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2008年5月

2008年5月30日 (金)

ubuntuからコンニチハ

Linuxのディストリビューションの1つ、
「ubuntu」を、以前兄からもらった「ThinkPad X20」にインストールしてみました。

Linuxは、ずっと昔から興味はありましたが、
誰でも簡単に導入できる代物ではなく、
なんとなく、Windowsを使いつづけてきました。

しかし、「ubuntu」(うぶんつ、または、うぶんとぅ)というLinuxは、
ただ、インストーラの言われるがままに導入でき、
しかも、Firefoxやopenofficeなど、主要アプリもインストール済みで、
ある程度WindowsやPCの知識があれば問題ない、との噂を耳にし,
では、この機会に、と試してみた次第。

で、あまりにもあっけなくインストールができたので、
こうして、ubuntu8.04にプリインストールされていた、
Firefox3 Beta5(3は、さすがに初めて使った)からカキコしてます。

世間は、いよいよXPが終焉を迎え、
Vistaの時代が・・・、来ないでそのまま「7」になったりして、
なんて予想もあったりしますが、
とかく評判の悪い(そして、使っている人をほとんど見たことがない)Vistaの代わりとして、
Linuxが使い物になるんだかならないんだか、
のテストもかねて、ちょっと使いつづけてみたいなぁ、と思っています。

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2008年5月27日 (火)

佐古駅地上線、車中より

以前は、佐古駅の地上線時代末期、
近辺から撮った写真を紹介しましたが、

いやはや、撮ってるもんですね。
車中から撮った写真もありました。

93年7月19日、高1の夏、海岸寺へ撮影に行く道すがら、
「うずしお」の最前面から撮ったものです。

※カメラは、すべて「Canon AV-1」。

930719_18

徳島駅を出て、花畑踏切を少し過ぎると、高架へと上り始めますが、
高架工事中の仮線時代は、向かって右側へ避けて通ってました。

930719_19

上にリンク貼ったエントリーの、一番上の写真の橋を渡ります。

ちなみに、これは徳島駅を出て高松駅へ向かう上り列車。
すなわち、この写真は、さっきも書いた通り、最前頭部。
「うそばっかり、なんで日本の列車が右側走るんだよ」
とつっこまれてしまいそうですね。
徳島駅-佐古駅間は、確かに複線ですが、
これは、左側(南側)が徳島線、右側(北側)が高徳線、
という分かれ方だからです。
なので、この2本の線路を、列車が併走してくる事もありました。

930719_20

佐古駅を通過中。
当時は、対面式ホームでした。
国鉄時代だと、佐古駅ホームは完全な「貨物駅」で、
ところせましとコンテナが積み上げられていた記憶があります。
その当時の写真、オヤジのネガから探し出せるかなぁ。

930719_21

佐古駅を出ると、高徳線・徳島線が分離します。
左に伸びている線路が、徳島線。
「うずしお」は当然、右の高徳線方面へと向かいます。

佐古駅が高架になって15年、
今の中学生には、まったく無縁な景色なんですね。
旅行で、急行「阿波」に乗って高松方面へ向かう時、
佐古駅を通過すると、胸の高鳴りを覚えたものです。
逆に、宇高連絡から「阿波」に乗り換え、
吉野川を渡って佐古まで来ると、
「ああ、帰ってきたんだな」としょぼくれてたものです。
そんな思いが、この景色から蘇ってきます。

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2008年5月26日 (月)

大艦巨砲レンズ

新宿で映画「ナルニア国物語」を見た後、
某カメラ屋を覗いてみると、
いつもはあまり大した出物のないジャンクコーナーに、
いやに目立つ巨大なレンズが数本。
な、なんじゃいな、と一番大きいのを手に取ってみると、

Tokina SD 150-500mm F5.6 AT-X150 for KA

カビあり、となってましたが、
中を覗いてみる限り、
「すっかり白内障」という様子でもなし。
安けりゃ買いだなぁ、と思って値札を見ると、

\6.000-

…なんぼなんでも、
値段の付け方を間違っとりゃしまへんか(爆)

ちなみに、他に目に付いたところでは、
「Tokina 100-300mm F4.0 AT-X100」のKAマウントもあり、
こっちも捨てがたいなぁ、と思いましたが、
300mmはサンニッパからサンヨン、サンゴーロクとゴロゴロ転がってるので、
今回は、「未知との遭遇」を楽しむべく、「AT-X150」を購入。

Dscf0031
Fuji FinePix 4800Z

 でかいんだなぁ、これがまた。
そして、重量級。ズッシリときます。
調べてみると、2.2Kg!!

テレ端はまぁ、飛び道具か波動砲(笑)として、
150~300mm域の描写が合格であれば、
「16-55mm」「45-125mmないし75-150mm」「150-500mm」
という3本のレンズで、広大な焦点域をまかなう事が出来ます。
かなり力業になりますけどね(汗)

*istDsで使うと、35mm判換算で約750mmですか。
鳥か星でも撮らなきゃいけないですかね(笑)
そのうち、満月の日に月でも撮影してみる事にしましょう。

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2008年5月25日 (日)

キハ58 301@佐古地上線

佐古地上線で写した写真は
以前のエントリーでもご紹介しましたが、
そのネガの一番最後のコマに、
我らがキハ58 301が写っていました。

930723_25
Canon EOS630QD
EF35-70mm F3.5-4.5
KONICA XG400
JR徳島線 徳島-佐古間
1993年7月23日

キハ58 301へ寄せる思いについては、
過去のエントリーをご参照の事。
知らない人が見たら、どんな変人と思われるんだろうか(汗

キハ58 301、徳島駅陸橋より
91年秋、キハ58 301
さよならキハ58 301、多度津へ廃車回送
菜の花とキハ58 301
我が鉄道人生、キハ58 301と共に

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快速「伊豆マリン」167系と、クハ415-1901

93年8月に、東京へ撮影旅行に行った時のネガから、
写真を2点。

9308121_22
Canon EOS5
KONICA XG400
常磐線 天王台駅(確か)
1993年8月12日
※スクエアフォーマットにトリミング済み

JR東日本の2階建て車両の試作車、
クハ415-1901です。
3年前に廃車となり、解体されてしまいました。

「着座通勤」実現のため、
JR東日本が「2階建て車両」を本格的に導入すべく、
まずは1両だけ作られ、常磐線に投入された試作車ですが、
着席できるのはいいものの、
出口が狭く、片側2つだけしかないので、
乗降に時間がかかりダイヤ通りに運転ができない、
という事で、215系や「MAX」など、いくつかの車両が作られただけで、
E231のような「大増産」されるには到りませんでした。

ごっさんは、2003年から2006年まで足立の西新井に住んでまして、
当然常磐線に乗る機会も多かったわけですが、
たった1度だけ、上野駅から乗車する事ができました。
もちろん、2階席にあがってみましたが、
試作車だけあって、いやに簡素で、むしろ素っ気ないくらいだな、
と思った覚えがあります。

日暮里駅や北千住駅など、乗り降りの多い駅では、
いろんな人が立ったり座ったり、
結構慌ただしかった覚えがあります。
特に、2階席は2+3人のシート配列ですから、
3人席の窓側から廊下に出るのは結構大変。
「普通車で2階建て」というのは、確かに無謀かもしれません。

同じ場所で写した「ひたち」の485系の写真を見ると、
タイフォンの蓋がパックリとあいてました。
って事は、思いっきり警笛を鳴らされていた、って事ですね。
いけませんね、そういうのは(汗
日頃、安全で、定時運行のさまたげにならないような撮影を、
と心がけているごっさんですが、若気の至りとはいえ、
運転士にプレッシャーを与えるような撮影をしてはいけませぬ。
みなさま、くれぐれも、撮影は安全なポジションで!

9308132_23Canon EOS5
KONICA XG400
京浜東北線 新子安駅
1993年8月13日

東京から下田へ向かう夏季臨時列車、快速「伊豆マリン」号です。
田町区の167系アコモ改造車です。

167系で夏の臨時と言えば、
どうしても、「大垣夜行」を思い出さずにはいられませんが、
昼間は、こんな仕事もしていたのですね。

当時はあまりに当たり前な感覚だったので、
こんな写真を撮っていた事も忘れていましたが、
既に全廃となってしまった167系の、貴重な記録となってしまいました。

当時は、踏切事故対策で前面を強化するのが流行り?でして、
同じ撮影旅行で写した常磐線の103系にも、
ものものしいマスク?がついていました。

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2008年5月22日 (木)

hpの2133に驚く

先週末前後はカミサンの実家に行っていたので、
あまり投稿できず、失礼しました。

さて、なかなか興味をそそられるPCが、
ヒューレット・パッカードから発売されます。
ミニノートPC「hp 2133」です。

何年かに1回は、「をををっ!」と思うような、
すごいノートPCが登場するものですが、
今回も、かなり注目度が高いです。

ミニノートとしては充分な液晶の解像度、
それ相応なCPU、2ポートのUSB、有線&無線LANなど、
「茶封筒には入るが、拡張性なく、随分平べったく面積が広い」某ノートとは、
随分な違いでありますね(笑)
やっぱ、PCは「あれも、これも」な欲求を満たして欲しいものです。
「Eee PC」では心許ないなぁ、と思っていましたが、
これなら、大概の用途には充分使い物になります。

ミニノートなんて、使う事が無いので、実際に買おうとは思いませんが、
でも、定価\59.800という低価格、XPへのダウングレードも公式に可能など、
琴線に触れる事ばかりで、悩ましい限りです。

これまで、「こ、これ、欲しい!」と思うPCに何度か出会いました。
VAIO C-1が出た時も、「このサイズで普通のノートPCと同じ事ができる!」
とオドロキ、また、NECの「LaVie Z」では、
ゼロハリのデザインという金属質がたまりませんでした。

と、どうやら、ごっさんは「小型でそれなりの性能で、金属質なノートPC」
に心を弾かれる傾向にあるようです(笑)
そういえば、Macでも、5年くらいまえの、
G4なiBookは、いいなぁ、と思っていたものです。
この「hp 2133」、その時代のiBookにかなり近いイメージですね。
キーボードの形とかも。かなり意識してそうな予感。

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2008年5月16日 (金)

私的録音録画補償金で思うこと

俗に「iPod課金」と呼ばれる問題が議論されています。
そして、この問題は「ダビング10」の紛糾にまで尾を引いています。

個人的には「払ってほしけりゃ払ってやるよ」ってなもんで、
むしろ、騒動の全てが、
機械を作る側と、音の権利を持っている側の我の張り合いにしか見えず、
醜い争いをしているなぁ、程度の、残念な感想しか出てきません。

※上記リンクの記事にしても、
「ダビング10と補償金は別の議論なのに」
といっている側の某権利団体は、
「ダビング10を始めるなら補償金も取る」と言ってる側で、
おいおい、自分がセットにして議論してるじゃないか、
それって矛盾じゃないのか、と思います。

 ところで、補償金なんて制度が、そもそも、なんで出来たのか。

 DATが登場した1985年頃、
「こんなのが出たら、CD丸々コピー出来るではないか。反対!」
という、音源の権利をもっている側からの抵抗があり、
最初は、44.1KHzのサンプリング周波数に未対応で出す、
という苦肉の策で世に登場しましたが、あまり売れません。

 そこで、なんとか44.1KHzにも対応を、
という話しになったとき、それならば、という事で、
「第1世代までのコピーは可」というDRM、
いわゆる「SCMS」に対応させるという条件がつきました。
でも、この頃は、まだ補償金の話しはなかったはずです。

 そもそもDATは玄人向け、というか、かなり業務仕様でしたので、
そんなに「レンタルCDのコピーにがんがん使います」的な、
杞憂に値するほどの問題はなかったからでしょう。

 しかし、MDがドカンと普及し始めた事で状況が変わり、
「どうせCDのコピーに使われるなら、
コピー先のMDの生ディスクに先に著作権料をかけておけ」
という事で、補償金制度が始まった、と理解しています
(当時の状況をリアルタイムで見ていた感想。
しかし、当時は中高校生くらいだなぁ。本当なのかな?)

その後、オーディオ用のCD-Rにも補償金がつき、
映像の方でも、録画用のDVD-Rに補償金がつき、という感じで、
録音・録画メディアにどんどんと補償金が上乗せされるようになりました。
時代時代の、もっとも利用されてそうなメディアに、って事ですよね。

※オーディオ用CD-Rや、録画用DVD-Rというのは、
仕様自体はデータ用と全く同じだけど、
補償金が付加されているから、別系統の扱いなんですよね、実は。

ところが、今、可搬型オーディオのメインは、
ウォークマンやiPodなど、メモリorHDD型となり、
テープやディスクにちょっとずつ入れて、
という形式ではなくなってきました。

また、録画の方でも、HDDにどんどん溜めて、
見終わったら消して、という事で、
DVDに焼いて残す、という習慣が減少しつつあります。

なので、これらの機械にも課金を、って事になるんですよね。

最初にも書いた通り、僕は別に、
補償金が上乗せされても構わん、という立場ですから、
ウォークマンでも何でも、課金してくれて大いに結構と思います。

録音ないし録画した時、その音ないし映像の中に、
著作権(著作隣接権を含む)が全く入っていないものなど、
ほとんどこの世にないと思います。

子供の運動会をビデオに録ったって、
BGMで音楽が流れているかもしれません。

ある意味、「幅広く、あまねく補償料を徴収する」
という考え方は、
テレビの著作権料が包括契約になっているとか、
全ての製品には消費税がかかっているとか、
非常に簡便で手間がかからないと思うんですよね。

そりゃ、一番の理想は、
「今、iPodに10曲転送しましたね。転送料10円いただきます」
「今録った運動会のビデオ、途中に10分、著作権のある曲がありました。3円いただきます」
「レンタルしたCDをコピーしましたね。30円いただきます」
なんて、何か行動するたびに、自動的に著作料が引き落とされていく、
そんなシステムが出来れば完璧なんでしょうけどね。
そりゃ、いくらなんでも無理でしょう。
てゆっか、僕はイヤです、管理・監視されているみたいで。

iPodに課金されるったって、
今2万円で売っている機械がいきなり10万円になるとか、
そんな極端な話しじゃないんですから、
むしろ、MDを買う度にチビチビと補償金を納めている、
と考えるより、最初に一括で払いきってるわけですから、
後は比較的自由にいろいろ出来る「便利料」と思えば、
あまり腹も立たないと思うんですが、いかがでしょうか。

20年来の「DATの怨み」のおかげで、
ユーザの利便が後回しにされているような気がして、
どうも釈然としないのであります。

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2008年5月15日 (木)

阿讃山脈を越える185系、夕闇の新町川

940817_21
Canon AV-1
FD 200mm F4.0(多分)
Konica XG400
高徳線 阿波大宮-讃岐相生間
1994年10月8日

いきなり話しは脱線から始まるのですが、
先日、近代美術館で開催されていた「東山魁夷展」を鑑賞してきました。

※徳島の人なら、
かつて、阿波銀のカレンダーの画が東山画伯の絵画だった、
と言えば、誰しも「ああ、あの画の人」と納得してくださる事と思います。

高校の時、国語の教科書に、東山画伯の随筆?講演?が載っていて、
たいそう感銘を受けた事が、今でも自分の写真趣味に大きな影響を与えています。

「心象風景=心の内面を風景画に表す」という、
そういう事だったと記憶しています。
今から読み直すと、また違う感想を持ちそうな気がするなぁ。

で、それ以来、「風景と鉄道」というテーマを常に課し、
また、東山画伯の作画のような「水墨画のトーン」を表現できれば、
などと思ってシャッターを切っておりました。

この写真も、そんなイメージで撮ったんだろうな、と思います。
94年という事は、高校2年生なので、まさにドンピシャの時期です。

ネガが古くなって色がくすんできた事をいいことに、
ちょっと淡い感じのレタッチにしてみました。
恐らく、撮った時は、こういうイメージだったと思うんです。

意外と、古いキヤノンのレンズは、こういう色が出やすい気がします。
僕の一番好みのレンズ、EF35-70mmも、
そういうイメージに一番近い、という理由もあって使い続けています。

東山魁夷展で、初めて画伯の画を生で見て、
いろいろ新しい発見がありました。

意外と、どの画も、カラーバランスはかなりオカシく、
全体が真緑だったり、真っ青だったり、
全体にカラーフィルターをかけたような感じがしました。
また、トーンも全体に眠く、
シャドーもハイライトもだらっと下がっている感じ。

今の目線で見てみると、そんな「写真的な目線」で解析できるので、
ほぉ、なるほどなるほど、と納得しながら見ておりました。

最近は、真っ当な「鉄道写真」ばかり、しかも、
何もかも明瞭なデジタルでばかり撮っているので、
そんな初心に帰って、奥多摩かどこかの山奥で心象風景をフィルムに焼き付けてみようか、
などと思ってみたりもします。

ちなみに、「東山魁夷展」は、
チケットを買うのに行列!10分以上待ちました!
中も、人・人・人で、じっくりと鑑賞なんてとてもとても、という感じ。
まさか、こんな展覧会にこんな人とは予想だにせず、
非常にビックリいたしました。
日本人もまだ捨てたもんではないな、などと思ってしまいました。

さて、一方、まったく毛色の違う写真を以下に。
これは、もう少し遡って高1の冬に撮影したもの。

931128_13
Minolta α-9xi
Konica XG400
牟岐線 徳島-阿波富田間
1993年11月28日

当時、兄が使っていた、ミノルタのαを借りて撮影。
今では、αと言えばSONYのカメラになってしまいました。
その前は「コニルタ」。
ミノルタの時代も遠くになりにけり、です。

この写真は、94年頭の年賀状用に、と思って撮影にいった折のもので、
実際、この写真を年賀状に採用しました。
この前の年から、自分で撮った写真を年賀状にして送る、
という習慣が出来まして、しかも、初めての年に、
いろんな人から「すごい!」「すごい!」とおだてられたのをきっかけに、
現在に至るまで下手な写真を送り続けております。
迷惑な話しですね。

こんな見事な紫色の夕焼けなんて、東京じゃ見られませんよ。
徳島でも、最近はあまり見られなかったりするんでしょうか?
雲も高いですよね。昔は、昼間に天気がいいと
「お、今日は夕焼けが綺麗になりそうだ。カメラを持って外に出よう」
と急遽出撃し、実際、綺麗な夕焼けで鉄道を収めた、
という経験が何度もあります。
今では、そんな芸当できないですけどね。
「う、持病のしゃくが」と言って早退届を出さないといけません。
なのに、重たいカメラ機材と三脚を持っていたら、
おいおい、しゃくはどうした、と部長に責められますので(笑)

にしても、ミノルタのロッコールの血をひくレンズは、
いい発色をしてくれます。
なんとなく、コニカのフィルムとの相性も良かったような
(だから合併したのかな?んなわけないか)
こんな事だと、思わず、α-7Digitalでも買いたいような気分になってきます(汗)

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2008年5月14日 (水)

「著作隣接権」はお金がかかる

日本で初めてのWEBサーバーが稼働したのが、
92年9月30日といいますから、
たったの16年前の話し。
ごっさんは、もう中学3年生になってました。

それ以来、現在までのネットの進化の速さは、
もはや、イギリス「産業革命」なんて問題にならないくらい、
人間の文化と生活に全てを変えてしまいました。

あまりに変革が早いので、
いろいろ追いつかない事も多く、
昨今では、ネットでの著作権や、
「iPod課金」などの問題が「時代遅れなのでは」
「今の時代に求められているものを」などと論議されております。

その辺の話しはちょっと横に置いておきまして、
意外に語られないのが「著作隣接権」。

分かりやすく言えば、
著作物(CDでも本でも何でもいいですが)を作る際、
発生した費用を負担した人の権利、とでも言えばいいでしょうか。

例えば、ベートーヴェンの交響曲を録音してCDにするとします。

ベートーヴェンは、とっくの昔に鬼籍に入ってますから、
当然、「著作権」は切れています。
演奏しようが録音しようは配信しようが、
その対価を、ベートーヴェンの子孫に払う必要はありません。
(いるのかな、子孫って??)

でも、録音するという事は、それ相応の費用がかかります。

まず、楽譜を用意する。
買う、もしくは借りる、という事になります。
入手するためには、送ってもらうなら送料が、
買いに行くなら交通費がかかります。
フルオケの楽譜一式なんて、そう安いもんでもありません。

オーケストラは、少なくとも50名、多ければ100名にもなります。

オケの奏者のギャラは、まぁ、大体、1回の録音で2万か3万、
ってところでしょう。
それだけ聞くと、意外に安いような、と思いますが、
2万が50名でも100万円、3万が100名なら300万円!
結構な額が、一度に発生します。

ホールを借りるのは、これもピンキリですが、
1日借りて10万のところから、50万のところまで。
録音は、たいがい2日くらいは最低かかりますから、
20万から100万、という感じでしょうか。

録音するという事は、録音エンジニアが働きます。
たくさんの機材を必要としますが、
これらも、相当の費用で買ったり借りたりしたものです。
もちろん、エンジニアさんの給料(ギャラ)だって発生します。

録音が済んだら、マスターを作って工場で製造し、流通に載せて、
あちこちでプロモーションもして・・・、となると、
1枚のCDを作るのに、まぁ、安くあがって500万、
普通に考えても、だいたい1000万くらいの経費がかかる、
と考えていいでしょう。

1枚3000円のCDを5000枚売って1500万円の売上。
でも、CDって、5000枚も売れないんですよ。
世の中の多くのCDは、500枚も売れれば御の字。
日頃、オリコンあたりで目にする「ミリオン」なんて数字は、
ごくごく一部のアーティストのCDだけの話しですから。
\3000のが500枚って事は、売上は150万円なので、850万円の赤字!

CDを作るってのは、結構大変な事なのです。

クラシックのフルオケを例にとったのでバカ高いですが、
J-POPだからって、これより安い、とは限りません。

こういった諸々の費用をレコード会社は負担し、
その代わり、その音源を自由に扱う(売るなり売らないなり)権利を得ます。
それを「著作隣接権」と言います
(かなりおおざっぱな解釈ですが、間違ってはいません)

ここではCDを例にとりましたが、
他の著作物に関しても似たようなものです。

そう考えると、CDなど著作物を安易にコピーする事が、
製造販売している会社に大きな負担になる事、
それが、文化そのものを破壊する事に繋がる事が分かると思います。
そんな実体を、一人でも多くの方にご理解いただきたいなぁ、と思うのです。

それは、例えば勝手サイトの違法「着うた」でも同様です。
著作隣接権を持つ会社は、当然、
その著作物の二次利用(CDの音源を着うたにする、など)についても
権利を持っています。商品なので当然です。

「好きな曲だから、いろんな人にも聴いてもらいたいから」
などと言うと、非常に文化的に聞こえますが、
それは実はとんでもない話しなんですよ。

デジタルの時代になると、完璧な複製をいとも簡単に作れるので、
何でも無料でいいものが手に入る、と錯覚しがちですが、
そもそも、創作物を作る人達がどうやってメシを食っているか、
という事を考えれば、迂闊な事はできないはずなのです。

どんなにネットやらデジタルやらと言っても、
人間は三度の飯(二度かもですが)を食わない事には生きていけません。

その辺の「メシの種」の事が改善されれば、
コピーして配るなり、ネットに上げるなり、
どうぞいくらでも、ってなると思うんですけどね。
その方が、工場を動かす必要がないので、
効率は非常によろしい。
そんな時代を、模索していかなきゃいかなぁ、と思ったりしております。

・・・と、ここまでの話しとは随分次元が違うかもしれませんが、
こんな記事がITmediaに載ってました。
根幹部分では同じ事です。ご参考までに。

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2008年5月12日 (月)

京王線旧初台駅付近排気口で聴き鉄

かつて、京王線の新宿-笹塚間が地上線だった跡地
(それはまた、玉川上水の跡地でもあるのですが)は、
現在、公園として整備されておりますが、
そのところどころに、京王線の排気口があります。

地下化が1960年代頭と、まだ地下に余裕があった頃(?)なので、
それほど深いところを走っておりません。

するとどういう事になるか。

風は吹き上げ、

地鳴りがし、

轟音と共に去ってゆく。

これ、ホントに地下鉄なのかよ、
という超存在感があり、
「ここに京王線あり」という事を、
いやが応にも思い知らされます。

って事で、初・よつべ。

※SO905iCSの動画機能で撮影しました。

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三木稔×瀬戸内寂聴「愛怨」

「愛を怨む」と書いて、「あいえん」。
何とも怖いタイトルです。

徳島が誇る大作曲家、三木稔氏の作曲、
そしてまた、徳島が誇る大作家、瀬戸内寂聴さんの脚本による、
全3幕のグランドオペラ「愛怨」、2006年に新国立劇場で初演されたものが、
いよいよDVDとして発売される事になりました。

今回が8作目のオペラ作品となる三木先生は、
我が母校の高校の大先輩。
一度は、三木先生のオペラを鑑賞したいものだ、
とかねがね思っていましたが、
運良く、初演の公演のチケットを入手でき、
実際に上演を目の当たりにする幸運を得ました。
終演後、三木先生にご挨拶する事もでき、感無量でした。

作品詳細は、三木稔先生のサイトをご覧ください。

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2008年5月10日 (土)

「瀬戸」と185系「うずしお」5連

今日は雨だった事と、
昨日あまり体調がよろしくなかった事もあり、
一日家にこもっておりました。
といっても寝込んでいたわけではなく、
ひたすらネガをスキャンしてサムネイル画像を作ってました。

いくつかおもしろいのがありましたが、
2点ほどご紹介。

980628_10
PENTAX Z-1
Konica JX400
JR予讃線 国分駅
1998年6月28日

瀬戸が「サンライズ」化されたのは7月10日かららしいので、
その少し前に撮影したもの、という事になります。

「瀬戸」は、宇野始発着の時代から憧れの的で、
その後、高松始発着になってから1度だけ、
A寝台のソロに乗って東京に行った事があります。

EF65 1000番代が牽引する24系25型・・・、
なんて、とってもありふれた組み合わせだと思っていたら、
先日の「銀河」引退によって、この組み合わせの定期列車も消滅したんですよね。
昔、絵本でもなんでも、子供向けの電車の本の花形といえば、
EF65の引くブルトレだったような気がします(僕世代は)

このコマの前後、当時としてはいつもの如く、
モードラを全開で連射しまくっているのですが、
サービス判でプリントしていた時は、
このコマの前のショットがベストと思ってました。
というのも、このコマは、スカートだかパンタだかがはみ出してたからです。
でも、スキャンする時は、ノートリミングで取り込めるので、
プリントでは切れてたところもちゃんと入ります。
当時としては、かなりイケてる写真の部類に入ります。

続いて、高徳線を走る185系「うずしお」。

971200_02
PENTAX SuperA
Konica LV400
高徳線 佐古-吉成間
1998年1月(頃)

先日の、黄金色の鮎喰川のエントリーの写真の、
丁度真裏側の橋から撮った写真、のはずです。
鉄橋の向こうに、小さく、「こんにゃく橋」が写ってます。

今や、2000系がメインの特急「うずしお」。
この写真の頃は、185系のみの、最後の時代になると思います。
98年半ば頃のネガには、もう2000系が写ってましたので。

日頃、2両ないし3両で走っている「うずしお」ですが、
年末年始や、お盆の「阿波踊り」の頃には、増結するので、
こんな5連を見る事もできました。
しかも、オールモノクラスなので、5両とも「キハ185」。
運転台が5つも付いてて、勿体ない気がしたものです(笑)

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2008年5月 9日 (金)

続・水島臨海鉄道のキハ20

アクセス解析を眺めてみると、
1月9日のエントリー「水島臨海鉄道でキハ20を撮る」のアクセス数が
まったく落ちない事に気づきました。
やはり、国鉄一般色のキハ20の人気の高さ、ですかね。

って事で、まだ未公表の写真を。

Imgp944001
PENTAX *ist Ds ※兄より借用
TAMRON SP 90mm F2.5 52B ※兄より借用
1/640秒 F8.0 (ISO400)
水島臨海鉄道 倉敷市-球場前
2008年1月4日

この日、キハ20は、「水島臨海鉄道色」と「国鉄一般色」のペア」。
まず最初は、三菱自工前方面から、水島色を先頭に走ってきて、
「あ~!」と兄弟で叫んだのですが、
後で「鉄道ピクトリアル」誌の読者投稿を読むと、
この組み合わせ、実は稀にしか見られないらしい。
そうとも知らず、怨みの念を送る、ごっさん兄弟(笑)

この写真は、その後、倉敷市から折り返してきた方なので、
一般色が前に立っています。

前回エントリーの写真は、
その2連がまた倉敷市に戻り、
そして再び三菱自工方面へ走っていく時のものです。
あー、説明的な文章。

ちなみに、水島臨海鉄道では、
終点・三菱自工前の、更に奥に車両基地があり、
そこに、なんと懐かしい、四国色のキハ20が保管されています。

Imgp949201
PENTAX *ist Ds ※兄より借用
SMC PENTAX-FA 24-90mm F3.5-4.5 ※兄より借用
1/640秒 F7.3 (ISO200)
水島臨海鉄道 三菱自工前(車両区)
2008年1月4日

僕の記憶では、四国からキハ20が消えたのは1991,2年くらい。
恐らくその後、他のキハ20と共に海を渡り、
この車両は、部品取りように保管されたのでしょう。
それから15年以上を経ていますが、
経過した時間の割には、それなりのコンディションのように見受けられます。
ちなみに、リサイズ前の画像で確認すると、
車番は「キハ20 513」でした。

※今、ネットで調べてみたら、
松山区に所属されていたキハ20で、91年に廃車されているようです。

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たらこ47、快走中

Nef_1112rsp
Nikon D200
SIGMA 55-200mm F4-5.6 DC
JR牟岐線 二軒屋-文化の森間
2008年5月8日

徳島から、撮れたてホヤホヤの写真が届きました。
gochi-zohこと兄の撮影による、
国鉄色復活のキハ47の2連です。

この場所こそ、僕が毎朝通学で通っていた道にある踏切・・・、
よりはヤングマリン寄りっぽいですな。
おっと、今は「スーパーオートバックス」だったかしら??

背景に写るは、「徳島製粉」のサイロ。
「金ちゃんラーメン」のうまさについては、過去のエントリーを参照。

にしても、まばゆいばかりの「たらこ色」。
昔は、もっと白っぽかったような?
って、それは塗色が薄くなっていたんでしょうね、きっと。

これだけ艶ありの赤い塗色だと、
模型にするなら、かなり光沢のある赤い色にしなきゃ、ですね。
と、計画は密かに進行中?(笑)

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2008年5月 8日 (木)

黄金色の鮎喰川、こんにゃく橋

990117_08
PENTAX Z-1
KONICA JX400
高徳線 佐古-吉成間(鮎喰川鉄橋)
1999年1月17日
※デュープ機材
Nikon D7000
Super-Multi-Coated Macro Takumar 50mm F4
(「muk camera service」製マウントアダプタ使用)
1/4秒 F5.6 (ISO400)

※2012/6/11、写真差し替え。

過去のネガをガンガンとスキャンして、
インデックス化する作業をしている時、
ふと手にした1本のネガ。
「あれ、こんな写真、撮ってたっけ??」

自分が撮った写真、
遠方だと、何駅あたりだったか、記憶が曖昧な事はあれど、
写した事自体を覚えていない、というのはあまりなく、
はてさて、と思いながらデータ化していると・・・、
あ、思い出した、ここで撮った写真だ。


大きな地図で見る

撮った場所が、だいたい、上の地図の真ん中あたり。
狙っているのは、地図を左の方にスクロールしてくると見える、
小さな橋と、高徳線の鉄橋。
後ろの山は、神山方面になりますかね。

黄金色の夕陽にキハ47。
なんですが、これはかなり作った色です。
実際には、もっと空は普通の青空でネガに記録されてました。
でも、こんな感じの方が雰囲気が出ていいかな、と。

手前の小さな橋は、通称「こんにゃく橋」。

そもそも徳島は、水の国、と言われるだけあって、
やたら橋の多い県です。
大きいのでは「大鳴門橋」が筆頭として、
小さいのになると、大水の際には水没する事を前提にした、
「潜水橋」なんてのがあちこちにあって、
コンクリートの打ちっ放しみたいな簡素な橋で大変危険なんですが、
この「こんにゃく橋」はもっとすごい、
洪水になったら、さっさと「お流れ」になっていただいて(笑)、
水がひいたら復帰させればよい、というような代物。
実際、これはベニヤか、と思えるような薄い木の板が置いてあるだけ、
幅は、人が1人やっと通れる程度、
なので、双方から何も知らずに自転車で進入すると、
後は、真ん中でぶつかって川に転落するのみ、
という、さも恐ろしい橋でありました。

風の噂では、さすがにキケンすぎるからと、
撤去されたorする、とか?
淋しい気もしますが、真っ当な判断だとも言えます。

写真を撮ったのは、99年の1月17日。
「あの震災」の丁度4年後・・・、なんて思ってたら、
家がゴゴゴゴゴと揺れ始める。じ、地震!
茨城県沖で頻発している群発地震の、一番大きいのがきました。
今回はプレート地震なので、震災の時の活断層直下型とは違い、
長時間、グラグラと揺れました。
東京にいれば、いつかは東海地震が・・・、
徳島に帰ろうかな。って帰ったら南海地震が?
富山に引っ越すかな(一応、日本で一番地震が少ない県)

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2008年5月 7日 (水)

5/3~6の日記

このGWは完全カレンダー通りにつき、
4/26から数え始めると
「2日休んで1日働き、1日休んで3日働き、
4日休んで、(明日から)3日働いて、2日休んで」
という、超不規則な毎日を過ごしておりますが、
みなさまいかがお過ごしでしょうか。
(って、そういう人が一番多いんだろうけど)

その中でも、一番GWらしかった4日間がアッという間に終了。
軽くダイジェスト。

■5/3(土)
取引先(厳密に言わなくてもちょっと違うのだが、便宜上)と「スイーツの会」。
そもそも、下戸で不調法なごっさんにつき、
あって話しをするなら甘い物の会を!、という事で、
今回が3回目となる。

某ホテルのラウンジにて行われていたケーキバイキング。
14:30から18:30までで時間制限無し、の会だったが、
その時間を過ぎてもずっとペチャクチャ、ペチャクチャ。
一応、ホテルのラウンジである以上、出て行け、とは言われない。
そして、フッと気がつくと、なんと21:30!
なんと、前半は甘い物だけで、
後半は水だけで(!)7時間も盛り上がっていたのでした。

僕は酒飲みじゃないので、必要に応じてテンションを切り替えられる、
いわゆる「脳内アルコールデヒドロゲナーゼ」を機能させ、
こういう場を乗り切る事ができるのだが、
後の3名も、ケーキと水だけでこのテンションを持続させたのだから、
なんとも大した面々であったと思われる
(ちなみに、毎回このテンションである、というのはヒミツ)

■5/4(日)
この連休中に、御殿場アウトレットに行けたらなぁ、
とカミサンと話しをしていたのだが、
どうやら車は大渋滞&駐車場に入れないようなので、
RSE「あさぎり」に乗っていくか、という事になる。
しかし、同じ事を考える人は多く、
前日、ロマンスカーの空席状況を見ると、
午前は既にいっぱい、午後はかろうじて若干の空席。
なら、とりあえず小田急の窓口まで行って、
「あさぎり」の空席を聞いてから、今日の予定を考えよう、という事に。

で、聞いてみると、やはり、まだ空席有り、との事。
早速指定券と、御殿場往復割引券を購入し、
初めてRSEの乗客となる。

日頃小田急に乗って会社に行っているが、
町田から西へ行く機会はまれで、車窓に釘付け。
もちろん、将来撮影に行く事を考えての事、であるが、
「ここ、良さそう」と思うところは、駅間のど真ん中、
しかもどえらく離れてたりするので、あまり参考になっていない。

松田からは御殿場線に乗り入れ。
そういえば、JR東海の線路を走るのも相当久しぶりである
(こういう場合、新幹線は除外するべき)

さすがは旧東海道線、山線に入るまでは結構な速度で飛ばす。
しかし、ひとたび峠に入ると、右に左に折れ曲がり、
さすがにRSEも、もたつき気味。
時折、かつての複線跡である橋脚やトンネルが目に止まり、興味深い。

御殿場駅にさしかかる直前から、
あちこちの道路で大渋滞が発生しているのが目に止まり、
車で来なくてよかったと改めて思う。

御殿場駅からのシャトルバスに乗ると、
超ジモティな運転手さんが、田んぼのあぜ道のような裏道を通り抜け
(普通の路線バスサイズの車で、です)、
予定よりは遅れつつも、無事アウトレットに到着。

一番の目的はNikonのアウトレットストアだったが、
「D40Xが安かったら買おうかなぁ」という目論見とは裏腹に、
ボディ単体で6万円台後半というぼったくり価格。
ちなみに、フジヤの中古なら3万円台後半、
マップの新品在庫特価でも4万円台後半だ、話しにならねぇ。

後は、カミサンと一緒に、ひとしきりの店を見て回り、若干の服などを購入。
途中、「Banana Republic」で見かけたスカートがかわいい、という話しになるが、
「いいや、別に」とカミサンが言うので購入せず。
でも、後から、やっぱ買ってあげてたら良かった、と後悔の念にとらわれる。

帰りは、「あさぎり」埋まっている事が分かっていたので、
普通列車の乗客となる。
いつもは、313系の2連が走っているはずだが、
アウトレットの客をさばくためだろう、4連に増車。
しかし、恐らく乗車率は150%くらいに達していたであろう。
みな、アウトレットから都心へ向かい乗客ばかり。
きっと、地元のみなさんは辟易とされているに違いない。

D52が静態保存されている山北駅が、丁度、峠の終了地点。
ここからは下り坂となるので、
「新快速」でもお馴染みの313系がぶっ飛ばしていく。
行きのRSEがグングン駆け上がった勾配を、
313系が恐ろしいばかりの速度で駆け下りていく。
あ、そういえば、途中駅で遅れていたのでした。回復運転、回復運転。
松田に着く頃には、きっと、定時に戻っていたはず。

新松田から、小田急の「急行」の乗客となり、1時間ほどで登戸着、
近所のインド料理屋で晩飯、
前々から気になっていたが、かなり本格的なインド料理だ。
また来よう。

■5/5(月)
今日は、カミサンを巻き添えにして、
アキバへ模型屋巡り。
主な目的は、グリーンマックス(GM)のショップで行き、
クハ111の部品を買う事。
実は、15年前、GMの111系4連キットを購入し、
JR四国仕様に改造して組み立てていたのだが、
3両完成し、4両目の改造が済んで、後は塗るだけ、
という段階で工事ストップしていたのだ。
これを再開するには、まず、紛失した部品を買う事から・・・

と思ったら、15年の歳月を経て、GMの111系はリニューアルし、
全く部品に互換性が無い事が判明。
悩んだあげく、残りのクハ111は、現行キットで組み直す事を決意。
窓埋めから再開する事にする。
でも折角なので、このネットのご時世であるから、
当時の111系の事をよく調べてから組み始める事にしよう。

そのほか、GMの小田急9000系4連キット+2連中間車キットを購入。
これを5200系6連に仕上げる。
それに、5000系4連をいずれ購入し、10連に仕上げよう、というわけだ。
先日から、小田急で5200系や5000系を見るたびに、
ディティールの写真を記録し始めた。
なんか、我ながら本格的になり始めているのではないか、
というツッコミが。

GM以外では、「ぽち」や「ポポンデッタ」などを巡り、
KATOの旧製品のクハ181を探すが、全く見あたらない。
モハやモロ、サロはごろごろあるのだが。
手元の181系セット、クハ1両だけが欠けているので、
なんとか、リニューアル前のクハを買いたいところで、
しばらく粘ってみようと思う。

■5/6(火)
今日は、有楽町まで、「熱狂の日」を鑑賞に行く。

最初は、ヴェトナム国立交響楽団の演奏で、
シューベルトの5番と、モーツァルトの「大ト短調」。

カミサンが、5番が聞きたいから、という事で聴きに行ったわけだが、
恐らく、生涯で、この機会以外に耳にすることはないであろう、
ヴェトナムのオーケストラの音に興味津々。

正直、レベルは、国内大学オケ(アマの)位だと思う。
時折、ハッとするようないい音色を聞かせるところがプロオケの面目躍如だが、
ホルンなどは、「打率5割」くらいで、音はずし過ぎかな、と。
また、ヴァイオリンは、コンサートミストレスよりも、
2人後ろの、長身の美女の人の音量が大きい、
といか、各員の音量がまちまちで、アンサンブルが揃ってない。
弓の動きも、随分小幅で、いかにも音量出なさそうな人ばかり。

と、悪口を書き並べてしまっているが、
不思議と、さわやかな気分で鑑賞できた。
それなりに一所懸命弾いているのが伝わってくるからだろう。
また、メンバーがおもしろい。
女性も男性も、ヴェトナムの民族衣装に身を包んでいる。
女性は、映画の主役かと思うような美女ばかりで、
一方、男性は、ホーチミンの街角の屋台で
怪しげな果物のジュースを売っているオジサン、というような方たちばかり(笑)
とにかく、ビジュアル的にも、馴染みのないオケでとてもおもしろかった。

※米英の人の目からみれば、日本のオケも、似たようなもんなんだろうか、と思いつつ。

昼食をはさんで、午後は、オーケストラアンサンブル金沢(OEK)他の演奏で、
ベートーヴェンの秘曲「合唱幻想曲」。
劇ムズのピアノに、ソロの歌手6名、合唱、オケという超大編成で、
日頃、あまり演奏される機会がない(それだけ人を集めると、
ギャラが大変で仕方ないから)

作品番号的に、交響曲第6番と第7番の間に位置しており、
やりたいことを無理矢理詰め込んだらワケ分からなくなりました、
的な雰囲気が伝わってくる曲だが、
終結のフォルテッシモの爆発のエネルギーがものすごい。

秘曲だけに、「ラ・フォル・ジュルネ」としては比較的硬派な、
割と普通のクラシックのコンサートに来そうな客層ばかり。

にしても、こうして聞いてみると、OEKのレベルの高さはすごい。
アンサンブルと団体名に入るだけあって、
サウンドの統一感はまさに室内楽。
指揮者の要求にも的確に、機敏に反応する。
ピアニストの女性は、難しいパッセージも難なくこなし、
ちょっと軽くこなしすぎか、と思うほど。
ベートーヴェンなんだから、もっと重々しくても、と思わなくないが、
あまりに見事に弾きこなすので、はぁ、参りました、と言わざるを得ない。

シュレスヴィヒ・ホルシュタインの合唱団は、
少ない人数で室内合唱だが、精鋭揃いという事もあり、
オケを蹴散らすような大音量の合唱で度肝を抜く。さすが。

「ラ・フォル・ジュルネ」は、第2回以来、なんだかんだ、
毎年聞いているが、今年も、なかなか興味深く聞かせてもらった。
来年は「バッハ特集」らしい。また聴きにこようっと。

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2008年5月 4日 (日)

「スハフ43 3」ようやく完成!

去年の11月頃に作り始めた
国鉄末期の姿を再現した「スハフ43 3」。
途中、製作がストップしておりましたが、
先日再開し、ようやく、完成にこぎつけました~

Dsc00175

ホントはDE10と連結しないと徳島って事にならないんですが、
手元になかったので、DF50と繋げて展示してみました。

どこをどうこだわった(つもり)か、
細かい事は次回書きます。
もう時間も時間なので^^

ちなみに、引き続いては、
スロ53より改造された「超ロングシート車」、
オハ41 455に挑戦するか、
15年前に製作がストップしていた、四国色111系を再開するか
(欠落部品を、アキバのGMストアに買いにいかないといけない)、
目先をかえて、以前住んでいた足立方面でよく見かけた、
東武の「2両ユニットを3つ繋げた6両編成」
(すなわち、運転台が6両ともにあり、かつ、
クモハはパンタが2つなので、合計6つ!かなり勇壮)にするか、
はたまた、宇部線のクモハ42にするか、
などと、いろいろ検討を始めております。

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2008年5月 1日 (木)

素人政治に辟易とする

揮発油税の暫定分が、
無くなっただの復活しただのと、
マスコミを賑わす2008年春。

「国民全てが待ち望む暫定税率廃止」などと、
民主党は気勢をあげているが、
それは間違いなく虚構である。
この問題に目を向けるには、
少なくとも2つの視点が必要となる。
すなわち、
「都会」と「地方」の相違、更に
「地方」の中での立場の違いである。

「都会」と「地方」の相違。
これは、都会にいて感じる事である。
すなわち、どうにも実感が湧かないのである。

都会は、電車網が発達しているので、そもそも車の必要性が薄い。

車が無くても、ほぼ生きていけるし、
よしんば持っていても、使用頻度が低い。
僕自身、3月に給油して以来、
まだタンクは半分以上ガソリンが残っている。
給油するのは2,3ヶ月に1度、
税率が下がろうが上がろうが、あまり家計に響かない。

一方で、道路網は充分に発達しており、
今更新しい道路を作る必要性も低い。
今から工事をするとすれば、
「開かずの踏切」を解消するために、
電車と道路を立体交差する工事をしましょう、とか、
オリンピックの時に作った高速道路の耐震補強をしましょうとか、
その程度ではなかろうか。

すなわち、都会にいると、ガソリン価格の変動に影響もされないし、
暫定税が無くなる事による弊害もない。
テレビや新聞で大騒ぎしているのが、
我が事として実感しろ、というのが難しいのが実情である。

民主党は都会寄りの政党である。
蚊帳の外の政党だからこそ、
こういう大事を、政局の材料程度にしか見ることができないのである。

政治が、都会人の論理だけで左右され、
地方がもてあそばれている現状が浮き彫りになっているのではなかろうか。

さて一方、地方にだけ目を向けても、やはり、「廃止賛成」の一枚岩ではないはずである。

車に日常乗っている人なら、まぁ、まず間違いなく、
暫定税率廃止は賛成の立場だろう。
家計が助かるのに、反対する道理はない。

しかし、道が不便で困ってる人にとっては、
暫定税率廃止の影響で道が作られなくなれば大変なので、
反対の立場に立つことになるであろう。
事実、そういう声も、多少は、マスコミから聞こえてきた。

整理してみれば、暫定税率廃止(既に復活したが)に賛成の立場を取るのは、

・日常、車を使わないと不便極まりない
・自身の動く範囲内の道路網は充分に整備されている

という方々に限られるはずだ。
ごく一部、とは言い過ぎだろうが、
必ずしも「国民総意」とまで言い切れるほど、
「暫定税率不要」な意見の方ばかりでは無いように思われる。

民主党が騒ぎ立て、
マスコミはネタになるからと煽りたてているが、
実は、いまいち興味が湧かないとか、
案外困ってないとか、そういう人も、少なからずいるはずである。

しかも、マスコミの伝え方は、いまいち、当を得ていない。
すなわち、「ガソリンが安くなります」「高くなります」。これだけが主題になっている。

安くなります、と言われれば、そりゃ、安い方がよろしかろう、となるし、
高くなります、と言われれば、反射的に、また値上がりですかいな、と思ってしまう。

どうにも、そういう目先の尺度でしか伝えていないように思えるのである。

マスコミの、物事を一面からだけ、
しかも、恐ろしく偏って集中的に報じ続けるという、
いつもの悪い癖が、相変わらず治ってない事に腹立たしさを覚える。

山口補選や、後期高齢者医療制度についても一言述べたいのだが、
それはまた、次の機会に。

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