« 中央線201系、今夏引退 | トップページ | 今年はコンデジが「来る」? »

2010年2月28日 (日)

93年春、山陰撮影旅行(1)~餘部にて

なんとなく、古い写真を引っ張り出してみました。

93年4月頭、まもなく高校入学という春休みに、
山陰方面を、兄と一緒に撮影旅行に行った時の写真を、
いくつか紹介したいと思います。

930404_03
Canon EOS630QD
EF70-210mm F3.5-4.5USM
Konica XG400
JR山陰本線 餘部-鎧間
1993年4月4日

現在、新橋建設中の餘部橋梁。

「はまかぜ」「おき」等の撮影を目的に行ったわけですが、
その手の写真はネットにいっぱいあると思うので、
あえて違うのを持ち出すところが天の邪鬼の所以?

地上に、像が建っており、車が停まっているのも見えます。

ご承知の通り、1986年末、この橋の上から、
回送中の「みやび」号が突風に煽られて落下、
この場所には蟹加工工場があったため、
多くの従業員(と、車掌も)が命を落とす、
という大事件がありました。

回送列車のため乗客が乗っていなかったり、
灯籠?か何かを下ろしていた事から自重が軽かった事、
風速計が規定値を超えていたのに進入した事など、
いくつかの要因が重なった事による悲劇、とさかんに報道されていました。

この事故を境に、橋梁部での強風時規制は強化され、
瀬戸大橋線など、割と頻繁に減速運転、運休されるので、
四国は「陸の孤島」になってしまいがちです。

現在でも、そんなに大した風じゃないような気がしても、
減速運転や運休が発生する事が多いように思いますが、
この惨事を教訓としている事は言うまでもありません。

また、橋梁に暴風柵を設ける工事が各地で行われたので、
国鉄時代には「第1級お立ち台撮影ポイント」として知られた、
東海道線根府川橋梁も、電車が全く見えない状態となり、
カメラを手にしたファンが全く来ない場所になってしまいました。

橋梁での列車横転と言えば、
その昔、営団地下鉄東西線の荒川?鉄橋で、
強風に煽られて脱線する事故があった、
という話しを聞いた事もあります。
また、数年前、これは橋梁ではなく地平ですが、
羽越線で485系が脱線して多くの死者を出す、
という事故もありました。
何十トンもある鉄の塊でも、
人間の人知をはるかに超える自然の力によって、
簡単に横転してしまうわけですから、
柵を立てるなどの策(?)を取るのは当然の事ではあります。

そう、根府川で思い出しましたが、
4年前、浜松方面に出張に行った帰り、
「根府川って、どんな撮影ポイントだったんだろう?」
と思い、帰り道に下車して行ってみた事があります。
丁度、東海道東京口113系撤退と騒がれていた頃なので、
写真撮れたらいいなぁ、と思っての事でした。

まぁ、この有様じゃ、誰も撮りに来ないのも当然かもしれません。

Imgp0080
PENTAX *ist Ds
Super Takumar 50mm F1.4
1/1000秒 (ISO400)
JR東海道線 根府川-真鶴間
2006年3月3日

なんせ、この写真を見返してみて、
そこに走っているのが「リゾートエクスプレスゆう」である事を、
初めて知ったくらいなので(笑)

ただ、この現場に立って眼下を見下ろした時、
不思議なオーラ、というか力のようなものを感じました。
ここで写真を撮る!、という気持ちがグイグイ湧いてくる感覚を覚え、
なるほど、究極のお立ち台として多くの人に愛されてきたのも、
全く頷ける事だ、と感心した次第です。

残念ながら、今この場所へ敢えてやってきてまで、
撮影する程の電車がいるかどうか、となると、
それはそれで寂しい気分にもなってきますが・・・

余談が長くなってしまいました。
次回は、北近畿タンゴ鉄道へ撮影に行った時の、
由良川河口付近での写真を掲載したいと思います。

|

« 中央線201系、今夏引退 | トップページ | 今年はコンデジが「来る」? »

鉄道」カテゴリの記事

コメント

最初のうちは、誰しも自己満じゃないかね?
その昔は、モードラ秒間5コマ切るのが当たり前、
みたいな撮影していた。それがまた快感で。

ちまたで撮影してても、
そんなセットズームで撮ってていいの?、とか、
そんないいレンズなのに、そんな場所でいいの?、
なんて聞きたくなる人も多い。

アマチュアなんだから、
なんでもいいっちゃぁ、なんでもいいんだろうけど。
その一線を越える方が、おもしろくていい写真が撮れるだろう、
って気もするわけよね。

そして、いつどこで「能登」を撮ろうか、
と計画中のごっさんでした。

投稿: ごっさん | 2010年3月 1日 (月) 23時03分

自分は逆に、自身のこのころの写真を見返すと
「思い上がり」「慢心」といったものを感じざるを得ませんねぇ・・・
上手くなったつもりで調子に乗って、やれAPOだ・やれツァイスだ・コンタックスだと振り回していたころ。

当時、風景派を標榜していたことは、基礎が出来ていなかったことへの言い訳でしかなかったように思います。
真っ直ぐが満足に撮れなかったわけです。
それが証拠に、今の目線で見直すと、まぁバランスの悪いこと悪いこと・・・。

ただ、現在入り浸っている福知山線のように、ひとむかし前に入り浸った場所の写真を見て
「今ならこうする、今の目線でここをやり直す」みたいな意欲に繋がることは結構あります。

手応えを感じるのはとてもいいことだけど、「シャッターを切る瞬間の陶酔」に終わっちゃいかんと今でも言い聞かせながら撮っています。
今はデジになって、その場で結果を見せられるから、おのずと学習効率が上がっているのも事実ですが
当時は結果も見ずにはしゃいでいたわけで・・・

投稿: gochi-zoh | 2010年3月 1日 (月) 20時52分

自然の猛威の前には、人工物なんてもろいもんですね。
随分前、東海道線富士川鉄橋が流された事もありましたね。
あり得ない事がいつ起こっても不思議じゃない、
鉄道業(に限らないと思いますが)は大変な仕事です。
青函トンネルに穴があいた、なんて事になったら、
どう対応するんでしょうかね・・・

「まだまだ」なんて事はありませんが、
「まだ」少々はあります。
この山陰の撮影の時は「心技体」が一番充実していて、
高校に入ってからは部活(吹奏楽)の方に熱中して
写真の方はすっかりおろそかになっていきました。
まだ15歳の写真ですが、
この時のネガを見ていると、いまだに感心します。
この頃の「目の付け所」を思い出したいものです。

投稿: ごっさん | 2010年2月28日 (日) 23時49分

鉄道は日本でももう百年以上経って
自然と共存出来てるように見えて
まだまだ自然災害に遭う事があります。
「鉄道技術は経験工学である」という言葉を
聞いたことがあります。
経験は犠牲の上に成り立ってるんで
やっぱり昔の言い伝えみたいなものは
疎かにしてはいけないのですね。
それにしても
未公開のお宝写真がまだまだありそうですね。
次回も楽しみです。

投稿: 南東風 | 2010年2月28日 (日) 23時26分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 中央線201系、今夏引退 | トップページ | 今年はコンデジが「来る」? »