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2011年3月

2011年3月29日 (火)

東芝府中工場のクモニ83

3月9日のエントリから、約3週間振りの「続編」となります。
3月6日の撮影の中からのショット。

と、その前に、話しは2月13日に遡ります。

西国分寺へ向かう武蔵野線の中から、
東芝府中の工場を覗いてみると、
たった1両ですが103系の姿をみる事が出来ます。
・・・というのは、前から知っておりました。

なので、その日も、北府中駅を出た後は、
進行方向左側をしっかり見ていたのですが、

驚いたのは2点。

まず、その103系が、オレンジに塗られていた事。

しかも、すごいヘンな色のオレンジ(汗)

でも、そんな違和感もふっとぶような驚きの発見。

もう1両、何かがいます。

思わず「エッ!?」と声を上げそうになりました。
多分、目も、カーッ、っと見開いていたに違いありません。

クモニ83がいたんですよ!

いや、そんな、亡霊に違いない・・・、と半信半疑だったんですが、
ネットで調べてみると、間違いなく、あそこにいるのはクモニ83のよう。

で、3月6日に、やはり西国分寺に向かう武蔵野線の車中から、
望遠レンズでの撮影を試みたのが、この写真。

Imgp545001

この、タミヤの蛍光スプレーを塗りました、
みたいな103系の超違和感はさておきまして・・・

ちょっと奥で分かりにくいですね。湘南色の電車が見えますでしょうか?

かつては、東京駅発の東海道線113系の前に連結され、
釣り掛けモーターが焼き切れそうなスゴイ音をたてて走っていた
(後ろから、113系に押されているわけですから)という、
あのクモニ83が、まだこんなところにいたとは!

実は、「郵便車」「荷物車」が大好きなごっさんとしては、
この目で、ホンモノのクモニ83を見られた、というだけで幸せなのです。

たまに、もっと手前に出てくる事もあるそうなので、
理由もなくこちら方面にフラッと様子を見に行きたいくらい・・・

欲を言えば、千葉まで運んで、
再び、113系の先頭に立たせて、後ろからグイグイ押されて
「ぎょおぉぉぉぉぉぉぉぉ~~~~」、というけたたましい釣り掛け音を、
再びとどろかせて欲しいところですが、
それをやったら、今度こそ焼き切れるかもしれないですね・・・

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2011年3月26日 (土)

震災2週間

あの日から、「もう」2週間が経ちました。

「まだ」2週間しか経ってない、とも感じています。

とうとう、犠牲者の数が万の位に乗ってしまいました。

改めて、亡くなられた方にお悔やみ申し上げると共に、
避難生活を余儀なくされている方々にも、御見舞申し上げます。

阪神淡路大震災の時、
犠牲者の数が千人単位になった事自体が信じられませんでした。

当時まだ17歳でしたから、
自然災害でそんなに多くの方が亡くなる事なんて、
もう20世紀も終わろうか、という時代にあるわけがない、
と思い込んでいたのです。

そして、21世紀になりました。

33歳にもなった今をもってしても、
自然災害で万単位の方が鬼籍に入られる事なんてなかろう、
と思っていた事が、実際、この日本で起こってしまいました。

阪神淡路の時、日本の危機管理・有事への対応が、
実質的に「存在しない」状態だった事が露呈され、
その後、国も地方自治体も、その教訓を踏まえて、
いろいろ準備し、備えるようになったかと思います。

自治体に関しては、その教訓が、少なからず生かされ始めているようです。

それに比べて政府の方は・・・。

何かあっても何も出来ない事は、地震前から分かっていた事ですが、
救いようがないのは、出来る、と思い込んでいる事かもしれません。
素直に「私にはこの災難は乗り越えられません」と言ってくれれば良いのに。
残念ながら、恐らく国会の中でも、
一番「そういう事」を言わない人がトップにいるわけですから、
これから先の復興がちゃんと出来るのか、
そろそろ何とかしなきゃいかんのじゃないの、と思っております。

この2週間、東北地方の惨状はテレビで見ておりましたが、
実際自分がいる東京の混乱振りも、目を覆わんばかりです。

ガソリン、パン、牛乳などで始まった買い占めは、
今では水に移行をしております。
次はなんでしょう、西へ逃げる電車の切符を買い占めるのかな・・・?

地震後の東京での混乱振りを見ていると、
思い出すのは、押井守監督の映画「パトレイバー2 the Movie」です。

ベイブリッジの破壊にはじまり、
自衛隊と警察との確執により東京は戒厳状態となり、
最後には「戦争状態」にまでなっていく。
でも、それはちょっとした情報操作によって「心理」的に形成されていく。

今の東京を見ていると、それを同じような事が、
リアルで展開されているような錯覚を覚えるのです。

買い占めでスーパーから食品が消えた、
人々が大挙して買い占めに走っている、
みんな買い占めはやめよう!、と叫ばれ続けています。

でも、もう、パンも牛乳も、店頭に並び始めています。
ガスだけは、まだ入手し辛いようですが、
これは「買い占め」とはちょっと違う気もします。

そもそも、被災地への支援物資として、
パンは大量に送られているはずですから、
そもそも、供給自体がいつもより少なくなっているのも事実。
また、被災によって生産量が落ちている事も確か。

本当は、買い占めした人って、ごくごく一部だったんじゃないか?、
という気がするのです。
それが、「買い占めはやめよう!」キャンペーンによって、
買い占めの悪党がたくさんいるような気になってくる。
いや、本当にいたんだと思いますが(実際、目の当たりにもしてます)、
少々誇張され過ぎていたような気がするのです。

毎日テレビで流れてくる「シーベルト」「ベクレル」の数値。

大変、マイクロがミリになった!東京でも観測された!水道でも出た!、
と報道される度、スーツケースを持って東京駅へ向かう人が増え、
ペットボトルの水がスーパーから消えていきます。

でも、どれだけの人が、その放射線の危険性や、
それによる悪影響などを熟知しているか?

僕は知りません。

何が起こるか分からないのに、怖くなって、行動してしまう。

分からないから行動するんだ、というのも確かですし、間違った事でもありませんが、
どうも、ひたすら流れてくるいろんな数字を見せられて、
正常な判段や思考が出来なくなっているような気もするのです。

そしてついに、先日は、原発のがれきを除去するため、
戦車を投入、というニュースが流れ、
都内を運ばれていく戦車の姿をテレビで見ました。
こうなると、本当に「パトレイバー2」の場面そのもの・・・

地震の被害、原発の恐怖とは別の部分で、
あのアニメの世界が現実にあり得るのだな、という、
違う意味での恐怖を感じているところです。

さて、次回からは、このブログも、平常運転に戻そうかな、
と思っています。

犠牲者の皆さまの事を思うと心苦しいのは確かなのですが、
いつまでも、喪に服してばかりではいけない、とも感じています。

不謹慎にはならないように心がけますが、
また、カメラや電車の事を書いていこうかな、と思っておりますので、
どうぞお許しください。

改めて、被災地の皆さまが、一刻も早く、
「当たり前の日常」を取り戻していただける事を、
衷心より祈念申し上げております。

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2011年3月19日 (土)

被災された皆さまにお見舞い申し上げます

この度の東北関東大震災におきましては、
被災・罹災された皆様方にお見舞い申し上げますと共に、
不幸にも命を落とされた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

1995年1月17日午前5時46分、という時間が、
僕を含め、多くの方々の脳裏に深く刻まれておりますが、
そこにまた、改めて、
2011年3月11日午後2時46分、という時間も、
一生忘れられぬ時間として記憶される事となりました。

1995年の地震を、
割と近くの徳島で体感した事のある身としては、
それを遥かに上回るような規模、被害の地震が、
こうも近くで発生した事に、恐怖を覚えます。

何よりも、被災された皆さまが安心して生活できる日が、
一日も早くやってくる事を願ってやみません。

・・・と書くのは簡単なんですが、今回は特に困難を伴います。

被災して避難所に身を寄せている、あるいは自宅等にいながらも、
避難生活を送る事を余儀なくされている方々は、
ゆうに70万人ほどになるとの事です。
という事は、1日2食に限ったとしても、毎日150万食を、
東北一帯に届けなくてはならない事になります。

その状態が、神戸のような一極集中ではなく、
南北500kmに渡る海岸線で発生しているわけです。

また、今回は、首都である東京も大きく揺れた事に加え、
原発事故により送電量が減って停電が続いている事から、
東京近辺にいる人達の間でもストレスが蓄積され、
イライラが募り、冷静な行動が出来なくなりつつあります。
これは、いざいよいよ復興へ、という段階へ向けて、
前になかなか進み始める上で弊害となっています。

まして、全軍率いるトップが、あの状態では尚更・・・、
不安が高まるのも仕方の無いところです。

自衛隊ほぼ全軍出動しての人海戦術を、
いつまでも続けていては効率も落ちてくるでしょう。
安全保障面での懸念もあります。

神戸の経験だけでは乗り切れられない現状に、
東京にいる自分には、義援金を拠出する事しか出来ません。
なんとももどかしい思いを、この1週間募らせてまいりました。

でも今は、思い、祈る。実質、それしか出来ないのです。
同じように、じくちたる思いをしている人は全国にたくさんいます。

神戸の時以来、口に出来ない言葉の1つが「頑張って」、です。
もう精一杯頑張ってるところに、もっと頑張れ、などとは酷な事です。

だから、自分は頑張れるところで頑張りたい。
いつものように仕事して、いつものように経済活動してお金を落とす。
それが、回り回って、被災地の復興の糧となる。そう信じて。

カミサンが「東北に旅行に行きたい!」と言っていたのです。
早く、そうなる日が来て欲しいな、と願いつつ。

日本復活の第一報は、もう踏み出されようとしております。

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2011年3月 9日 (水)

京王線・仙川駅にて

Imgp542801
PENTAX K-7
SMC PENTAX-FA 100-300mm F4.7-5.8 (テレ端)
1/320秒 F8.0 (ISO400)
京王線 仙川駅
2011年3月6日

Imgp544401
PENTAX K-7
SMC PENTAX-FA 100-300mm F4.7-5.8 (テレ端)
1/500秒 F8.0 (ISO500)
京王線 仙川駅
2011年3月6日

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2011年3月 7日 (月)

幻?のAcall 180mm F3.5は実力派レンズ

Imgp5407acall

なにげなくヤフオクを覗いておりますと、
「Acall 180mm F3.5」というレンズが100円で出品されておりました。

「えーこーる?聞いたことあるなぁ。何だったっけ・・・」

調べてみますと、今をはるか50年近く前のレンズで、
「協栄光学」という会社が作ったレンズでした。

この会社を立ち上げた人は、
元々、「コムラー」で知られる三協光機にいた人で、
35mm F3.5などの鏡胴を持ち出して、
新会社でも同じレンズの銘柄違いを発売した・・・、
というような逸話がネット上に散見されますが、
当時のことは存じないので、事の次第はよく分かりません。

ともあれ、これは何やら楽しそうなレンズ、と思い、
落札してみました。

で、届いたレンズを手にしてみた感想。

「美しい・・・」

Imgp5394acall

元々がこういう色なのか、経年で変わってしまったのか、
定かではないですが、少なくとも現状に関しては、
少しグレーがかった光沢のある鏡胴、
今風に言えば「チタンカラー」「メタルシルバー」の輝きです。

開放が明るめ(当時)のレンズだけあって、
光量を稼ぐために前玉が非常に大きく、
アタッチメントは62mm径もあります。
そのため、タンブラーか、はたまたキノコか?、というような出で立ちで、
異彩を放っています。

届いたレンズの状態は、
各ガラスの表面(内部も)に掃除した跡が盛大に残っていたので、
まずは徹底分解して清掃に着手。

あのコムラーの派生で、しかもプリセット絞りのレンズなら、
本体絞れば分解できるんじゃないか・・・、と思ったら案の定で、
えい、えい、った2回ほど「ぞうきん絞り」してやると、
鏡胴が「前・中・後」の3つの部分に分離できました。

「前」に重たいガラスが3枚(多分)入っていて、
「中」には絞りと、最後面が1枚、
「後」は、ヘリコイド部分となります。

ガラスはほぼ全てばらせたので、それぞれ拭き掃除
(古いレンズはコーティングが痛みやすいので、
毎度おなじみ、ピップの「ベビー綿棒」にて清掃。)

元通り戻して、これで完成・・・、と思ったんですが、
さて試写、と思ってカメラにつけてみると、何やら様子がおかしい。

どえらいオーバーインフなのです。
∞位置では、ボケボケで何が何やら、分からないくらい、
そこからエイエイとヘリコイドを回していくと、やっと∞が合いますが、
もう最短撮影距離まで後少し、という程。

これは、ヘリコイドの調整、なんて問題ではなさそうだ。
まさか、またあの症状が・・・

以前、Yashinon-R 20cm F4.5を整備した時の事を思い出しました。

あの時も、いざ組み立てて試写しようとしたら、
えらくピントがずれて、オーバーインフになってしまったのです。
で、原因は、最後面のレンズを前後逆にしてしまっていた事。

今回のAcallも、Yashinon-Rも、
焦点距離や開放F値は異なりますが、レンズの構成自体はほぼ同じ。
いわゆる「エルノスター型」のように見受けられます。

どちらのレンズも、最後面(とは言っても、レンズの真ん中あたりにある)は、
凹凸レンズでありながら、それぞれほぼ平面か、と思う程のわずかな曲率。

で、定石であれば、凸になるのは前方、被写体側になり、
一方凹の方は、マウント側になるはずです。

しかし、バラしたAcallは、それが逆になっておりました。

試しにこれをひっくり返して組み上げ、カメラに装着してファインダーを覗く・・・

おお!見事に∞が出ました!

あの時に、Yashinon-Rをバラした時の失敗が、こんな時に役に立つとは!

レンズの掃除のついでに、動きの悪かった絞りも清掃。
汚れを落として、一部に軽くグリスも塗って(決して絞り羽根自体に塗ってはいけない!
あくまで可動部分の一部です)、こちらも快調に。

って事で、試写してみました。
ネットでは「癖玉」との感想も散見されましたが・・・

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2011年3月 4日 (金)

3代目自作PC骨子

メインで使っているPCを組み上げたのは、
確か2004年終わりから05年頭頃の話しでした。

主な構成は、

CPU: AMD Athlon64 X2 3800+
M/B: ASUS A8V-E SE
MEM: PC3200 1GB*2
HDD:
[1] HITACHI 250GB SATA (C: D:)
[2] HITACHI 320GB SATA (E: F:)
[3] HITACHI 36GB SCA U320 (G:)
[4] HITACHI 250GB SATA (H:) ※内部USB接続
DVD: TEAC DV-W518E (Q:)
CD: YAMAHA CRW-F1S (R:)
VGA: nVidia GeForce 7300LE
Audio: E-MU 0404
OS: WindowsXP SP3

といったところ。

なんと、HDDが4台も入ってますね!
しかも、1台は、サーバー用のSCAで10.000rpm!
よく電源が不調にならずに保ってるもんだ、と真剣に思います(笑)

組み上げた当初こそ、あまり調子よくなくて、
年に1回くらいOSをクリーンインストールしてた覚えあります。

このブログ書き始めた頃(2007年6月)にも、
一度、OSを入れ直した事が記録されていますが、
それ以降は、まぁ不思議に思うくらい快調で、
しばらくマシンを買える必要は無さそうだなぁ、という感じでした。

少々風向きが変わり始めたのは昨年の話しで、
まず、重い画像や動画を扱うのがしんどくなってきた事。
35mmのフィルムを1コマ、3200dpiでスキャンすると、
解像度は1400万画素相当(約4500*3000)程になりますし、
昨年購入したNikon D7000は1600万画素(4928*3264)にもなります。

先日も、PENTAX 6x7(これについての詳細は、また追って)のポジを、
やはり3200dpiでスキャンしたら、7000*8700で約6000万画素!
ちょっとした処理でも、延々と時間が掛かってしまうようになり、
こりゃさすがに限界だなぁ、と思い始めたのでした。

加えて、ハードの故障も発生してしまいました。
USBに接続したマスストレージ(記録媒体)を認識しなくなったのです。

ある日、SDカードをカードリーダーに挿して読み込もうとすると、
全然読んでくれなくなってしまいました。
「あちゃぁ、カード駄目になったかなぁ」と思ったんですが、
他のPCではちゃんと読める。

あ~、カードリーダーが壊れたんだぁ、と思って、
新しいのを買いに行って繋ぎ直してみる・・・、
と、やはり読み込んでくれない。

???と思っているうちに、内部USB接続のHDDも読んでくれなくなり、
この辺りから「まさか・・・」の坂を転げていく事になりました。

結局は、PCI接続のUSB2.0ボードを買ってきて、
少なくともストレージデバイスに関しては、全てこちらから使用、
に切り替えたところ、正常に使えるようになったんですが、
しかし、例え一部機能とはいえ、壊れてしまったとなると、
メインマシンとして使い続けるのにも限界があります。

って事で、3代目となるマシンの構想を練り始めたのは、昨年末の事。

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