93年春、山陰撮影旅行(1)~餘部にて
なんとなく、古い写真を引っ張り出してみました。
93年4月頭、まもなく高校入学という春休みに、
山陰方面を、兄と一緒に撮影旅行に行った時の写真を、
いくつか紹介したいと思います。
Canon EOS630QD
EF70-210mm F3.5-4.5USM
Konica XG400
JR山陰本線 餘部-鎧間
1993年4月4日
現在、新橋建設中の餘部橋梁。
「はまかぜ」「おき」等の撮影を目的に行ったわけですが、
その手の写真はネットにいっぱいあると思うので、
あえて違うのを持ち出すところが天の邪鬼の所以?
地上に、像が建っており、車が停まっているのも見えます。
ご承知の通り、1986年末、この橋の上から、
回送中の「みやび」号が突風に煽られて落下、
この場所には蟹加工工場があったため、
多くの従業員(と、車掌も)が命を落とす、
という大事件がありました。
回送列車のため乗客が乗っていなかったり、
灯籠?か何かを下ろしていた事から自重が軽かった事、
風速計が規定値を超えていたのに進入した事など、
いくつかの要因が重なった事による悲劇、とさかんに報道されていました。
この事故を境に、橋梁部での強風時規制は強化され、
瀬戸大橋線など、割と頻繁に減速運転、運休されるので、
四国は「陸の孤島」になってしまいがちです。
現在でも、そんなに大した風じゃないような気がしても、
減速運転や運休が発生する事が多いように思いますが、
この惨事を教訓としている事は言うまでもありません。
また、橋梁に暴風柵を設ける工事が各地で行われたので、
国鉄時代には「第1級お立ち台撮影ポイント」として知られた、
東海道線根府川橋梁も、電車が全く見えない状態となり、
カメラを手にしたファンが全く来ない場所になってしまいました。
橋梁での列車横転と言えば、
その昔、営団地下鉄東西線の荒川?鉄橋で、
強風に煽られて脱線する事故があった、
という話しを聞いた事もあります。
また、数年前、これは橋梁ではなく地平ですが、
羽越線で485系が脱線して多くの死者を出す、
という事故もありました。
何十トンもある鉄の塊でも、
人間の人知をはるかに超える自然の力によって、
簡単に横転してしまうわけですから、
柵を立てるなどの策(?)を取るのは当然の事ではあります。
そう、根府川で思い出しましたが、
4年前、浜松方面に出張に行った帰り、
「根府川って、どんな撮影ポイントだったんだろう?」
と思い、帰り道に下車して行ってみた事があります。
丁度、東海道東京口113系撤退と騒がれていた頃なので、
写真撮れたらいいなぁ、と思っての事でした。
まぁ、この有様じゃ、誰も撮りに来ないのも当然かもしれません。
PENTAX *ist Ds
Super Takumar 50mm F1.4
1/1000秒 (ISO400)
JR東海道線 根府川-真鶴間
2006年3月3日
なんせ、この写真を見返してみて、
そこに走っているのが「リゾートエクスプレスゆう」である事を、
初めて知ったくらいなので(笑)
ただ、この現場に立って眼下を見下ろした時、
不思議なオーラ、というか力のようなものを感じました。
ここで写真を撮る!、という気持ちがグイグイ湧いてくる感覚を覚え、
なるほど、究極のお立ち台として多くの人に愛されてきたのも、
全く頷ける事だ、と感心した次第です。
残念ながら、今この場所へ敢えてやってきてまで、
撮影する程の電車がいるかどうか、となると、
それはそれで寂しい気分にもなってきますが・・・
余談が長くなってしまいました。
次回は、北近畿タンゴ鉄道へ撮影に行った時の、
由良川河口付近での写真を掲載したいと思います。
最近のコメント