四国に生きる201系の「魂」
こんな絵本が出ていると聞いて、
新宿駅構内の本屋で買ってきました。
『オレンジ電車おぼえてる?』(交通新聞社)
共立女子の中高生が、
1年半の取材や会議を経て書いたという絵本です。
去りゆく201系を懐古するような内容で、
読んでてちょっとホロリとしそうになりました。
この絵本の公式サイトがこちらなのですが、
そのなかで、JR四国社長の松田清宏さんへのインタビューの模様が掲載されています。
なぜ四国の社長?と思ったら、
この松田さん、国鉄時代に201系の設計に携わっていたそうです。
インタビューの中でも、自分の事を「技術屋」と呼ぶ、
根っからの職人気質の方のようですが、
とても印象的だった話しが2つ。
「ダブルパンタ」へのこだわりと、
「前面展望」へのこだわり。
なぜこだわるのかは、是非上記サイトをお読み頂きたいとして、
では、四国ではどうか、というところで・・・
> 「ほら、うちの電車はみんな2つパンタでしょ!改造できないものもあるけれど、
> できるだけ2つにしています。ここには見えないけど、
> 本州で走ってい た111、113系なんて電車は、向こうでは1つパンタだったけど、
> うちにやってきてから2つに増やしてますからね。
> 私が社長であるうちは、電車のパンタ は絶対に2つです、
> 1つだったら設計させ直しです。私がはんこ押しませんから、ははは」
> 「201系は運転席の後ろの窓も小さいでしょ、本当は大きくしたかったけど、
> 運転室にいろいろ機械を取り付けなくてはならなくて、
> 窓の大きさが取れなかったんです、あれは残念ですね。
> 電車の前が見えるというのは鉄道会社にとって財産です!」
> (略)
> 「帰りに電車の一番前を見てください!うち(JR四国)の電車は、思いっきり前が見えますから!
> それが自慢です。」
四国の人間として、
四国の鉄道を、誇りに思います。
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コメント
東日本的には、「丈夫」なのがアダなんでしょうね。
メンテナンスフリーなヤカン電車の方がよい、と。
確かに、201系のインバータは、
もう部品自体が入手困難と言いますから、
大事に長く使うよりは、自社工場でじゃんじゃん作って、
少し使ったらすぐ自社工場に送ってスクラップ、と。
国鉄時代を生き抜いた人は、鉄道への思い入れもひとしおでしょう。
一方、その思い入れが経営を圧迫する一面も?
なんとも複雑な心境ではあります。
投稿: ごっさん | 2010年8月20日 (金) 10時23分
いい話ですねぇ。
しかし良く見つけられましたね。
全身オレンジ色の電車に対する愛着は
中央沿線住人の方ではひときわなんでしょうか。
JR四国の社長さんが技術屋さんだという話は
小生も以前聞いたことがありますが
ここまでこだわりのある方だと驚きです。
201系、103系まで続いた国鉄通勤電車としては
大きな転換でしたね。
エアサス台車や制御方法の変更も
大手私鉄に比べればやっとという感じでしたが
国鉄が今までの意地を捨てる転機になったのは確かです。
キハ40系同様ずいぶん丈夫に作られた車体は
今でも使えそうでもったいないですね。
これを使い続けるJR西とは大違いです。
投稿: 南東風 | 2010年8月19日 (木) 23時58分