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2008年7月27日 (日)

旧徳島駅・改札口

長らくお待たせいたしました。
旧徳島駅の改札口の写真をアップいたします。

910100_30

Canon EOS630QD
SIGMA 28-70mm F3.5-4.5
Fuji Super HG 100
JR徳島駅
1991年2月17日

※画像をクリックすると、等倍の画像をご覧いただけます。

今の改札口よりも、もっと「セントラルステーション」ってたたずまいですね。
ゴミが散らかってますが、
これは、既に仮駅舎に引っ越した後だからです。
なので、ひとけも無いわけです。

硬券の切符に、パチンパチンと切れ込みを入れるハサミの音が、
聞こえてきそうな改札口です。

※当ブログ名物?懐かしい旧徳島駅のエントリーはこちら。
2007/6/29 2007/7/10 2007/7/15 2007/11/13 2008/3/2
※番外編・懐かしの旧佐古駅はこちら
2008/7/2

*08年10月21日:撮影日を追記。

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コメント

JUN殿

貴重なお父上との想い出、ありがとうございます。

1947年GHQ命により永く続いた鉄道公安制度が廃止され、
都道府県警察地域部または生活安全部内鉄道警察隊へと引き継がれました。
警視庁など大規模警察本部では鉄警隊として独立してますが、
殆どの県警察では地域課内付属隊です。
当時、徳島鉄道公安室の公安員の方達が、前倒しで警察官となり、
県警察学校で訓練中という新聞記事を覚えております。

大学在学中に国鉄からJRとなり、私は卒業後徳島県警察官を数度受験しましたが、
縁が無く、公共交通機関に永く在職しておりました。
その時にお付き合いのあった鉄警隊員のお話によると、
その後、元公安員の警察官は、捜査や交通の専務員へ移動になり、定年でみなさん退職されたそうです。

投稿: しんすけ | 2008年8月 9日 (土) 01時50分

@JUN様

大変貴重なお話しをありがとうございました。

国鉄がJRになったのは、ごっさんが9歳の時の話しで、
「みんえいか」とか「ごうりか」とか、
言葉としては聞き覚える事ができても、
それの意味する事など、からっきし分かりませんでした。

「鉄道公安官」というお仕事は、
(このブログの初期に書いた事がありますが)
故・石立鉄男氏が主演の同名ドラマで知っていて、
鉄道を守る警察みたいな人がいるんだな、
程度の事はなんとなく知っていましたが、
実際に、徳島駅なんかで目の当たりにする事は、
ついぞありませんでした。
JR化後には、「鉄道警察隊」の部屋があって、
あぁ、昔の公安官の人達はここにいるのかな、
なんて思った覚えがあります。

JRになって20年超。
労使で争う、という事はめっきり無くなりましたが、
それはつまり、力関係が「労<使」で定着した、
って事かもしれないですね。
JRに限った話しじゃないかもしれませんが・・・。
それが過ぎると、JR西日本の事故のような事になるのかな、
と思ったりもします。

投稿: ごっさん | 2008年8月 8日 (金) 01時52分

ごっさん様 しんすけ様

こんばんは。
はい、亡父は公安官でした。記憶を辿ると、国鉄入社?入局?後、駅だか車両区だかの事務方だったらしいのですが、公安官登用試験に合格し、鉄道学園?の公安科?を履修し公安官に転官したらしいです。

公安官に転官するってすごいことらしいです。すごいというのは、倍率が高いとか優秀と言う意味ではなくて、労組脱退しなければならないため・・・。父は国労動労ではなくて鉄労だったため、妨害等はまったくなかったみたいですが・・・・
初めての公安官勤務が四国でよかったとも言ってました。
四国・関西は言うほど労使関係・労労関係、悪くなかったみたいです。

そう、確か千葉によく行くと言っていました。

『我々はこの先どうなるかわからない。夢は諦めたほうがいい・・・。』
国鉄末期は成人になってたので、よく知ってるのですが、公安官自体が消滅でみんなバラバラになりました。
警察に行った方が一番多いみたいですが、JRの鉄道員・在阪・在名・在京の大手私鉄もかなり引き取ってくれたみたいですね。あとは海上保安官とかNTTとかの他公務。

父は定年間近だったので退職、苦労はなかったみたいです。
母が父以上に稼いでたので、それも幸運だったと思います(笑)

私は徳商出身なのですが、当時、関西私鉄の求人が何社か来ていました。南海電車や近鉄電車や神戸電鉄とか
国鉄はさすがに末期近くだったのでなかったのですが、親父と同じ仕事もいいかな??大手私鉄なら食いっぱぐれもないだろうしって考えたりもしたのですが、父も母も大反対。鉄道だけは止めてくれと・・・・

投稿: JUN | 2008年8月 6日 (水) 22時45分

割り込み無礼、失礼致します。

JUN殿のお父上は文面から察すると、鉄道公安員を拝命されてたのでしょうか。

都心のスト警備や労使紛争警備、
成田空港までのジェット燃料輸送列車の沿線警備やヘリからの同乗警備、
また寝台特急『瀬戸』の警乗など四国総局各公安室からの応援もあった時代でしたね。
当時は阿波池田や多度津、西条に鉄道公安派出所が設置されてました。

私は鉄道公安職員を目指してました。
もちろん国鉄に入社にするのが先でありましたが。
国終焉間近の修学旅行時、東京駅丸の内北口の東京中央鉄道公安室へ見学に行き、
その時の応対してくれた警備科公安員の言葉が心に残ってます。
『我々はこの先どうなるかわからない。夢は諦めたほうがいい・・・。』と。

氏の文中、国鉄職員同士の対峙のくだり、
お父上の当時のジレンマ、非常によく理解いたします。

徳島駅構内で撮影させていただいた、公安職員の方々の写真、まだ宝物です。


投稿: しんすけ | 2008年8月 4日 (月) 05時00分

@JUN様

コメントありがとうございました。
ホントにいい思い出をお持ちですね。
こんなものでも、写真撮っておいてよかったと思っています。

しかし、国鉄といえば「スト権スト」ですね。
さすがに、ごっさんは記憶にないですが・・・。
でも、今でも千葉方面では、国鉄労組のストがあります。
民営化を機会に首切り・・・、
経営健全化の建前とはいえ、辛い決断だった事でしょう。
あ、でも当時は、中曽根首相に石原運輸大臣?
それくらいの顔ぶれじゃないとできませんね、こんな大事は。

出札口の解説もありがとうございます。
どうも、日頃、SuicaとPASMOに慣れてしまうと、
切符を買う、という行為自体が非日常化しております。

投稿: ごっさん | 2008年8月 4日 (月) 00時50分

ごっさん様

またお邪魔しました。
懐かしい風景拝見させていただきました。
これは出口の方ですね、実家の写真には入口の方はあったのですが、こっちはなかったので本当懐かしいです。

父の職場がこの改札を入った先にあって、子供の頃、時々母に頼まれ弁当を持って行ってました。
出口の駅員さんに「父さんに弁当持って来た」と言えば「ええよ~」とフリーパスでした(笑)
昭和53年頃、いま思えば駅自体にも活気があって、いい時代やったと思います。ギクシャクしてないって言うか・・・。
ただ労使関係は当時からギクシャクしてみたいですね。
私が20くらいの頃、当時父は徳島勤務ではなかったのですが、首都圏のストだか紛争だかの警備にたまに駆り出されていました。同じ国鉄職員同士が対峙する・・・嫌だったみたいですね。

ひとつだけ。
出しゃばって本当に申し訳ないのですが許してくださいね。雑学というか話のネタにしてくださいね。

「出札口」というのは出口の改札のことではなくて、「切符を販売」することを「出札」。切符を販売する窓口のことを「出札口」と言います。 国鉄(JR)だけか、私鉄もそうなのかは知らないのですが・・・。
どうでもいい話ですね。酔うといつも父が鉄道の話をしてて、おかげでほとんど利用しないにもかかわらず、どうでもいい知識だけは身につきました(笑)

投稿: JUN | 2008年8月 3日 (日) 01時53分

徳島って、いいんか悪いんか、
「のんき」ですよね、全体的に。
まぁ、例の阿南の事件にしてもそうですけど。
通帳預けっぱなし、監査もなし、
ほら、ずさんと言われても仕方ないよなぁ、と。
僕もなんとか、帝都では「のんき」を表に出さないよう、
頑張って仕事してますが、おかげで結構疲れます(笑)

投稿: ごっさん | 2008年8月 1日 (金) 00時58分

でね、今朝(29日)のY新聞徳島版の記事中写真。
前日の瞬間的豪雨で国道11号冠水の写真、
確かにバイクや自動車が少し冠水した道路を走ってる。
徳島市中洲町で撮影とある、うんY新聞支局もあるとこだよね。って、ちょっと待てよ、おい!
その写真、よく見るとJ東高校校舎が写ってる。
おまけに隣の新聞社社屋もばっちり!
そこは中徳島町じゃ~!

朝5時過ぎに支局へ架電、指摘するも、
寝起きの声で「指摘ありがとうございます・・・」だって。

投稿: しんすけ | 2008年7月30日 (水) 01時50分

@しんすけ様

徹夜明けとの事、お疲れさまです。

改札と出札って、違いましたっけね。
あぁ、そういえばそうだったかも。
どうにも古い記憶で・・・、なんせ、当時は小学生・・・、
この写真で、かろうじて中学生・・・、
しかも徳島駅なんて、年に数度しか使ってなかったですから・・・
よく使うようになったのは、仮駅になってからでした。

個人的に、徳島駅で覚えていると言えば、
パン屋さんなんですよね。ウィリーウィンキー。
国鉄末期に「直営」でスタートし、JRに継承。
この旧駅閉鎖にともない、二軒屋駅に引っ越して、
さて、今はどうなっているやら?

あと3年、取り壊しが遅かったら、
いろいろ思い出も残ったろうな、って思うんですが。
かろうじて、これらの写真にとどまるのみです。

投稿: ごっさん | 2008年7月29日 (火) 23時32分

徹夜明けの頭に嬉しい写真!

これは出札口ですね。
現在駅と違い、改札口と出札口は離れてました。
間にはキオスクや喫茶店、焼餅やさんがいい匂いを漂わせてました。
列車から降りてこの出札口に向かうと、
左側に真鍮の蛇口がレトロなタイル張りの洗面台がありました。
同じく鉄道弘済会の旅行者援護所、そのもっと奥に鉄道公安派出所。
出札を出て、左方にキレイでない便所、並んで徳島市だかの観光案内所、
今のクレメント東側出入り口辺りに日本食堂“駅食堂”、
現JR高速バス乗車券販売所には徳東PS駅前PBがありましたね。

あぁ、あの日に帰りたい・・・

投稿: しんすけ | 2008年7月29日 (火) 10時01分

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