新春撮影行・秩父鉄道篇(3)~白久へ移動
武州荒木での撮影を終え、
101系の乗客となった我々兄弟は、
途中熊谷で下車して昼飯を食べつつ、
一路西へと向かいました。
熊谷から乗った101系は「総武線色」の黄色。
車端のシートに座り、やれやれと上を見上げてみると・・・
分かりますか?
真ん中あたりに、うっすらオレンジ色の部分が・・・
この車両、少なくとも秩父鉄道に来てからは、
オレンジに塗られた事はないはずです。
という事は、これは国鉄時代の名残・・・!
武蔵野線の1000番代が種車ですかね?
そんなロマンにワクワクしつつも、
次の撮影に備えてコクコクと昼寝をし、
影森から最前部に立ってロケハンしつつ場所を決めます。
Nikon D80
Ai Nikkor 35mm F2S
1/1000秒 F5.6 (ISO100)
秩父鉄道 影森駅
2010年1月3日
数分間の停車だったので、ホームに出て1枚。
再び動き出した電車からの眺めを見つつ、
あそこにするか、ここにするかと考え、
結局は、「定番スポット」の白久駅(三峰口の1つ手前)まで到着。
NHKで広田さんがパレオを撮ったポイントへ移動。
ヨイショと坂を昇り、踏切までくると、こんな看板が。
みなさん!よくお読みになって下さいね。
で、肝心の写真の方は、
「このアングルで3両編成狙うなら中望遠、50mmがいいなぁ」
と思ったんですが、午前の段階で絞り故障判明しており、そうもいかず。
無理矢理35mmで撮ったら、かなりイマイチ。
う~ん、どないしようかなぁ。
ちょっとポイント変えようと思い、
回りをキョロキョロしてみると、すぐ後ろの直線~カーブと、山の景色がいい感じ。
よしじゃあ、鉄板ポイントを背中にして望遠で狙ってみますかね・・・(まだ続く)
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コメント
なんと、冗談かと思ったら環状線か。
微妙にこの、オレンジの色合いが中央線と・・・、
なんて、年月を経たら分からんってか?
1011もまた、鶴見線あたりに越さないで、
国鉄時代の全てを総武線とは、
なかなか希有な車歴の持ち主だなぁ。
投稿: ごっさん | 2010年3月20日 (土) 22時54分
今更ながら、1012Fの出自が判った。
初期配置は「森ノ宮」
なるほど、オレンジには違いない。
大阪環状線だがw
なので、これは確実に下地色で間違いないでしょう。
その後、国鉄時代を総武緩行線で過ごしたので
カナリアイエローは、ある意味本当のリバイバル。
一方の、オレンジの1011Fについては
津田沼で一生をを過ごしたのだそうな。
そう思うと、今回の1000系リバイバル筆頭・しかも中央線オレンジバーミリオンへの変身は
中央線快速の華やかな活躍を傍目に、地道な仕事を続けてきた彼らへの、最高の餞だったと思う。
投稿: gochi-zoh | 2010年3月20日 (土) 18時26分
南東風様
いやいや、たまたま、上をボーッと見上げていたら、
オレンジ色が目に止まっただけで。
まさか、秩父鉄道さんも、
ここまで塗るのは面倒だったのか?
それともわざと放置してたりして。
そういえば、車内といえば緑のペンキでしたね。
あと、シートと言えば青で。
かろうじて、小田急にはそんな電車もおります。
兄上、
そうかぁ、1000番代は初期型からの改造だったかね。
って事は、中央線から来たか、環状線から来たか?、って事か。
さすがに秩父鉄道さんも、
この車両はそもそもどこを走っていて・・・、
という所まで考えて色を塗るわけにはいかんかったかねw
投稿: ごっさん | 2010年1月12日 (火) 01時13分
>>南東風さまー
>妻窓のある車両が希少です
鋼製車体においては、開口部の多さがそのまま腐食・劣化に繋がるという宿命は避けられないようで
西日本の103系が軒並み妻窓や戸袋窓を埋め立ててしまったのは、これが原因だったそうです。
これやると・・・開放感が損なわれるんですよね、如実に・・・。
>手が込んでた
103系に比べて、101系の車体設備は手が込んでました。
床は高価な防音・防振構造でしたし(これが当時流行ったハイヒールで傷むという冗談のような理由で、103系は鋼板直貼りになったという)。
両者そっくりの外観なのに、101系の車内に響くモーター音は優しく、耳に心地よいものです。
投稿: gochi-zoh | 2010年1月12日 (火) 00時23分
窓枠に残った塗料から素性を探り当てる・・・
ごっさん様の鋭い観察眼に化けの皮が剥がれた、
って感じですね。
考えてみればこれは103ではなく101系でしたね。
塗りの室内板、妻窓にも日除け。
しかも多段に刻まれた止め位置。
昔の車両は手が込んでましたね。
今では妻窓のある車両が希少です。
投稿: 南東風 | 2010年1月11日 (月) 23時08分
>1000番台が種車
残念なことに、それは率先して廃車になったらしく。
ダントツに古い車両だったし・・・とうとう50年走り続けたんだね。
現在稼働する1000系は譲渡12編成中10編成、
東急8500系と交代で廃車になったのが、まさにそれ。
最期の最期まで、全力走行で走り切った生涯は、ある意味幸せだったのかもしれない。
これで、本線走行可能なモハ90の末裔は完全消滅したことになります。
投稿: gochi-zoh | 2010年1月10日 (日) 09時57分