鉄急行色のキハ28まで…!

Ca390290

Ca390291


昭和40年代はこんなだったんだろうか、と遠い昔にタイムスリップ。

まさか、1日に2両もの国鉄色キハ52に会えるなどとも思わず、
あまりの出来事に我を忘れました。

そして、巡り合わせとは続くもので、
翌25日(日)も、「ばんえつ物語号」の車中より、
今度は新潟色のキハ52 120にも遭遇。

Imgp923701

にしても、2日で3両ものキハ52に遭遇する、という偶然。
しかも、偶然は、それだけじゃないんです。

24日、行きがけの「とき」の車内。
僕は、トンネルの多い上越新幹線だから、
本でも読んでようか、と思い、かばんに1冊の本を忍ばせてました。
先日買ってた、『鉄道ピクトリアル』の別冊、
「アーカイブセレクション13 国鉄の気動車1950」です。

僕は、上越新幹線の中で、キハ52をはじめ、
キハ10系やキハ20系、電気式気動車の事などを、
さんざん読んでいたのですよ!

また、これは今日知った事ですが、
盛岡方面のキハ52が引退するという事で、
特別列車「栄光のキハ52」号が、4連で運行されていたそうなんですね。

それも、同じ日、11月24日、僕が、新津のキハ52と出会ったその日の話し。

全く不勉強なごっさんは、そもそも、
新津にキハ52がいる事を知らず、盛岡だけだと思ってました。
で、その盛岡車が、そろそろ引退、という事はかすかに知ってましたが、
まさか、あの11/24、僕が新発田や新潟で出会ったその日に、
盛岡の線路上で引退をしていたとは・・・

割と「因縁」を大事にするごっさんですが、近年にない偶然が、
11/24の1日に重なっていた事になります。

これまでキハ52とは全く縁のなかったごっさんですが
(多分、会った事がないはず。山陰方面ですれ違った可能性はあり・・・?)、
11/24の偶然と因縁は、これから先も、
ごっさんの記憶に留まり続ける事でしょう。

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2007年11月25日 (日)

上越・会津に行ってきました!その0

詳しい事はおいおい紹介するとして、

11/24・25と、新潟・会津方面に行ってきました。
主には、こちらの「ばんえつ物語号」に乗る事が目的。

Imgp924901

本年最後の「ばんえつ物語号」でした。
他にもいろんな写真を撮りましたし、
いろんな列車にも会えてとても楽しい旅でした。

またゆっくりご紹介をさせてもらいます!
取り急ぎ、「津川駅」にて水補給中の「貴婦人」でした。

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2007年11月21日 (水)

「4部鬼太郎」DVDボックス!

「3部」「1&2部」と、
続けて購入してきた「ゲゲゲの鬼太郎DVDボックス」ですが、

本日、「4部」も届きました!

Ca390255

この写真に写っているもの、しめて


21万円なり。


※社割で少し安く買っているので、定価よりは若干安い。

しかし、こうして手元に全て揃ってしまうと、
逆に、「いつでも見られるや」という安心感で、
ついつい観るのが後回しになってしまいます。
「3部」も「1&2部」も、まだ見終わってない・・・@@@

しかし、喜んでばかりもいられません。

「3部」「1&2部」の時は、割と大きい「オマケ」がついていて、
入っていた段ボールのサイズも超特大で、
7万円ずつを投入した価値あった!、と思ったもんですが、

今回のが、、、
なんか、、、
やけに小さい、、、

Ca390256
※奥の、赤い矢印が今回の。

なんせ、CDショップ担当の女の子が、
「あれ、なんか他にオマケがついているのかな?」
と探していたほどで。

おかしいなぁ、なんかついてくるって書いてあったはず…、
と思って東映のサイトを覗いてみると、
「子泣きのぶんちん」がついてくる、と書いてある。
あれれ、と思ってよく見ると・・・

オンラインストアで購入された方のみ

ざけんじゃねぇぞぉ~~!!

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2007年11月19日 (月)

四カマ時代のスハフ43、製作進行中!

1985年頃の、徳島を走る旧客をNゲージで再現する
という崇高な?野望を計画しましたが、
計画倒れで終わらないように、と、早速、
グリーンマックスの「スハフ43」を買ってきました。

当初は、単に組み立てるつもり…、と思ってましたが、
よくよく調べてみると、多度津工場でかなり手を入れられており、
「再現」を謳っている以上は、多少でもホンモノの近づけないと…、
という事で、いきなり、諸々改造を加えながらの製作となっております。

製作にあたっては、諸々のサイトを参考にしながら
(Googleで「スハフ43」と入れた時に、割と上の方にヒットするサイトは、
のきなみ参考としています。)、
国鉄時代末期(そして、現在の大井川鉄道での保存状態も含め)、
多度津工場でのアコモ改造を加えられた、
以下の仕様を実現する事を目標としました
(正確には、「スハフ43 3」の仕様です。「スハフ43 2」は、トイレ周りがチと違う)。

・トイレ窓のHゴム化(両サイドで形が違う)
・トイレ部分のみ「ノーヘッダ」になっている
・乗降ドアの交換(鋼鉄→軽量なアルミ?のドア)
・窓のアルミサッシ化

これらのうち、トイレ窓と乗降ドアについては、
果たしてどう改造すべきか…、と悩んでいたんですが、
幸い、エッチングパーツの老舗「銀河モデル」から、
これらの改造を実現させるパーツが売られていたので
(番号は「N132」です。絶版のようなので、店頭在庫が頼り?)、これを買ってきました。

例えば、乗降ドアの場合、こういう感じになります。
(素地のドアの窓を切り抜いて広げ、上からエッチングパーツをかぶせる。
Ca390214
※未塗装時の写真。

また、トイレの窓は、もともとの窓にエッチングパーツをはめ込むだけ…、
という事になってましたが、このパーツはKATO製品用で、
グリーンマックスだと微妙に大きくて入らなかったので、
多少削って入る大きさにしました。
ここが、イマイチうまくいかなかったかな、と多少後悔しています。
(まぁ、実車自体が、いかにも「ここは改造して埋めてます」という感じがするので、
この程度「ここは改造しています」風な方が実車っぽい?言い訳?)
Ca390250

Ca390251

※塗装後の写真。すでに、Hゴム部にも色を入れている。

さて、トイレの部分にヘッダーがない、というところは、
かなり細かい作業になりました。
紙ヤスリで削り取ろうかとも思いましたが、
サボ受けがすぐ真横にあったので、
さて、どうやるべきか悩んだ末、
カッター(オルファのアートナイフ。これは、昔、模型を作っていた頃からずっと使っている)
の刃をたてて、カンナのごとく削り出す、という方法にしました。

結果、上の(ちょっとピンぼけな)写真の通り、
これも「ここにヘッダーがありました」という感じになってしまい、
これは失敗したな、と思っています。
指で触ると、割に平坦になっていたんですけどね…。
先に、仮塗りをして状況を判断した方が良かったかな、と思います。

で、まだ7割程度の完成度ですが、
床の上に車体を載せ、さらに屋根も載せてみました。
まだ制作中なので、接着はしてません。撮影用に載せただけです。
Ca390253

約15年ちょいぶりにグリーンマックスの模型を作ってみて、
いろいろ考えさせられる事がありました。

やっぱ、当時は子供だったんだなぁ、いつの間にかオトナになってたんだなぁ、
という事です。

当時、グリーンマックスのキットを組み立てる時は、
完成した姿を想像すると、一刻も早く組み立て終わりたくて、
まだ塗料が乾ききってなかったり、接着がくっつききってない状態で、
次の作業に移ろうとして、そこで失敗をする、という事がよくありました。
今だと、「この続きは明日かな、明後日かな」、と思えるようになり、
我慢強さのレベルが変わってるんだなぁ、という事に気づきました。

また、当時は、ちょっとした失敗をすると、
もう全てが失敗して終わった気分になり、
続ける気力が失せて放置する、という事がよくありました。
ホントに些細な事ばかりだった気がします。
今だと、仮に失敗しても、「なぜ失敗したか」「その失敗を修正できるか」
「別の方法はないか」「大した失敗じゃないから気にしなくていいのではないか」
など、いろんな事を頭の中で考え、
次のステップにつなげようとしています。

例えば、Hゴムに彩色する時、
最初、単に極細の筆に塗料をつけ、
気合いで超慎重に塗ってやろうとしたんですが、
ラッカー系の塗料なので速乾性があり、
ちょっと塗り始めるとすぐに乾き始めてしまい、
塗料が糸を引いたり、ダマになったりして、
キレイにスーッと塗れなくてイライラしてしまいました。

当時は、こういうのは「気合いが足りない!」「腕が悪い!」
という理由で片付けていたと思いますが、
ネットで調べてみると、ラッカー系塗料の乾きを遅らせる遅延剤、
というのがあり、それを混ぜてやる方法がある、との事。
当時は、そういうのがある事を、そもそも、調べる手だてがなかったような気がします。

あるいは、筆にこだわらず、マーカーを使う、という手も考えています。
これから、アルミサッシを塗る作業があるので、
それを、マーカーでやるか、筆でやるか
(遅延剤を入れたラッカー系塗料か、水性か、エナメル系か)、
と検討しているんですが、
そもそも当時だと、「マーカーなんて邪道!男なら筆で塗れ!」
としか発想しなかったはずだ、と思うわけです。
別に、綺麗に塗れればなんでもいいじゃん、と、今なら思えるんですがね。
どうも、当時はヘンなこだわりがあったようです。

11月中には、ひとまず完成するかな、と思います。
ただ、どうせなら、KATOのスハ42やスハフ43のパーツを買ってきて、
窓をいいのにしたり、テールライトを別パーツにしたり、
座席を入れたり、というディティールアップを考えています。
それは、運良くパーツが見つかるかどうか次第ですけどね。

久しぶりに模型を作りながら、童心に帰っているごっさんでした。

※スハフ43の次は「オハ41 455」を再現するべく、
グリーンマックスの「スロ53」のキットと「スハ43」の側面パーツを買ってきました。
これは、いよいよ切り継ぎ加工の必要な分野です。
果たしてできるのかしら…

※08年5月4日追記:当初、「四コマ(=小松島客貨車区」のスハフ、
という題名をつけていましたが、
どうも、「四カマ(=高松運転所)」の所属だったようです。
まぁ、いいんですけどね。細かい事ですが、訂正。

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2007年11月15日 (木)

懐かしの「アイランドエクスプレス四国」

『鉄道ファン』誌をしげしげ眺めながら、
東京の「サロンエクスプレス東京」、
大阪の「サロンカーなにわ」など、
いわゆる「ジョイフルトレイン」の写真にうっとりとし、
「いいなぁ、こんなのが、うちの近くにもいたらなぁ」
と思っていた小学生の頃。

まさか、あのレッドトレイン=50系改造のジョイフルトレインが、
四国の地を走るようになるとは思わず、
登場の報を伝える『鉄道ファン』誌の記事に狂喜乱舞した事を、
とても鮮明に覚えています。

以来、僕がカメラを持って追い回すターゲットの1つとして、
「アイランドエクスプレス四国」号は、
非常に重要な存在となりました。

今のように、ネットを回ればダイヤが分かる時代ではありませんので、
毎月、『鉄道ダイヤ情報』をチェックしては、
徳島に「アイランド~」が来る日を調べ、
その日が平日か休日か、
休日でも写しにいけるだけの余裕(こづかい)はあるか、など、
毎月、15日のDJ誌発売を指折り数えて待ちわびていたものです。

この写真は、そんな「追っかけ」(?)の、かなり初期、というか、
多分、初めて撮影したコマなんじゃないかな、と思います。
そういえば、四つ切りに引き延ばして、
部屋に飾っていたような記憶も。

1990_islandexp
Canon EOS630QD
EF35-70mm F3.5-4.5
Fuji REALA
JR徳島線(高徳線) 徳島駅横「花畑踏切」
1991年8月12日

専用色のDE10の重連、というのが非常に贅沢ですね。
5両の客車で重連。力強くていい感じ。
この「DE10 1014」が、本務機だった気がします。

「アイランド~」は、現在、185系改の「アイランドエクスプレス四国II」にバトンタッチし、
既に、この50系「アイランド~」は、この世にありません。
四国を代表するジョイフルトレイン(←という表現も、既に死語?)だっただけに、
非常に残念ではありましたが、
機動力を効かせられ、かつ、余っているキロハ186を使い回せるという事で、
JR四国の判断は間違ってなかったのかな、と是認しています。
(でも、あの、前後のキハ185だけほぼそのままの色、というのが、
いまいち腑に落ちないんですがね・・・)

この「アイランド~」、
マイクロエース社からNゲージ化されていて、
いずれ買おうかと思ってるんですが、
2種類出てまして、「登場時」と「改良後」。
個人的には、「登場時」の方がなじみ深いので、
そっちが欲しいなぁ、って思ってるんですが、
このセット、機関車込みで「7両」となっています。
ああ、DE10が2両なのね…、と思ったらさにあらず。
客車が6両…

れれれ???

なんと、増結用の、アイランド色スハフ12-3も入っています!

…って、そんなの、いたんですか?(滝汗)

実は、気づいてなかっただけ、だったりして…?

今度、過去の撮影データをまじめに調べ直してみないと、
と思っています。

増結用スハフ12の事、ご存じの方いらっしゃいましたら、
是非ごっさんに教えて下さいまし。

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2007年11月13日 (火)

1989年10月、徳島駅

以前、徳島駅構内を紹介したエントリーをアップしましたが、
その隣のコマに、懐かしい車両がいたので、
一緒にして「疑似パノラマ」(継ぎラマ)にしてみました。

※厳密には、間がちょっと切れているので、パノラマとは言えないですが、雰囲気だけでも。

19891015_0203
Canon EOS630QD
SIGMA 70-210mm F4.5-5.6
Fuji Super HG 100
JR徳島駅
1989年10月15日

赤い客車がいるだけで、随分イメージが違うもんです。

茶色や青色の客車が全廃になってからわずか3年後、
JR化後2年で、徳島運転所の雰囲気は随分変わったもんです。
1970年代後半の、この写真の頃からでも、10年ほどしか経ってません。

国鉄→JRの変化が、どれほどドラスティックだったか、
痛いほど分かります。

白地に青色の気動車の中には、
引退が近づいていたキハ20や、
やがて徳島を離れて高知方面に転属するキハ32の姿もあります
(この写真だと、小さくて分かりづらいですが)

今となっては、駅もビルになり、ステンレスの気動車が走りかう徳島駅の、
「田舎のステーション」としての晩年の姿、とも言える時代の写真でした。

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2007年11月12日 (月)

懐かしの「牟岐線旧客」再現計画!

前回のエントリーや、DF50本線走行の興奮よろしく、
物心ついた頃の鉄道風景が妙に懐かし今日この頃。

勢いに任せるのがいつもの行動パターンですが(汗)

グリーンマックスのキットで牟岐線の旧客を再現」
プロジェクトを実行しようと思います!(なんと唐突な)

どんな編成にするか、
ネットで当時の編成や「小松島客貨車区」に配属の車両などを調べ、
また、近所の古本屋で『鉄道ファン』誌の81年11月号「客車列車」を買ってきたり、
いろいろ下調べをし、だいたい、以下の編成で作ろうかな、
と考えています。

DE10
マニ36
スハフ42(*)
オハ35
オハフ61(*)
オハ61(*)
スハフ43

マニ37
オハ35
オハ47(*)
オハフ61(*)

空行の上が基本編成で、下が増結用。
こう分ければ、KATOあたりのケースに分けて収納できるかな、と(笑)

■が茶色や青色になってますが(黒バックじゃ、分かりにくい?)、
これは、この色(ぶどう色2号、青15号)に塗ろうかな、という意味です。

基本は、グリーンマックスの「ローカル普通列車」5両セットをベースに(*印の車両)、
四国の旧客を語るのに欠かせないスハフ43と、
少し古めのを、という事でオハ35(2両セットなので、1両は増結用)、
丸屋根でアクセントをつけるためにマニ36を連結
(マニ37も一緒と2両セットなので、こちらは青にして増結用)、
という目論見です。
(荷物車は、実際どんなのが走っていたか、資料がまだ不十分なので、
マニ35やマニ60になる可能性もあり。まぁ、これは適当でも大丈夫?)

本当は、「1982年頃に、実際に走っていた編成」
を元に組んでみたかったのですが、
一応、当時徳島(四国)を走っていた車両を、
それなりに織り交ぜてオマージュにしようかな、と思っています。

で、今回、こんな事を考えながら、更に欲深な事を思い立ちました。

「今は亡き、オエ611の復元。」

・・・と、軽く書きましたが、これはかなり大変です。
一応、計画は練っているのですが、
そもそも、オエ611の種車はオハユニ61(、の91)。
これが、グリーンマックスから商品化されていないんです。
その代わり、スハニ61は出ています。
これをベースに、切り接ぎ加工しようかな、と。

…Nゲージ加工全盛期でも、
切り接ぎ加工がうまくいった試しはないんではないか、
という自問自答もあったんですが(汗)、

なんでも無茶をしたがる性格でして、

結果は「やっぱ、無謀だったなぁ」で終わる事は多いんですが、
2年前に解体されたと聞いてショックを受けていたので、
弔いの気持ちをこめて、なんとか作ってやりたいものだ、
そして、上記の「牟岐線オマージュ旧客編成」に混ぜて、
走らせてみたいな、と思っている次第です。
(救援車なんだから、編成に混じって走る事はないんですけどね)

でもまずは、切り接ぎ加工の腕のなまり具合(?)を調べるために、
スロ53ベースに改造されたオハ41(オールロングシート通勤車)を作る、
という段取りを踏んでもいいかな、と思っています。
(片方1ドア→2ドアに改造の必要あり)
これも、四国を走っていた客車なので、
編成にアクセントをつけるには、あってもいい車両ですので。

そういえば、僕が模型をやっていた全盛期の締めくくりは、
グリーンマックスのいろんな旧客を買い集めて編成を作る、
という計画でした。
その名残で、4,5本の「ぶどう色2号」の缶スプレーが、
使われないまま実家に眠っていました。
去年の今頃の引っ越しの時、
処分してもいい、とは伝えたんですが、
ひょっとすると、まだ残してくれてるかも?、なので、
あればあったで、それを使って塗っていこうと思います。

にしても、僕の「旧客フェチ」(?)は、根が深いんだなぁ、と思います。
なるほど、物心ついた時の牟岐線を毎日見ていたからなんだなぁ、
と、人生30年にして感じ入っているごっさんでした。

-----
※11/12追記

「オエ611」再現のために、
グリーンマックスのスハニ61を切り継ぎ加工で・・・、と書きましたが、
マイクロエースの「61系客車・北海道型」の中に、
ほぼ同型の「スハユニ62」が含まれている事が判明
(床下に搭載の電源の大きさだけの違いらしい)。
なので、こちらを探し出して塗り替える事にしようかと思います。
さすがに、スハニからの超絶的切り継ぎでは、
なかなか「納得の良い物」はできそうに無いと思うので・・・

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2007年11月10日 (土)

昭和40年代後半、徳島運転所

懐かしい徳島シリーズ、
一気に時代は昭和40年代に飛びます(笑)

ちなみに、僕は生まれてません。まだ分子です(汗)

オヤジが、PEN Fで撮ってたいろんな写真のネガが、手元にあります。
いつも使っている「EPSON PM-A950」のスキャナで、
古い写真を取り込んでみようかな、と思い、
前回の帰省時に、実家から持ってきていました。

恐らく昭和47,8年頃の、徳島運転所(当時は徳島機関区?)。
徳島公園と結ぶ跨線橋の上からのショットです。

S40_tokushima_untensho

泣けてきます。
キハ20、45、30、55、ワラ、ワム・・・、今も健在なのはDE10くらい?
でも、ここに、キハ17の姿は見えないですね。
実は、僕自身、生のキハ17系には、いまだ出会った事がありません。

また、僕の記憶の中では、
キハ20,45,30は、既に首都圏色(赤一色)でした。
なので、こういう旧国鉄色のキハ20らがいる姿は、
自分の目では見たことがありません。

右の城山公園の中には、昔の徳島県立図書館も。

同じ場所から撮った「定点写真」が、
いろんなネガに入っていると思うので、
いずれ、整理して年代を追えるようにします。

ネガをスキャンすると、ネガの情報がありありと画面に出てくるので、
サービス版に焼いているだけでは見えないものが見えてきます。
「退色復元」機能をオンにしているので、色あせて見える事もなし。
いい時代になったもんです。

オヤジの撮ったネガの中には、
101系や181系「あずさ」の時代の中央線もいっぱい写ってます。
次回は、「懐かしの中央線」特集、としましょうか。

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2007年11月 9日 (金)

四国色のキハ30

久しぶりの、徳島の懐かしい汽車の写真。

四国は気動車王国でしたので、
キハの58系、20系、55系、40系、45系など、
それはそれはいろんな汽車が走ってました。
真っ赤なキハ20や45と、急行色のキハ55や28などが、
2両や3両で走っていくさまを、
毎日牟岐線沿線で眺めてたので、
それはそれは楽しい日々でした。

でも、気動車王国の四国でも「異端児」だった気動車が、
キハ30でした。
両開きドア(しかも外吊り)にロングシートという出で立ちは、
田舎徳島にはなんとも不釣り合いな事、この上なしでしたが、
不思議と、この「都会的」なスタイルが、
当時、東京の「電車」に憧れていた幼少のごっさんには、
非常に洗練された、ナウイ(当時の標準語)車両に見えました。

でも、徳島の鉄道事情に合わないからか、
JR化してすぐ、1000系の導入と共に、
キハ20や45などと共に引退しました。

写真は、JR化後から廃車までの、
短い期間にだけ存在した、四国色のキハ30です。
すでに廃車or休車となり、阿波池田駅構内に留置されています。

910405_15
Canon EOS630QD
SIGMA 28-70mm F3.5-4.5
Fuji VELVIA50
JR土讃線 阿波池田駅構内
1991年4月15日

隣には、やはり廃車(休車)となったキハ45(23かも)の姿も見えます。

種別が「急行」になっていますが、
キハ30が急行運用につくなど、あり得ない事なので、
これは「最後のはなむけ」として、JRの人があわせてくれたものだろう、
と、当時は勝手に思っていたものです。

JR四国色は、割と早いペースで、全ての車両に浸透したので、
キハ20やキハ45なども、多くの四国色が存在しました。
しかし、それらは、すぐに1000系に取って代わられる事となります。

…が、まだいるようなんですよ、四国色のキハ20!!

兄者の報告によれば、岡山県の水島臨海鉄道の構内に、
おそらくは部品取り用として保管してあるのであろう、
四国色のキハ20が留置されているよし。

当時は、美しい赤や急行色の気動車が日に日に無くなるのを、
とても悲しい思いで見守っていたごっさんですが、
今となっては、そんな四国色のキハが、
「懐かしきふるさとの風景」として胸に刻まれております。

て事で、無事に購入できた、TOMIXの急行「よしの川」セット(笑)
Ca390200

*13/4/28追記:キハ30の画像を差し替えました。

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2007年11月 8日 (木)

DF50、本線へ!!

※勝手にリンク。

http://railf.jp/news/2007/11/06/094100.html

http://ef210-901.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/df50_1118.html


感涙。

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2007年11月 6日 (火)

この勝負、福田首相の勝ち!?

ちまたでは、
民主党の小沢党首が辞意表明した事で大騒ぎとなっています。

大連立を持ち出したのはどちらか、とか、
また小沢氏の病気が出た、とか、
いろんな事が報道されているわけですが、

個人的に、
気になる発言がありました。

と、その前に、
ここでは、表向きの話しとして報道されている、
「大連立を持ち出したのは福田首相からである」
という話しを「真」である、と仮定して話しを進めます。

これは、日曜日放送のフジテレビ「プレミアA」で、
非常に軽く触れられていた事なんですが、

武部元幹事長の話しとして、

福田首相と小沢党首の2回目の会談の後、
福田首相が武部元幹事長に、
「この話し(大連立のこと)を党に持ち帰って、
小沢党首の立場が悪くならなければいいが」、と述べた。

・・・ん?

つまり、福田首相は、
小沢党首が、民主党に大連立の話しを持ち帰る事が、
小沢氏の立場を悪くする可能性のある事である、
と認識していた事になります。

元来、民主党は「寄せ集め政党」と言われ、
旧政党が派閥のように現在に引き継がれ、
イデオロギー的な一枚岩を阻害する要因になっている事は、
今更説明する必要もない事ですが。

でも、民主党は、小沢一郎という超人を担ぎ上げる事で、
民主党という(かなり危うい結束の)政党を維持してきたわけです。

小沢氏が大連立に前向きである事も、
民主党内に、大連立に反対の勢力がある事も、
当然、福田首相は知っていたものと思われますので、

福田首相が小沢党首に大連立を持ちかけた、という事は、
大連立という「爆弾」を持たせた事になるのでは、と解釈できます。

で、ものの見事、「大連立」という爆弾は、
民主党役員会でドカーンと大爆発しました。
政策的一枚岩の崩壊、イデオロギー不一致の露出。

ヒジョーに微妙なバランスで維持されていた政党を、
大きく揺さぶるのには、大連立というのは最適な爆弾だったのかもしれません。

と、仮に民主党そのものが崩壊しなくても、
小沢党首がはじき飛ばされる事になれば、
懸案だったテロ特措法の新法実現が、より具体化してくる、
という計算もあったかもしれません
(民主党の中でも、新法反対の急先鋒は小沢党首でしたし。
岡田氏?だか前原氏?だかは、むしろ賛成だったはず)

「いやぁ、びっくりしましたよ、びっくり。」

という福田首相の口元が、少々ゆるんでいたようにも見えました
(って、それはいつもの事・・・???)

ボケーッとしているようで、なかなかしたたかな爺さんが首相になったんだなぁ、
と、今更のように驚いているところです。

※以上、これはごっさんの「大推論」です。

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2007年11月 1日 (木)

懐かしの急行「よしの川」

トミックスから発売されていたキハ58他「急行よしの川」の4両セットが、
去年生産中止になっていた事を知って落胆している、
というエントリーを昨日書きました。
ダメもとで、会社帰りに模型店に寄って在庫が無いか探していますが、
目下まだ発見されず…。
本命の店舗は土日に探しに行くので、
そこでなんとか(中古でも良いので)ゲットしたいな、と思って焦りぎみです。

急行「よしの川」は、四国最後の急行として、
徳島線の徳島-阿波池田間を走っておりました。

980307_16
Canon EOS5
EF35-70mm F3.5-4.5(?)
KONICA LV 200
徳島線 鮎喰-府中間(鮎喰川橋梁)
1998年3月7日

急行「よしの川」が廃止され、特急「剣山」に統合されたのは1999年ですが、
その前年、使用車両がキハ58/65から185系に変更されています。
これは、キハ58/65としての運用が終了する、
98年3月13日ダイヤ改正の直前の写真です。

そもそも、四国は急行王国で、
「いよ」「土佐」「阿波」「むろと」など、
各県の県庁所在地を結んだり、
高松駅で宇高連絡線と接続したりなど、
重要な役割を担ってきました。

しかし、キハ55や58なんかでは非力でしたので、
より高速化を図るため181系が導入され、
特急「南風」「しおかぜ」がデビュー、
JR化後、瀬戸大橋線が開通した時には、さらに
「しまんと」「いしづち」もデビュー、
徳島もそれまでは急行だけだったところに「うずしお」が投入されるなど、
一気に特急化が進み、瞬く間に急行は絶滅してしまいました。

ただ唯一、急行「よしの川」を除いては。

無理に特急化するまでもない、と判断したからか、
徳島線に特急が走り始めるのは96年春の事で(特急「剣山」)、
それでもなお、急行「よしの川」が廃止されなかったところを見ると、
割に需要があったんだろうな、と思います。

ところで、トミックスから出ていた「よしの川」4両セットは、
キハ58+65+58+28、という組み合わせになっていますが、

そんな編成は見たことが無い!

…と、発売当時は軽く憤ったものです(ちょいと言い過ぎ)

通常は、上記写真の通りキハ58+65の2両で運用されておりました。
正月やお盆の「阿波踊り」の時期には、キハ58を足した3連もありましたが、
まず、キハ28が増結される事はありませんでした
(キハ28は単発なので、足を引っ張ってしまいます)

また、徳島線にはおもしろい列車が1本あって、
「よしの川」編成の間合いで、1日1本だけ「快速」が設定されてました。
若干停車駅が多かったですが、急行と比べてもそれほど遜色なく、
池田方面に撮影に行くときにはかなり重宝していました。

四国最後の急行を記録せねば、と思い、
徳島線にはしばしば通いました。
その辺のライブラリもご紹介していければ、と思います。

トミックスの「よしの川」が手に入ったあかつきには、
徳島線沿線の風景をモデリングしたミニミニレイアウトを作って、
そこに飾ってやりたいもんだ、と思っているところです。

*一部、文章に誤認があったので修正しました(2010/05/20)

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