増結・急行「よしの川」、91年夏
盆暮れ正月には、
特急や急行の編成が長くなる、というのは、よくある話しです。
現役時代の急行「よしの川」も、
平時はキハ58+キハ65という編成が定番でしたが、
かき入れ時になると、キハ65を増車した3両編成で運転されました。
なので、お盆や正月は、滅多に見られない3両編成を写すべく、
率先して徳島線に足を運んだものです。
※ちなみに、特急「うずしお」も、
平時はキハ185オンリーの2両or3両編成で運転されるところ、
お盆にはキロハを含む4両編成で運転される事もあり、
いつもと違う車両が来るからとワクワクしたものです。
※もひとつちなみに、
以前、TOMIXから模型化されていた「急行よしの川4両セット」は、
キハ58が2両、後はキハ65とキハ28の4連という組み合わせでしたが、
実車通りに走らせるなら、キハ65とキハ58だけをチョイスしなければいけません。
決して、キハ28が連結される事はありませんでした。
この写真は、91年の8月に、穴吹川の鉄橋から撮影したものです。
Canon EOS630QD
SIGMA 28-70mm F3.5-4.5
Fuji Chrome 400 (RHP)
徳島線 川田-穴吹間
1991年8月12日頃
多分、穴吹川で写したのは、この時が初めてです。
その後何度も足を運び、
最後に(現役の)「よしの川」を写したのも、穴吹川。
先日のさよなら運転では、兄(オヤジ)に任せましたが、
本当は、僕一人だけで、ここで撮影したいと思ったのが、本音です。
しかし、今から考えると、こちら側から撮るのって、
ど逆光もいいところじゃん!、と思います。
しかも、夏の快晴、かなりのピーカン。
よって、サイドはほとんど真っ暗でした。
そこを、Photoshop様のお力を借りて補正し、
なんとかそれなりな写真に仕立ててみました。
デジタルの時代だからこそ、蘇った写真、と言えます。
でも、こちら側から撮る方が圧倒的に好きでした。
バックの橋が、順光だと、そっけないし、距離も近い。
また、いろいろ建物もたってて、背景がごちゃごちゃしちゃいます。
こちらからだと、バックに高越山~剣山に連なる山々が、
また、写り込む橋も昔風でいい感じなので、
風情のある写真が撮れるわけです。
なので、僕が穴吹川で撮った写真の多くは、
こちらサイドからのものです。
キハ65が2両も繋がっている、超強力?編成です。
さぞ、力強い走りを見せてくれた事でしょう。
同じ徳島線を走る快速は、
「よしの川」と同じ58+65で運用されていましたが、
こういう時の増結にはキハ40が使われていました。
このポジの前後にも、その記録が残っています。
こちらは逆に、重々しい足取りで走り去っていった事でしょうw
| 固定リンク
「鉄道(徳島)」カテゴリの記事
- 久しぶりの高徳線、今度は「西から東」(2024.11.18)
- 久しぶりの牟岐線、初めましての牟岐線(2024.11.10)
- 【ご案内】「鉄道伝説SP 2022春」で写真が放映されます(2022.05.05)
- 阿佐海岸鉄道、開通のあの日(2020.12.05)
- 【懐かし写真】JR四国181系、定期運用最終日(2020.04.27)
「鉄道」カテゴリの記事
- 野田線8111F、ポートレート(2025.05.05)
- 銚子電鉄 3000形「澪つくし」号 2024年の瀬(YouTube)(2025.01.04)
- 久しぶりの高徳線、今度は「西から東」(2024.11.18)
- 久しぶりの牟岐線、初めましての牟岐線(2024.11.10)
- 銚子へ ~Canon PにFerrania P30を詰めて (6)「1000人画廊」でDS3を撮ってからの犬吠埼(2024.10.04)
コメント
> ヒグマの時代
だと思うんだけどなぁ。
サンゴナナジュウに買い換えた時期が不明で、
多分そうだろう、と思って書いてはいるけれども。
28mmだと、もっと広角っぽい写りになる気も。
「35-70mm初期」かもしれぬ。
初期のネガやポジをスキャンしてみると、
腕の悪さは置いておいてw、
スッキリしたクリアな写真が多い。
慌てて手放す事はなかったかも、と思う。
で、いつも「超破格だけど状態のいい」
28-70mmが無いかと、密かに探してたりするw
投稿: ごっさん | 2008年10月24日 (金) 21時41分
シグマ時代の写真か~・・・
後から知るところによれば、シグマ28-70の光学系は、かの「バリオエルマー」のOEM元になっていたのである。
即ち・・・弟者がそのころ手にしていたレンズは!まさしく!御大Leicaのお墨付きだった(かもしれないしそうでないかもしれないw)のだ!www
>穴吹川
順光側の構図は、確かにやりずらい。
川面を大きく取り込んで、晴天を頼みにやるしかない感じ。
で、この北岸/橋の上構図は、夏場の早朝と夕方に限れば何とか光が回る。
そこへ、丁度いい時間に47の2連が走っていたのだが・・・この10/14改正でそれも消えた。
つまり、とうとう撮影のいとまもないまま、穴吹川の理想的構図を理想的光線で走る「赤い47」という光景は消滅してしまったのだ・・・
>増結にはキハ40
高徳線だが、中には[47-65-28-47]なんてゆー、65のエンジンだけが頼みの綱みたいなワヤな編成も見たことがあるww
投稿: gochi-zoh | 2008年10月24日 (金) 20時58分
しんすけさんに喜んでもらえるネタを、
てな事ばかり考えてエントリーを上げています(笑)
ヒゲ付きは、多分、現役時代は徳島には来ていないかと。
60年代、かな?、に、予讃本線・土讃本線方面の、
しかも「準急」で走っていたものを再現しています。
当時は「簡易冷房」搭載で、
小田急ロマンスカー譲りの「ミュージックホーン」
(音楽を鳴らしながら列車が走ってくる)まで搭載してたそうです。
ヒゲを付けた張本人のブログを見つけました。
http://tessyii.blog.hobidas.com/archives/article/52223.html
http://tessyii.blog.hobidas.com/archives/article/53354.html
投稿: ごっさん | 2008年10月24日 (金) 18時38分
今日もお仕事おつかれさま。
ここ数日の写真、たいへん大変タイヘン懐かしゅうございます。
更地の旧駅跡。
国鉄色、ひげ付きのキハ65。
当時、徳島県内は走ってましたか?
記憶にないもので。
夜勤明けの度に鳴門線始発の列車を目にします。
2両編成、J四カラーが殆どですが、国鉄色のみの編成やJ四&国鉄MIXや。
当然どこかの誰かが決定してるのだと思いますが、
素人にとっては楽しみで。
先日の娘の小学校の参観日。
教室窓からは高徳線高架を走る列車が望め、
授業そっちのけでありました。
投稿: しんすけ | 2008年10月24日 (金) 17時33分