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2009年4月 2日 (木)

小松島線への旅

鉄道高架、車両基地移転を決定 事業費圧縮を検討へ (徳島新聞)

運転所の移転は、僕が徳島にいる時から言われていましたが、
もう立ち消えたのかと思ったら、今になって決定とは驚きです。

10年前の計画だと、牟岐線を少し南下し、
三軒屋付近に移設、って話しだったように思います。
あの辺は確かに、田畑が多い場所なので、
まとまった土地を得るには丁度いいのかもしれません。

でもその後、ショッピングセンター建設なんて計画も出たりで、
車両基地の話しは無くなったもんだと思ってました。

しかし、なんとも泣かせる記事です。

「県、徳島市、JR四国ともに財政は厳しく、・・・」

「総事業費を格段に落とさなければ、・・・」

「特にJRのコストをいかに下げるのか・・・」

トホホ、すっかりカワイそうな子扱いだよ・・・weep

ただでさえ高速1000円でヤバいJR四国なので、
どうぞ皆さん、少しでも乗ってあげて下さい・・・

さて、この車両基地移転問題、
話しに出始めた当初からごっさんが思っていた事。

「こんな時に、小松島線が残っていれば・・・」

国鉄時代末期まで、徳島には2つの運転所がありました。
徳島運転所と、小松島客貨車区です。

歴史に「もし」を持ち込むのはあまり好きではないのですが、
もし小松島客貨車区(四コマ)が残っていれば、
運転所の移転云々を議論するまでもなく、
徳島運転所の機能を小松島に移管した事だろう、と思います。

そもそも、小松島線は「赤字ローカル線」として廃止されたわけですが、
たったひと区間だけの、それだけでは存在理由のない盲腸線を、
その単独の収益だけで廃止路線と選定した事には、
今でも、少なからず疑問を感じます。

実際、小松島線が廃止になってから、
小松島の地盤沈下がだいぶ進んだ、という話しもあります。

もちろん、もしJR化後も存続していたとしても、
瀬戸大橋や明石海峡大橋の完成によって、
大阪方面への海路が衰退する事は分かっているので、
「南海フェリーへの乗り換えに便利」という小松島港駅の価値は、
いずれにしても低くなっていただろうとは思うのですが。

でも、やりようはあったんじゃないかなぁ、と思うわけです。

小松島区が残っていれば、「どこに移すか」なんて議論を、
10年以上もネチネチと続けるような時間の無駄をする事も無かっただろう、
と思います。

さて・・・、

その小松島線、ごっさんが小学2年生だった昭和60年に廃線になっています。

何度か、車から見た事はありますが、
ついに、列車自体に乗った事は無かったように思います。

廃線から6年後の1991年6月16日、
中田駅から小松島港駅まで、廃線後を辿った時の記録をご紹介します。

※撮影データは、全て
Canon EOS630QD
EF35-70mm F3.5-4.5
Kodak Ektachrome400
1991年6月16日
牟岐線 中田駅-旧小松島線 小松島港駅

910616_08

牟岐線と小松島線の分岐駅、中田駅を降り、
丁度その分かれ目付近に、まだ鉄橋が残っていました。
右に、南小松島駅方面に向かう牟岐線の線路が見えます。

910616_13

付近の家の様子から、この辺↓で撮ったようです。

当時、既に遊歩道の工事は始まっていましたが、
まだ、中田寄りは未着手のようです。
重機が、無造作に放置されております。

910616_16

この川の橋↓だと思います。
今はさすがに、このガーター橋は撤去されてそうだなぁ、
この写真を見る限り。

で、ちょっと飛ばしまして、
いよいよ小松島駅のあった辺りまで来ました。

910616_27

多分、この辺↓だと思うんですが、
さすがに、こんな広大な更地のままなわけないですよね。

本来、終点は小松島駅だったはずですが、
むしろ、「永遠の臨時駅」(?)だった小松島港駅の方が、
メインステーションだったようなイメージがあります。

910616_30

この頃はまだ、ホームをバス停代わりに使っていたようですが、
今の写真を見る限り、既に撤去されているみたいですね。
時の流れと共に、遺構と呼べるものは減ってきていますね・・・

910616_33

少し後戻りしました。
完全放置の様があらわになっています。
今は公園になっているあたりでしょうか。

廃線から割と時間が経っていたはずですが、
今から考えると、まだ充分に
「ここに小松島線が走っていた」という遺構が、
そこかしこに残っていたんだな、と思います。

たったフィルム1本分でしたが、記録できてて幸いでした。

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コメント

すいません、すっかり返信遅くなってしまいました。

@南東風様

航空写真を見る限り、
「ここに線路があった、駅があった」
という様子が分からなくなりつつありますね。

僕も、このブログを書くようになって、
「またあそこに行って列車を写したい」
と思うようになりました。
でも、なかなかその時間はなさそうですが・・・

@金長狸様

ありゃ確かにピンクですね~。
一体「何年もの」なのか・・・?

アイランド亡き今、
四国で唯一の50系?
昔よく、高松の行き来に使ったのが懐かしいです。

投稿: ごっさん | 2009年4月11日 (土) 01時56分

オハフ50・・・・保存車両の色は、赤じゃなくてピンクですw
何故に・・・・[岩陰]_・。)

因みに、高知新聞で「セピア色の吉野川」。写真家の島内英佑さん(黒潮町出身)が、一九五八年四月から撮り続けている吉野川を、源流域から下る形で紹介と題した特集がありました。鉄ネタはチョびっとありましたが、吉野川の知らない風景画満載でしたよ~~Webでは見れないような・・・

投稿: 金長狸 | 2009年4月 5日 (日) 21時45分

しんすけ様、レポートありがとうゴザイマス。
私が最後に小松島に行ったのは25年前の’84年4月。
ごっさん様の写真ではまだまだ面影が残っていて
懐かしさを憶えましたが公園と遊歩道になってからの写真を見ると
もうどこなのか見当もつきません。それでも久しぶりに
行ってみたくなりましたが。

ミステリートレインや川田の駅弁の件、徳新Web版を
たまにはチェックしなければと反省しています。
例の高速千円で南海フェリー28%減と出ていました。
JR同様こちらも危機のようで夏の帰省は今年も
南海フェリーに乗ろうと考えています。

投稿: 南東風 | 2009年4月 5日 (日) 21時32分

しんすけ特派員様

詳細現地調査、ありがとうございました。
もう何年も足を運んでいない小松島の様子、
とても詳しく分かりました。

改めて地図を見直してみたら、
付近にはコーナンも出来ていたりして、
すっかり再開発が進んでいるんですね。
ひょっとして、だいぶ活気が戻ってきてたりして?
徳島ではコーナンが流行りと聞いておりますが
(僕も、北島のコーナンに行ったけんど)

地中に埋められた軌道!
その昔、都電の軌道は、
撤去する時間が勿体ないからとそのまま舗装され、
やがて、腐食して道路に線路の形が浮いて出てきた、
という話しもあります。
後10年くらいすると、多分浮かび上がってきますよ!

ステーションパークには、
C12 280が、なぜかオハフ50と手を組んで保存されてますね。
こちらも、まだ見たことがありません。
にしても、なぜC12にレッドトレイン・・・
時代考証がめちゃくちゃですが、
その50系もいまや希少車なので、
ちゃんと整備してもらわないと!

あれだけ広大な土地だった小松島客貨車区、
その名残も、日を追う毎に失われていき、
どんどん過去の話しになっていくんでしょうね。
まだ名残のある時に、いろいろ写真を撮っておいて良かった、
と思います。

投稿: ごっさん | 2009年4月 5日 (日) 11時42分

な、やっぱり歩き疲れてんのかな。
FMとTOが逆やん!

南海フェリー、小松島フェリー乗り場前で当時からバスでやってた中華そばのおばちゃん、
まだお元気でした。
味もあの頃のまま!

爪楊枝くわえ、華やかだったこまっしま港を思い出し、暫しカモメと感傷に浸っていた私も謎多き男・・・。

投稿: しんすけ | 2009年4月 4日 (土) 02時03分

FM:ごっさん局長、南東風最高顧問
TO:徳島特派員しんすけ

調査結果

本日(4月3日)JR四国牟岐線中田駅より旧国鉄小松島線跡を徒歩にて調査す。

①局長の過去レポからの『ガーター橋』は空撮写真で確認できるように、完全に撤去、護岸工事もなされ、
瓢橋(ひさごはし)と名を変え、コンクリート製の自転車及び人道橋となっていた。

②空撮写真に写る広い駐車場は現存、現在は徳島日赤病院職員駐車場に使用されている。
当該病院はその駐車場の南西方、旧軌道跡南側(元東洋紡工場跡地)に移転、業務を開始している。

③旧軌道跡を東方に進むと所在するステーションパーク一帯が、ターンテーブルがあった旧機関区跡、
さらに進んでミリカホール、小松島保健センターがある一帯が旧駅本屋及び客貨車区であったようである。
(ですよね、南東風最高顧問)
ステーションパークに憩う古老への聞き取り調査によると、小松島駅本屋を『本駅』、
小松島港駅を『港駅』と親しみを込めて呼称していたようである。
また、小松島市営バス営業所職員によると、そのミリカホールの北方、市観光バス駐車場を掘起こすと、
当時の軌道がそのままの姿で現れるそうである。
東京旧新橋駅遺構を凌ぐ世界遺産モノか!?

まとめ:今回の徒歩による調査結果で判明したことは、旧軌道跡(現自転車専用道及び遊歩道)の
満開の桜の元に集うこまっしまのノラ猫達は、パンをやっても見向きもしないこと。
おまえらはちっかしか食べへんのかー!!

おわり

投稿: 徳島支局特派員しんすけ | 2009年4月 4日 (土) 01時51分

@南東風様

こんばんは。
謎多きごっさんですcoldsweats01

徳島の鉄道は、
「鳴門-徳島-小松島」
「鴨島-徳島-阿南」
って感じの、割り切った2系統をメインにして、
生活のための鉄道として、
キハ32クラスの車両で20分ヘッドで運転、
って感じにしておけば、便利に使えたと思うんですけどね。
阿波富田など、駅を増やして利便性向上、
なんて事をし始めるのが、遅すぎましたね。

四国で、都市間輸送の事は、
あまり考えない方がいいでしょう、今の時代。
僕が高校生の時まで、
徳島には高速道路というものがありませんでした。
それが今や、四国四県が高速で結ばれ、
本州に渡るのに千円札があればよい(但しETC)
という時代ですから。
最近は、着座通勤用の特急(東京で言えばライナー)
を走らせ始めて好評らしいですが、ちと今更な気がします。

徳島駅周辺高架工事については、
僕が中高生だった15年ほど前は、
今の佐古駅周辺の高架が「第1期」で、
その後、2期だか3期に分けて、
園瀬川まで高架にする予定だったと思います。

でも、おっしゃる通り、根本の問題解決には、
道路を1,2本程度地下に埋めれば済む話しで、
なんで線路自体を高架にする事に固執するのか、
理解に苦しみます。
まぁ、一種の公共事業なんでしょうね。
徳島は田舎ですから、土木の動きが止まると、
経済全体が止まっちゃう危険性ありますので。

投稿: ごっさん | 2009年4月 4日 (土) 01時38分

こんばんわ、貴重な写真を拝見しました。
まだまだ撤去後の生々しさが残っているような気がシマス。
小松島線・鍛冶屋原線と廃止になった中で生き残った鳴門線が
11号線の渋滞で盛り返した、という話を昔聞いたことがあります。
徳島のJR線で都市間輸送だけで生き残れそうなのは高徳線だけで
徳島線や鳴門線は生活路線として利用を伸ばすしかないと思います。
徳島駅高架化計画はそういえばどうなったのでしょうか。
南の新町川鉄橋から西の田宮川鉄橋までを高架にするという話は
いつだったか忘れてしまうくらい昔のことですね。
でも高架化で踏切が解消されるのは出来島付近だけなので
今更という気もします、「立体交差」も要らなくなるんじゃ
ちょっと寂しいですから。
コメントで拝見しましたが
川田駅の駅弁復活!?
昔、同駅の駅弁はかの「川田まんぢう」の製造元が立売をしていた
と聞きます。非常に気になる情報です。

投稿: 南東風 | 2009年4月 4日 (土) 00時41分

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