91年秋、キハ58 301

Canon EOS630QD
EF70-210mm F4
KODAK EKTACHROME 64PRO
JR牟岐線 文化の森-地蔵橋間
1991年9月頃?
古いポジをしげしげみてたら、
見覚えのあるスカートのついたキハ58。
17年前に撮影した、キハ58 301。
四国色が美しく光っております。
この日は、本来、「アイランドエクスプレス四国」の撮影のため訪れており、
上記の写真は、本来撮ろうと思っていたアングルではなく、
後ろを向いて、かつ後追いとなっています。
このポジを眺めながら、
当時の事を思い出しました。
すなわち、地蔵橋方面からの上り列車がくる。
一番後ろに連結されていたのがキハ58 301。
「あ、今日も301だ!」
で、振り向きざまに慌ててシャッターを切ったので、
無理な後追いなわけです。
中2の時には既に、キハ58 301への特別な思いを抱いていた、
という事を、写真を通して思い出しました。
ちなみに、本命のアイランドエクスプレスはこちら。

Canon EOS630QD
EF70-210mm F4
KODAK EKTACHROME 64PRO
JR牟岐線 文化の森-地蔵橋間
1991年9月頃?
ポジのアルバムに日付を記録していませんでしたが、
同じポジの後半は、修学旅行へ行った時に撮ったものなので、
恐らく91年の9月か10月。
学校が休みの日なので、日曜日(当時はまだ、週休二日ではなかった)か、祝日。
しかも、天気は曇り、というか雨。
Gooの過去天気と照らし合わせてみると、
9/15か23、29、10/6、10辺りの可能性が濃厚です。
もっと正確に知ろうと思えば、
実家に帰って『鉄道ダイヤ情報』のバックナンバーを片手に
アイランドの運行情報をさぐればよい話しですが。
牟岐線に入線するなんて月に1度も無かったですし、
まして、「寄席列車」なんてヘッドマークまで。
なんか楽しそう(笑)
当時としては非常に無謀な、コダックのエクタクロームにて撮影。
しかも、こんな天気なのにフィルターもつけずなので、
色温度が高く、全体に青くなっています。
また、天気悪い上にレンズの開放F値が暗いのに、
ISO64なんてフィルム使っているし。
何も分かっていなかったんだなぁ、当時は、と呆れてしまいます。
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コメント
@金長狸様
おっと、うちの兄のような事をやっておいでたので(笑)
投稿: ごっさん | 2008年4月 4日 (金) 01時12分
91年・・・社会人になりたてだったなぁ~(^_^;)
気動車より、おなごのケツを追いかけて・・・・(--;)遠い目・・・
投稿: 金長狸 | 2008年4月 3日 (木) 19時34分
高知の、1961年製!「キハ28 2002」も、
多度津へ回送されたそうな・・・
http://railf.jp/news/2008/03/31/170200.html
また、東武の8001Fと8005Fも廃車回送。
こちらは最後を見届けられず・・・
http://railf.jp/news/2008/04/01/101000.html
投稿: ごっさん | 2008年4月 1日 (火) 23時42分
ここから起算しただけでも、16年半。
新製が1963年辺りなので、概算しても45年前後。
なるほど、301はよく走った。今まで最前線で現役で在り続けた事それ自体、奇跡のようなものだ。
まさしく大往生。
しかも死地に赴く時に在っても、誰の手も借りず自力回送で最後の健脚を披露してくれた。
悔恨と惜別の涙より、惜しみない拍手を贈ってあげる方が余程似つかわしい、ある意味幸せな最期だったと言っていいかも。
鉄道車両として、長距離型車両として、最後の瞬間まで使命を全う出来たんだから。
投稿: gochi-zoh | 2008年4月 1日 (火) 01時35分