鉄道高架、車両基地移転を決定 事業費圧縮を検討へ (徳島新聞)
運転所の移転は、僕が徳島にいる時から言われていましたが、
もう立ち消えたのかと思ったら、今になって決定とは驚きです。
10年前の計画だと、牟岐線を少し南下し、
三軒屋付近に移設、って話しだったように思います。
あの辺は確かに、田畑が多い場所なので、
まとまった土地を得るには丁度いいのかもしれません。
でもその後、ショッピングセンター建設なんて計画も出たりで、
車両基地の話しは無くなったもんだと思ってました。
しかし、なんとも泣かせる記事です。
「県、徳島市、JR四国ともに財政は厳しく、・・・」
「総事業費を格段に落とさなければ、・・・」
「特にJRのコストをいかに下げるのか・・・」
トホホ、すっかりカワイそうな子扱いだよ・・・
ただでさえ高速1000円でヤバいJR四国なので、
どうぞ皆さん、少しでも乗ってあげて下さい・・・
さて、この車両基地移転問題、
話しに出始めた当初からごっさんが思っていた事。
「こんな時に、小松島線が残っていれば・・・」
国鉄時代末期まで、徳島には2つの運転所がありました。
徳島運転所と、小松島客貨車区です。
歴史に「もし」を持ち込むのはあまり好きではないのですが、
もし小松島客貨車区(四コマ)が残っていれば、
運転所の移転云々を議論するまでもなく、
徳島運転所の機能を小松島に移管した事だろう、と思います。
そもそも、小松島線は「赤字ローカル線」として廃止されたわけですが、
たったひと区間だけの、それだけでは存在理由のない盲腸線を、
その単独の収益だけで廃止路線と選定した事には、
今でも、少なからず疑問を感じます。
実際、小松島線が廃止になってから、
小松島の地盤沈下がだいぶ進んだ、という話しもあります。
もちろん、もしJR化後も存続していたとしても、
瀬戸大橋や明石海峡大橋の完成によって、
大阪方面への海路が衰退する事は分かっているので、
「南海フェリーへの乗り換えに便利」という小松島港駅の価値は、
いずれにしても低くなっていただろうとは思うのですが。
でも、やりようはあったんじゃないかなぁ、と思うわけです。
小松島区が残っていれば、「どこに移すか」なんて議論を、
10年以上もネチネチと続けるような時間の無駄をする事も無かっただろう、
と思います。
さて・・・、
その小松島線、ごっさんが小学2年生だった昭和60年に廃線になっています。
何度か、車から見た事はありますが、
ついに、列車自体に乗った事は無かったように思います。
廃線から6年後の1991年6月16日、
中田駅から小松島港駅まで、廃線後を辿った時の記録をご紹介します。
※撮影データは、全て
Canon EOS630QD
EF35-70mm F3.5-4.5
Kodak Ektachrome400
1991年6月16日
牟岐線 中田駅-旧小松島線 小松島港駅
牟岐線と小松島線の分岐駅、中田駅を降り、
丁度その分かれ目付近に、まだ鉄橋が残っていました。
右に、南小松島駅方面に向かう牟岐線の線路が見えます。
付近の家の様子から、この辺↓で撮ったようです。
当時、既に遊歩道の工事は始まっていましたが、
まだ、中田寄りは未着手のようです。
重機が、無造作に放置されております。
この川の橋↓だと思います。
今はさすがに、このガーター橋は撤去されてそうだなぁ、
この写真を見る限り。
で、ちょっと飛ばしまして、
いよいよ小松島駅のあった辺りまで来ました。
多分、この辺↓だと思うんですが、
さすがに、こんな広大な更地のままなわけないですよね。
本来、終点は小松島駅だったはずですが、
むしろ、「永遠の臨時駅」(?)だった小松島港駅の方が、
メインステーションだったようなイメージがあります。
この頃はまだ、ホームをバス停代わりに使っていたようですが、
今の写真を見る限り、既に撤去されているみたいですね。
時の流れと共に、遺構と呼べるものは減ってきていますね・・・
少し後戻りしました。
完全放置の様があらわになっています。
今は公園になっているあたりでしょうか。
廃線から割と時間が経っていたはずですが、
今から考えると、まだ充分に
「ここに小松島線が走っていた」という遺構が、
そこかしこに残っていたんだな、と思います。
たったフィルム1本分でしたが、記録できてて幸いでした。
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