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2010年12月13日 (月)

PENTAX K-7、第一印象

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※写真は全て、
PENTAX K-7
Petri 55mm F1.8 C.C Auto(M42)
2010年12月10日

まだ数日しか使っていないPENTAX K-7ですが、
とりあえず撮ってみて感じた第一印象。

「D7000とは、だいぶ違うカメラだなぁ」

メーカーの違うカメラですから、そりゃ違うだろう、と思われるかもしれませんが、
いずれも、約1500万画素のCMOSを搭載、という点では共通しています。
時代も似通っていますから、当然似たようなもんになるだろう、
と予想していたんですが・・・

まだ大したカット数を撮ったわけではないですが、
傾向というか、写った写真の感覚が違うなぁ、と思うんです。

ざっくりと表現すれば、
D7000は「鉄壁、完璧」、K-7は「画的」、ってところ?
誤解も語弊も招きそうな表現だとは思うんですが・・・

というところで、ふと思い出したのは、
K-7発売の頃に書店に並んでいた、こちらのムック

日頃、カメラ関係の本なんて滅多に買わないごっさんが、
たまたま本屋で手にした時、この一言が目に飛び込んできました。

「そのカメラ、作品を撮れますか?」

今、既にK-7を体験した身の上でこの言葉を思い出してみると、
あぁ、なるほどなぁ、と妙に納得するのです。

K-7が「画的」だなぁ、と感じる理由の1つは、
(一般的にはK-7の弱点とされている)
高感度撮影のノイズも一因です。

世のカメラヲタクの定説では、
K-7の高感度の実力は、
下位機種であるK-xに劣る、とされています。

確かに、こちらのレポートを見ても、
K-xの方が「優秀」な画像を得られる事が明白です。

K-xといい、先頃購入したD7000の「バケモノ高感度」といい、
SONY製のCMOSの「低ノイズの高感度」の凄さは、
まさに「ぐうの音も出ない」ほどのインパクトがあります。

ちなみに、K-7の1460万画素CMOSは、サムソン製です。

また、K-7の後継機であるK-5では、
D7000と同じSONY製の1620万画素センサーへと切り替えましたので、
恐らく、D7000と似た低ノイズ高感度撮影が可能なんだろうな、
と安易に想像がつきます。

でも、です。

これは、全く個人的な主観なのですが、
K-7の高感度は、確かにノイジーではありますが、
「汚くはない」、と思っています。

むしろ、この感じは、
高感度の銀塩フィルム、特にネガフィルムを使って撮影した時の、
「ザラッ」とした感じに似た印象を受けるのです。

そもそもごっさんは、以前から、
「高感度撮影でも、低感度と全く同様のクリアな画が欲しいだなんて、
そんな贅沢な!フィルムの頃は荒れてて当たり前だった」
を持論としておりましたので、
D7000のような「完全無比の低ノイズ高感度」を目の当たりにすると、
「ひぇ~~」という驚きの声は出つつも、
なんか気持ち悪いなー、という感想も抱いてしまうのです。

もちろん、ごっさんは「科学の進歩」を否定する気はありません。
既に、Nikon D3Sでは「ISO102400」なんていう、
天文学的な高感度撮影も可能となっているご時世です。
ISO3200が常用になる時代がきた事は素直に歓迎出来ますし、
それが手元にあるのは、非常に心強いわけです。
もはや、D7000無しでは生きていけないかもしれない、と思うほど。

だからと言って、ISO800超えるとノイジーになる事を
「オワタ」などという下世話な言葉で片付けるのは、
品性がありません。
この画作りから、どんな作品を生み出せるのか、
それを理解できる人間にこそ、K-7はふさわしいと思います。

そう考えた時、ふと思い出したのは、
この秋のフォトキナの際の、PENTAXの方のインタビューです。

以下、一部引用です。

> ちょっとした問題、ちょっとした愉しみ。ちょっとした親切。
> ユーザーが抱えている悩みやアイディアを解決して上げることができれば、
> ユーザー全員ではなくともいいじゃないかと考えるようになりました。
> 10人に1人しか理解されなくとも、
> そのひとりがペンタックスを選んでくれればシェアは10%です。
> そうした努力を積み重ねていくことで、
> 将来性のある技術分野を見つけることができるかもしれません。

結局、K-7というカメラは「万人向き」じゃなかった。
だから、K-5が出た途端、ワッと人が流れて、中古相場が暴落したんでしょう。

逆に言えば、今K-7を手にしている人こそが、
K-7の魅力を、これから存分に楽しめる人だ、とも言える気がします。

そう、K-7シルバーを愛機として購入した兄も、
「レンズのクセ玉のように、K-7はクセカメラだなぁ」
と印象を漏らしておりました。最高の賛辞です。

なぜかK-5には惹かれなかったごっさん、
K-7への憧れの念が消えなかった理由が、
実際手にしてみて、はっきり理解できた気がします。

*2013/04/25追記:
画像がデッドリンクになっておりましたので、修正しました。

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カメラ」カテゴリの記事

コメント

らんち様

コメントありがとうございました。レス遅くなり失礼しました。

三星のCMOSはイスラエル発祥だったんですね。それは知りませんでした。
とはいえ、K-5やK-r、次のK-01も?、ソニー製CMOSですし、
合併先のリコーもソニー製センサー多用してますから、
今後は三星のCMOSは使わないのでは?、と予想しています。
確かにソニーのCMOSは「完璧」なものですが、
K-7のような「少々クセのある写り」もなかなか魅力的で、
ちょっと残念な気がしますね。

このエントリーの後、K-7の「使い方」が分からなくなり(比喩的表現です)、
2011年後半はあまり使わなかったのですが、
最近、「RAWで撮って、本体内現像やデジタルフィルターを用いて
後から画を作り込んでいく」のが正しい「遊び方」だ、と気づいて
(いや、そもそもそういうカメラだったはずですが、
今までは自分の撮り方でしか撮ってなかった)、
それから俄然楽しくなってきました。
今頃?、K-7がマイブームになっています。

投稿: ごっさん | 2012年2月 4日 (土) 01時02分

はじめまして、私もK-7使っています。
K20D発売当時、サムソンはCMOS開発出来なかったらしくイスラエルのベンチャー企業ごと買収して用意したCMOSらしいですね。素性は良い物なんですが、K-7搭載で読出しチャンネル数は増えたもののまだまだ、これから改良されるべき物なのでサムソン次第(資金力)と言ったところでしょうかね。現にK-7搭載CMOSを改良して高感度性能を改善したものが乗っているサムソン製ミラーレスもありますしね。
K10Dも併用していますが、K-7は確かにフィルム臭い絵を吐きますね。若くない僕には愛着がありますよ。フイルムライクK-7!(ちなみにビデオライクK10Dですがね)

投稿: らんち | 2012年2月 2日 (木) 13時56分

ちょっと本当の高感度限界をRAWで調べてくるε=ε=ε=┏(´Д`)┛<結果は後日~

投稿: gochi-zoh | 2010年12月14日 (火) 22時07分

何年後か何十年後か、
カメラ史家はこの時代を振り返って曰く、
「K-7は、K20DとK-5の穴を埋めるべく開発された、
橋渡し的なカメラであった」と書くであらう。

実際そうなのかもしれない。
K-7仕様にカスタマイズされたCMOSも、
かなり直前までブラッシュアップ続けてたそうだから、
三星センサーの限界を叩いて叩いて、
これだけの画作りを導き出すのが精一杯だったのかもしれん。

それがまた、K-7というカメラの個性なんではないか、とも思う。

投稿: ごっさん | 2010年12月14日 (火) 14時31分

決してそんな事を狙ったわけではないだろうけど、K-7→K-5の機種変更は
商業的には「大成功」となってしまった感がありますな。

こうなった理由のひとつは
『K-7の時点で、カメラとしての「骨組み」が既に完成していた』ということではなかろうかと。

で、世間一般的な視点からは(愚かにも)「欠陥」とまで言われた高感度特性を克服したばかりか
画素数という「数字」までアップして、
『我々の待ち望んだ「本当のK-7」』の完成と相成った、と。

そう考えると、K-7は決して「無駄死に」ではなかったのだと思う。

一端としては、間違いじゃない。
機械的性能を向上することを否定的に捉えるだけでは自分も進歩しないし。
でも、やはりK-7とK-5は「棲み分け」で使いたいなと思うのです。
あと、自分の用途や技量に対して「K-5」は既に無駄スペックw


そんでもって来年の今頃にはK-5が安なったいうて持ってたりしてな(ぉぉぉ

投稿: gochi-zoh | 2010年12月14日 (火) 12時11分

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